第117話 侵攻 6
アナシアの市門の前に布陣した王国軍は、爆裂の魔器を飛ばすことで市門と市壁を破壊した。2つある市門のうち南側だけを抑え、北の市門は放置していた。この人数ではアナシアを包囲するのは無理だ。そうであれば攻撃は南の市門だけに限って、北側からは領兵や住民が逃げるに任せておく。北門から出て、南門に布陣しているレフ軍を攻撃するほどの気力の残っている領兵はいないだろう、という見込みだった。案の定、北門を出た領兵はお仕着せの皮鎧を捨て一目散に遠ざかっていった。
アルティーノが放った最初の2発の魔器で市門は吹き飛んだ。次いでその周囲の防壁も吹き飛ばす。結果、20人が横一列で武器を構えて行進できるほどの間隙が市壁にできた。
「なんだかあっけねえな」
アンドレの言葉に、
「外敵の侵攻を想定していない防壁なんてあんなものだろう」
とレフが応えた。
「そう言えば
「精々賊の襲撃か領民の暴動くらいしか想定していないんだろう?」
「まあ、そんなもんだ。ただしうちの領ではここ100年ばかしは領民暴動は起こってないぜ」
いくらか自慢気味にそう言ってアンドレは破壊された門の方へ視線を移した。
できた間隙の向こうで領兵がおっかなびっくり待ち構えている。レフ軍はそれを見ながら、動こうとはしなかった。敵の防衛陣は薄いが、うっかり街に飛び込んだりすると乱戦になる。いざというときの足抜けが面倒だ。遠距離攻撃に徹することにしていた。
アルティーノの手から魔器が街中に飛んだ。高い塔を備えた領主館を狙っていた。10発も命中すると2本あった塔は崩れ落ちた。王国軍から嘲りの言葉が投げかけられたが、領兵は動かなかった。いや動けなかった。アナシアのあちこちで爆発する爆裂の魔器や発火の魔器への対応で領兵や住民が走り回っているのが王国軍にもよく見えた。やっとの思いで破壊された門の側にいる領兵には、外に出てレフ軍に挑む戦意はなかった。
「レフ様が味方で良かったぜ」
「全くだ、いつ見ても鮮やかなもんだな。あれを食らうことなんか考えたくもないな」
レフ支隊に属する一般兵の感想だった。
シエンヌは本隊から50里離れて陣を構えた。集落から外れた小高い丘の上だった。麓を街道が東西に走っている。レフからそれ以上遠くへは行くなと命じられていた。50里なら馬で2刻もあれば主力に合流できる。小高くなった場所を選んだのは習慣のようなものだ。探知・索敵の魔法に場所の高低は関係ないのだが、遠くまで見通せる方が探知の距離が伸びるような気がするのだ。これは殆どの魔法士がそうだった。レフは気にしなかったが、シエンヌもジェシカも高くなった場所を好む傾向があった。
そこからは昼の日差しの中、遠くにかすむメディザルナ山地と緩やかに起伏する平野、点在するいくつかの集落を眺めることができた。一見穏やかで豊かな光景だった。王国よりは寒く、冬は雪に閉ざされるために、一年中何らかの作物が得られる南テルジエス平原――そこにアドル領もあるのだが――ほどの実りは期待できない。
今王国軍が侵攻している土地ではその夏の実りも踏みにじられているだろう。シエンヌはアドル領での暮らしを想い出していた。1年でも不作の年があると、それを取り戻すのは大変だった。領主家が借金をして辛うじて領民を食わせその後何年にもわたって借金を返す。もし不作の年が重なれば破産するよりない。領民の何人かは借金奴隷として売られ、領主は爵位を取り上げられる。時には喰えなくなった領民の暴動が起こる。ひっそりと餓死する者も出る。しわ寄せはいつも、一番弱い者に来る。条件は帝国も同じだろう。
――でも、帝国が始めた戦なのだ。テルジエス平原は、特に北テルジエス平原はもっと酷い目に遭っている――
おあいこだなどと言うつもりはない。戦は勝たなければならない。敗者には何を言う権利も残らない。それには敵の弱いところから食い破って行かなければならない。シュワービス峠を抜かれた後、テルジエス平原が王国の弱い、但し豊かな下腹であったように、今ミディラスト平野という帝国の脂身を王国軍が踏みにじっている。
「シエンヌ様」
呼ばれて振り返ると、護衛中隊の魔法士が立っていた。
「陣の設営が終わりました」
「ありがとう、フレイヤ」
雑木林の中にくすんだ色の天幕が幾つも立っている。近づいてくるシエンヌを認めて中隊長が敬礼した。シエンヌ、アニエス、ジェシカの3人は上級魔法士長待遇になっている。つまりこの中ではシエンヌが一番階級が高かった。
フレイヤと一緒に魔法士用の天幕に入った。簡易ベッドが二つ、折りたたみの椅子が二つ設置してある。これから2日間、ここでシエンヌが長距離の、フレイヤが短距離の探知・索敵を発動することになる。フレイヤの探知・索敵の魔法は魔力パターンに合わせた魔器をもらってから大きく伸びていた。アリサベル師団の魔法士全員に、予め用意してあるいくつかのパターンから自分に一番近いパターンの魔器を支給されている。それだけでも大きく魔法の能力は伸びた。平均して、全員に一律の魔器を支給する帝国軍の魔法士の能力を上回っていた。レフ支隊の魔法士は、支給された魔器をさらに微調整してある。それによってもっと探知範囲が拡大した。シエンヌやジェシカのように、魔力パターンに合わせて一から作った魔器であれば伸びはずっと大きい。
フレイヤも大きく伸びた一人だった。全方位を探知して、師団単位であれば10里、大隊で4里、中隊で1里の距離で、敵意を持っている集団を探知できる。不意打ちを避けるには充分な距離だ。シエンヌであれば探知範囲はもっと広いが今回は全周囲探知ではなく、帝都方面のみに専心する。来襲する敵の規模にもよるが、師団単位で馬で移動しているならおそらく100里先で探知できるだろう。
「フレイヤ」
シエンヌが呼びかけた。中隊付きの魔法士にとっては上級魔法士長は雲の上の存在だ。まして司令官のレフの側近中の側近だ。最初は同じ天幕になるのを盛んに遠慮していたが、用意する天幕の数を多くすることはできない、ということで同じ天幕にしたのだ。フレイヤはシエンヌの近くでガチガチに緊張していた。
「はい!」
いくら気楽にと言われても緊張してしまう。魔法士としての技倆にも大きな差がある。
「途中に村があったでしょう、10里ほど手前に。200人前後が住んでいるくらいの大きさの」
いくつかの集落が街道沿いにあった。その中でも中規模のものだ。
「はい」
「あそこに帝国軍の
「い、いいえ気づきませんでした」
「20人くらいの警備の兵がいたわ」
「申し訳ありません。全く気づきませんでした」
「別に責めているわけではないの、私だって我々の接近に彼らがざわつかなければ気づかなかったわ」
移動しながらの探知は難しい。馬で駆けているときはますます難しくなる。彼らがおとなしく身を潜めていればシエンヌでも気づかなかっただろう。
「タントルーデ百人長に言っておいて、帰路に余裕があれば潰しておきたいから」
「はい!」
フレイヤ魔法士は急いで天幕を出て行った。
レフからは2日間と言われている。
『2日経って何も起こらなければ帰ってこい』
主力を離れるときレフに言われた言葉だ。
――
シエンヌとフレイヤは楽な姿勢を取ってそれぞれの任務に入った。
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