第117話 侵攻 5
「出てきたか!」
報告を聞いてガイウス7世は思わず立ち上がった。強く後ろへ押された椅子が絨毯の上にもかかわらず、ガタンと音を立てた。
「はい、約3個大隊ほどの王国軍がアナシアめがけて突出しております」
ガイウス7世の前で畏まって報告しているのは帝都師団に所属するデュエルカート上級魔法士長だった。ミディラスト平野に張り巡らせた目と耳からの報告だった。ガイウス7世に命じられて、魔法士長クラスの者を配置している。情報を伝えることを最優先に、例え味方が窮地に陥っていても手を出してはならぬと言う命令と共に。帝都師団は魔器を破壊されていなかったから、その探知・索敵と通心の能力は戦前の能力を保持していた。
「それで、その突出した王国軍の中にレフ・バステアはいるのか?」
「個人を識別できるほどの距離までは近づいておりませんが、シュリエフ領軍を攻撃するときに攻撃魔法を使ったことは確認しております。これまでの例では攻撃魔法が使われるのはレフ・バステアが近くにいるときだけだったと承知しております」
「つまり突出部隊にレフ・バステアがいる可能性が高いのだな」
「はい、そのように分析しております」
「よし、出るぞ。作戦通りだ。第1師団はシュワービスの峠口へ向かえ。帝都師団は余が指揮する。敵はアナシアだ!」
ガイウス7世は、アリサベル師団がシュワービス峠の守備を任務とするようになってから、いつかシュワービス峠をアリサベル師団が越えてくる事態が来ることを想定していた。南東の国境であるラタルダ街道は、アトレの帝国軍とルルギアの王国軍が拮抗している。現在その指揮を執っているのはディアステネス上将だ。破壊された魔器の補充が追いついていないとはいえ、アリサベル師団のいない王国軍にディアステネス上将が後れを取るとは思えない。それに比べるとシュワービス峠の状況はお寒い限りだった。王国の精鋭たるアリサベル師団に対しているのは領軍だったのだ。書類上の戦力は帝国軍が圧倒していてもその質において比べものにならなかった。2倍、3倍の戦力のはずだがアリサベル師団が本気で攻めてきたら圧倒されるだろう。ガイウス7世はそれが分かっていて放置していた。言わば誘っていたのだ。
――来い、入って来い、美味い餌が目の前にあるぞ。簡単には方向転換できないくらいに深入りしてこい――
だからこそ、補充されて増強師団になった第1師団をテストールから騎乗1日の距離にあるルフィラに即応体制で待機させた。味方にさえ厳重な箝口令を敷き、その事実が王国軍に伝わらないように気をつけた。ルフィラ近辺の住人は移動を禁止されている。通心が出来る住民は1カ所に集められ監視されていた。なんとしてもルフィラに強力な帝国軍がいることを王国軍に知られてはならない。
さらに皇都フェリコールの防衛が主任務である帝都師団 も、補給物資を積み上げて遠征に備えさせていたのだ。
第1師団でテストール近辺に駐留する王国軍を排除して峠口を扼し、帝都師団と協同してレフ支隊を挟撃する、と言うのが作戦の骨子だった。それにはスピードが物を言う。これまでの戦歴からして、レフ支隊は非常に身軽だ。それを量で磨り潰すつもりだったがそのために鈍重になっては逃げられる。
帝国軍は密かに餌にしたアナシアまでの拠点に補給物資を蓄積していた。アリサベル師団にはシュワービスの守備がある。2つの砦にある程度の守備隊を残さなければならないことを考えると、1個師団をまるまる帝国側の峠口に下ろしてくることはできない。だから帝国領に侵攻してくるのは半個師団が精々とガイウス7世は考えていたし、実際その通りだった。帝都師団は文字通り身一つで皇都を出発した。馬と、馬車で。
皇都とアナシアは徒歩4日行程の距離にある。馬と馬車なら1日強に縮めることが可能だ。
レフに率いられた王国軍は逃げるシュリエフ領軍の背中を追ってアナシアまで進出した。アナシアに到着するまでに討った帝国兵が比較的少なかったのは、彼らがまっすぐにアナシアめがけて逃げなかったからだ。すぐに主街道を外れて、てんでばらばらに逃げ始めた。特に兵達の出身地が近くなると、アナシアに行くよりは動員前に暮らしていた町や村に向かう兵が多かった。領都であるアナシアより自分の暮らしていた所の方が大事だった。動員された領兵の領主に対する忠誠心は強いものではなかった。王国軍は逃げる兵は放って置いた。一度こっぴどく負けている兵で、しかも追撃される恐怖を経験した兵だ。うまく逃げ延びてももう兵としては役に立たない、と判定されたからだ。
結果として王国軍のスピードは速く、アナシアに逃げ込めた帝国兵は殆どいなかった。
近づいてくる王国軍を認めて、アナシアの留守部隊は慌てて市門を閉めた。出撃した主力と連絡が取れなくなって何か起こった事は分かっていた。逃げ帰ってきた少数の敗残兵の報告と、目の前に布陣した王国軍を見れば領軍が壊滅したことは容易に推測できた。主力が殲滅された今、籠城して国軍の援軍を待つよりない、というのが籠城を決めた領主の考えだった。
「ヤレヤレ、籠もっちまったぜ。でもあの程度の防壁で防げると思っているのかな」
「テルジエス平原と一緒だな、シュワービスが抜かれるはずはないから実戦的な壁はいらない。住民に対しての見栄は必要だが、と言ったところだろう」
そう言えばテルジエス平原に散在する街も、本格的な防壁を持っているところは少なかったな、尤もレフに掛かっちゃ少々頑張って防壁を作っても同じことだが、とアンドレは考えた。
「で、如何するんだ、レフ卿」
アンドレの問いに、
「少し脅して引き上げよう。長居はしたくないし、市街戦はやりたくない」
市街戦になるとレフが率いてきた兵数の少なさが問題になる。街中で分断されて囲まれでもしたら面倒だ。アナシアの人口はレフ軍の20倍はいるのだ。全員は残ってないだろうが、半分も残っていたら手を焼く可能性は有る。
「ここの領主が、上手く人数を生かして市街戦ができるほど有能だとは思えないけどな」
「時間的余裕は多分2~3日だ。国軍がやってくるだろう。そのとき街中で足を取られていたら目も当てられない」
「兵は突っ込みたがっています。テルジエスで帝国軍がやったことの半分でもやり返さないと気が済まないようです」
レフとアンドレの話を聞いていたブラミレード下将が口を挟んだ。
「今回は駄目だ。兵を抑えていて欲しい、ブラミレード下将。我々は帝国の国軍が来る前に引き上げる」
ブラミレード下将も一瞬不満げな表情を浮かべた。彼の育った街は帝国軍に破壊され、住民の3割が、その大部分は若い男や女だったが、捕虜として帝国へ連れて行かれ、奴隷になっているはずだ。
「勝手な攻撃は禁止する」
レフはさらに言葉を重ねた。
「了解いたしました」
ブラミレード下将も軍人だった。軍規を守ることの大切さは承知している。レフが軍規違反に厳しいことも。
「取りあえず脅しておこう。アンドレ、またアルティーノ魔法士の出番だぞ」
「あいよ。あいつも忙しいこった。でも随分逞しくなったよな。シエンヌの嬢ちゃんとためを張れるとは」
「今回はアルティーノ一人にやってもらうぞ。シエンヌは偵察に出す」
「やっぱり東が気になるか?」
「ああ、ガイウス7世がフェリコールに戻っている。警戒して警戒し過ぎということはないだろう」
レフ支隊から1個中隊を付けて偵察に出す。シエンヌの索敵能力なら不用意な敵の接近を許すこともないだろうし、1個中隊の王国兵を襲うほど戦意の残っている領兵の残党がいるとも思えない。武装しただけの住民など無視して良い。こちらから手出ししなければ住民の方から何かするはずもない。
帝都方面の警戒は如何しても必要だとレフは考えていた。
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