第117話 侵攻 2

「では、出発しよう。イクルシーブ中将、後をよろしく」

「畏まりました。レフ卿。お気を付けて」

「ああ、1個連隊規模ではやれることは限られているからな。危ないことには手を出さない」


 シュワービス峠を下ってきた王国軍は、アリサベル師団が5個大隊、それにエンセンテ領軍からの選抜2個大隊、計7000人の部隊だった。レフの目的は嫌がらせハラスメントだった。長引く戦乱のため王国と帝国はどちらも消耗が激しくて、最早大規模な戦闘行動を取る余裕がなかった。いずれ和平交渉が始まるという認識を両者とも持ち始めていた。その交渉を少しでも有利に運ぶための材料造りの積もりだった。イクルシーブ中将をシュワービス峠の口の守りに残して、レフ支隊1000にエンセンテ領軍2000を加えた1個連隊規模の兵力でミディラスト平野に侵入する心算だった。目的地はシュワービス峠の守備隊への補給基地であるテストールとミディラスト平野の中心都市、アナシアだった。アナシアはテストールから騎馬で1日行程の距離にあるシュリエフ一門の領都だった。


 レフの率いる連隊は機動性を重視して、全員が騎乗していた。補給品も全て馬車に積んでいた。全体で5日分の糧食と武器を持っただけの軽装備で、ハラスメント以上のことをする気はなかった。

 そもそもアリサベル師団を丸々投入してもミディラスト平野は広すぎ、占領も統治も不可能だった。

 エンセンテ領軍の2個大隊を遠征に加えたのはエンセンテに対する配慮だった。この戦争でエンセンテだけが碌な軍功を上げてない。そもそも最初の戦闘の敗北の責任の一端はエンセンテ宗家の当主だったディアドゥ・エンセンテにある。その後もエンセンテは領軍主力が早期に壊滅したこともあり、肩身の狭い思いをしている。だから適当な軍功を上げ、勝った経験をつける機会を与えることを目的に連れてきていた。勿論戦闘の主力はレフ支隊だったが、レフ支隊と協同して動けるくらいには訓練をしていた。


 テストールは空になっていた。人がいなくなった街をイクルシーブ中将の指揮で居残り組の4000人がせっせと探索していた。どうやら完全に補給基地化していたらしい。1個師団規模の駐留兵を養うための補給物資が、主には食料と武器だったが、大量に残されていた。王国軍できに渡さないための焼却処置を試みた形跡はあったが、逃げ出すことの方に気が行っていたようで殆どそのまま残っていた。予想もできないほどの短時間で峠口の陣が破られたため余裕がなかったのだろう。住民は殆ど残ってなかったようだ。住民の住居と思われる家には何も、少なくとも値打ち物は残ってなかった。

 忙しく略奪した補給物資を運び出す兵達を尻目にレフ支隊は出発したのだ。もう午後になっていたが帝国に体勢を立て直す時間を与えない方が良いと判断された。その日のうちにアナシアにたどり着くのは全員が騎馬でも無理だ。どこかで野営になるがどうせ2日~3日で片づくとは思ってなかった。



 レフ支隊がアナシアまでの道のりの半分まで来たのは次の日の昼過ぎだった。途中から何隊かの領軍がレフ支隊を追い始めていた。レフ支隊が横切った、あるいは近づいた領の領軍だった。王国軍レフ支隊が侵攻してきたことに反応して取りあえず出てきた領軍で、時間が経つほど人数が増えていった。慌ただしく準備を終えた兵が追いついてきたのだ。襲撃してこなかったのは偵察隊をことごとく潰されたからだ。いくら地元で地の利があると言っても敵情も分からずに襲撃することはできない。シュワービス峠の口にいた領軍は恐怖を植え付けられ、レフ支隊には近づかなかった。結果レフ支隊の力を実感していなかった3隊ほどの領軍がレフ支隊に纏わり付くことになった。レフ支隊の行軍方向を見るとアナシアに向かっているのは明らかだったから、追跡するだけならむずかしくはない。全員が騎乗しているレフ支隊と違って領軍は歩兵が主力だった。当然行軍速度が違うはずだがついて行けたのは、レフ支隊が意図的に速度を落としていたからだ。


 レフ支隊の先頭をレフが駆けていた。レフの側にシエンヌ、アニエス、ジェシカがいるのも支隊の隊員の見慣れた風景になっていた。


「うるさそうなのがいるな」

「はい。3隊ほど追尾してきていましたけれど、いつの間にか一緒に動くようになっていますね」


 2000人弱の隊が一つ、後は1500人と400人の領軍だった。いつの間にか統合されている。全部で4個大隊弱の戦力だった。レフの率いている戦力より大きかったが、3里ほど離れて恐る恐る付いて来ている。おそらくアナシアを攻撃し始めたら、その防衛軍と協力して挟み撃ちにレフ支隊を攻めようという気だろう。自分たちだけで戦う気はないらしい。


「アンドレ」


 レフ支隊の中で、男では一番の側近を自認しているアンドレがすぐ側にいた。


「なんです、隊長」


 軍に階級のないレフを、レフ支隊の隊員は『隊長』と呼んでいた。


「シエンヌを付けてやる。第5中隊と第2、第6中隊で横撃してほしい。アシアナを攻める前に片付けておきたい」


 第5中隊はアンドレの手飼いといってもいい部隊だった。カジェッロ家から連れてきた兵達が属していて、アンドレの仕事はたいてい第5中隊と一緒にやっていた。それに第2中隊、第6中隊が付く。通常1個大隊規模でしかないレフ支隊としては椀飯振舞おうばんふるまいと言って良い。さらにシエンヌまで付けてくれれば地誌の分からない敵地でもかなり自由に動ける。シエンヌの索敵能力は王国軍の中でも群を抜いており、レフには及ばないがこの距離なら敵の動きも地理も手に取るように分かる。


「横撃?物足りねえな、エンセンテの大隊を一つもらえば正面撃破でもいいぜ」


 追尾して来ている帝国領軍がへっぴり腰だというのは別に索敵能力を使わなくても分かる。彼らは直接レフ支隊と交戦していなくても、峠口にいた1個師団規模の領軍が蹴散らされたのは知っている。そんな王国軍てきと援軍も無しに戦うのはいやだろう。


「それは私がやる」

「隊長が、直々に?」

「ああ、時間をかけるわけにはいかないからな。アナシアから援軍が来れば厄介だ」


 アナシアにはシュリエフ一門の領軍主力が陣取っている。一度散々に打ち破られた軍だ。臆病風に吹かれているだろう。アンドレにはあいつらが援軍を出すものか、と言う意識はあったが最悪を想定しておいた方が良い。


 街道の南側に小高い丘があって、北には広い牧草地が広がっている。


「この辺が良さそうだな」


 3個中隊を引き連れてアンドレがこっそりと南の丘に登った。馬からは下りている。彼らは基本的に歩兵だ。騎乗することはできても騎乗のまま戦うことには慣れてない。頂上から南にかけて広い灌木地帯になっていて、3個中隊、300人程度の兵を置くことができる。姿勢を低くすると街道からは見えなくなる。足場の悪い登りだったがこんな訓練は十分に受けている。気配を小さく、姿勢を低くして素早く登っていった。


 3里も離れている上に帝国の領軍は魔器を保持していない。能力に乏しい魔法士と性能の悪い魔道具ではこの動きを察知することはできなかった。





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