第117話 侵攻 1

「暑くなって来たよな」

「ああ、訓練に駆り出されると汗びっしょりだ」


 返事をした兵はヘルメットを持ち上げ、顔を上に向けた。皮鎧の襟元に指を入れて少し肌から離して風を入れる。初夏とは思えない強い日差しが降り注いでいた。


「上に屋根を付けてくれればありがたいんだがな」

「屋根を付けると見通しが悪くなるんだと」

「偉いさんは昼日中に見張り台なんかに立たないからな。一回、一日ここに居てみろってんだ」


 二人の兵士が立っているのはシュワービス峠の帝国側の、口を囲むように作られた陣地の望楼だった。

 シュワービス峠の帝国砦までアリサベル師団におさえられて、帝国は大急ぎで口を 塞ぐように陣地を作った。最初は簡単な柵を置いただけの陣地が、空堀をほり、掘った土を盛り上げて土塁を作り、固めた土塁の上に胸壁を設け、さらに望楼を建て強化されていった。そんな空堀と土塁が今は二重になっている。確かに前にある土塁の上の望楼を屋根付きにすると後ろの土塁からの見通しが悪くなるのはその通りだった。  


 ここを抜かれると帝国領、ミディラスト平野に自由に侵入される。この地方の有力貴族家であるシュリエフ一門が懸命に作り上げた防衛陣地だった。多数の兵を収容するためのバラックも作られている。二人の兵もシュリエフ一門の領軍に属していた。


 メディザルナ山地の雪が溶ける前に始まった工事は、雪が溶けると本格的になった。アリサベル師団が、というよりレフが仕掛けたキリング・ゾーンの罠に掛かった犠牲者の遺体を片付けながら、シュリエフ一門以外の中小貴族の領軍も総動員して、峠の口を塞ぐ工事を進めたのだ。アリサベル師団を相手に、いい加減な砦を築くわけにはいかなかった。文字通り死活問題だったのだ。さすがに最大動員は長く続けることができず、ある程度砦ができあがってからは、1個師団相当ほどに数を減らして警戒に当たっている。

 最初の内こそ、いつアリサベル師団が峠を下りてくるかとビクビクしていたが、シュワービス峠の雪が溶けてメディザルナ山地が緑に染まっても峠は静かなままだった。


 王国に派遣されていた国軍が大敗を喫し王国領から引き上げたと聞いても、領軍の平兵士にはピンと来なかった。聞いたこともない攻撃魔法が使われたと言う話もあったが、このときは未だ、所詮は他人事だった。

 帝国軍がアンカレーブで敗れたことは伝わっていても詳細は伝わっていなかった。帝国軍内部で行われた講評は国軍内部だけで留められていた。国軍は領軍を二線級の軍と馬鹿にして、情報交換の場を設けることなど考えもしなかったし、領軍は、いつも上から目線で接してくる国軍が敗れたことに溜飲は下げてもその詳細を知ろうとはしなかった。

 領軍の上層部は、王国軍が攻めてきても手薄になった帝国の国軍の来援は期待できない、だから頑張れというお達しを出しただけだった。兵士達は農繁期になっても帰郷は許されず、訓練の頻度はずっと多くなっていた。交代させて改めて一から訓練するより、ある程度訓練された兵を続けて従軍させておく方が効率的だと考えられたのだ。


「かあちゃんと年寄りで作付けをしたんだろうが、どんだけできたんだか」


 春植えの小麦がミディラスト平野の農家の主作物だった。徴兵されなかった近所の男達が手伝ってくれる約束だったが、どれだけ当てにできるか分からない。徴兵されない理由が――病気がちだったり、小さくて力が弱かったり、体のどこかが不自由だったり――あるし、彼らも自分の家の仕事を優先するはずだ。


「税金をまけてくれねえかな。領主様の都合でこっちへ来てるんだからな」

「そんな事あるわけねえって、あの領主様だかんな、上にはいい顔をするけんど俺たちには威張り散らすんだかんな」


 二人の兵士は揃って溜息をついた。望楼にいるのが気心の知れた相手だからできる会話だった。それでも風に運ばれて下の連中に声が届かないように小声の会話だった。


「あれ?」


 偶々山地の方を見ていた一人が不思議そうな顔でぐるっと頸を回らせた。


「なんだ?」


 もう一人の問いに


「いや、なんかきらっと光るものが飛んできたような気がして……」


 最後まで言えなかった。シュワービス峠の口に向かって作られている大門の、鉄で補強された扉が大音響と共に吹き飛んだのだ。


「「うわっ!」」


 二人とも思わずしゃがみ込んだ。陣地中が大騒ぎになって、吹き飛んだ大門の方へ多数の兵が駆けつけているのが見えた。


「おい!」


 口を開けて集まってくる味方を見ていた兵の肩をもう一人が叩いた。


「見ろ」


 峠の口の方を指さした。峠道を、いつの間にこんなに集まったのかと言うほどの数の王国兵が駆け下りてくる。


「「敵だ!!」」


 二人が大声で叫んだ。望楼に備えてある半鐘を全力で叩いた。ガン、ガン、ガン、ガンという音が陣地中に響いた。


「「敵だ!!」」


 もう一度大声で叫んだ。


 糞が!魔法士共は何をしていたんだ。あんなに接近されるまで気が付かないなんて。隣の望楼には魔法士も上がっているはずだ。それなのに一般兵の方が先に気づくなど普通ならあり得ない。

 集まった帝国領軍の兵に士官が大声で命じている。弓と槍を持った兵が続々と集まってきた。


「又だ!」

「何が?」

「又何か飛んできた!」

「何だと!」


 とたんに集まった帝国兵のど真ん中で爆発が起きた。悲鳴が上がって血をまき散らしながら何人、いや何十人かの帝国兵が倒れる。爆発の範囲から外れた兵も思わず地に伏せた。ある程度兵が集まるまで次弾を放つことを控えていたことを帝国兵は知らない。


「何をしている!敵が接近しているのだぞ!立て!槍を構えろ!弓を放て!」


 声を限りに叱咤していた士官の頭を細い光が通り過ぎた。力なく士官の体が倒れた。又別の場所で爆発が起きた。爆発音が連続して陣地の中に悲鳴が満ちる。士官を狙い撃ちするように次々と斃されていく。一目で士官と分かる軍装は避けるようにと言う情報さえ届いてなかった。望楼を吹き飛ばし、隊列を組もうとする兵の上で爆発が続く。精鋭とはいえない領兵が耐えられる限度を超えた。浮き足だって何人かが背中を見せて逃げ出すとあっという間にそれが広がった。


 他の士官が


「逃げるな!迎え撃て!」


 と叫んでも聞くものはいなかった。叱咤していた士官も周りの味方がドンドン少なくなり、周りに残っているのは死傷した兵だけになると慌てて逃げ出した。

 ドカン、ドカンと陣地のあちらこちらで爆発音が響く。それに駆逐されるように帝国兵が陣地から逃げ出していく。臆病風に吹かれるのに士官も兵もなかった。損害は未だ大きくはなかったが、士気が完全に崩壊していた。武器を捨て、防具を捨て身軽になって領兵達はてんでばらばらな方向に逃げていった。アリサベル師団が大門に着いたとき、抵抗する帝国兵は残っていなかった。負傷者のうめき声と血の臭いに満たされた帝国陣地は簡単にアリサベル師団の占領するところとなった。望楼で呆然と一部始終を見ていた二人の兵は逃げ遅れて、抵抗もせずに捕虜になった。

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