第115話 副王

「副王ですって?」


 アトレの帝国軍司令部に、ドミティア皇女の、常にないあっけにとられたような声が響いた。要員達が、いつもはおしとやかに振る舞う皇女の思いがけない態度に振り返った。皇女は慌てて両手で口を押さえた。要員達は失礼に当たらないようすぐに目を逸らせた。


「はい、そのように報告を受けました」


 ファルコス上級魔法士長が畏まって返事した。


「そうか、アリサベル殿下、随分と策士のようですな。王家に置いておくのは勿体ない」


 一緒に聞いていたディアステネス上将がしばらく考えた後面白そうにそう言った。


「策士?」


 また、ドミティア皇女の疑問が重なった。


「はい、私どももそう思います」


 上将に賛意を示したファルコス上級魔法士長に、


「説明してくれる?」


「アリサベル殿下は名よりじつを取ったのでしょう」


 ディアステネス上将が横から口を挟んだ。ファルコス上級魔法士長はその言葉を受けるように、


「アリサベル殿下は今、実質上王国内で一番力を持っています」

「そうよね、軍の支持、3大貴族家のうちの2家の支持、その上旗下のアリサベル師団は王国、いや帝国を含めても師団として最強だわ」


 皇女の最後のフレーズにディアステネス上将は一瞬苦い顔をした。当然すぐにその感情を隠した。ファルコス上級魔法士長が言葉を続けた


「しかし、それでもやはり王国内には王女に反感を持つ層があります」

「当然よね、急速に力を付けたのだものね、しかも旧来の勢力の力を借りないで。確か宰相府の官僚団が必ずしも王女に好意的ではないと言っていたわね」

「はい、それにエンセンテ一門もかなりの反感を持っています」

「エンセンテ一門が?」

「はい、アリサベル王女がレフ・バステアに嫁ぐに当たってテルジエス平原の北三分の一を化粧料として与えると、ゾルディウス王が明言しています。それがどうも半分ほどに拡大しそうです。その分エンセンテの領が減ります。それに王宮に置かれた王女府、あれはエンセンテ一門用のスペースでございました」

「すぐには必要のないほど広いスペースを使っているという話だったわね、王女府は。だからこそ女王になるつもりではなかったの?」

「まあ、そういうことで、王宮内のスペースを元の十分の一ほどに削られたエンセンテ一門は、自分たちの凋落を嘆くと共に王女に反感を募らせているわけです」

「だから副王なの?」

「ジルベール殿下を王に立てることで、継承権の順番を狂わせたという評判を覆せるわけですな。継承権の順番というのはなかなか厄介な問題です、まして女王ですからな」

「はい、ルクルス王弟殿下を推していたグループもおとなしくなったそうです。ましてジルベール殿下を推していたグループが反対するはずもございません」

「問題は王の権限ですな。どこまでの裁量権を持たせるつもりなのか……」


 ディアステネス上将が先を促した。


「王の署名は副王の副署があって初めて有効になるとされています。ジルベール王は幼くしかも周りに人材が居ません。アリサベル殿下が署名した書類に後から署名するしかないわけです。決済の内容も分からないまま」

「実際はアリサベル王女が決済しているに等しい訳ね」

「はい、一手間余分に掛かるだけで実質として振る舞っていると言って良い状態かと……」

「なるほど、じつはしっかり握っているということね」

「もう一つございますな」

「なに?」

「ドライゼール王太子が帰国した場合のことです」

「?」

「ジルベール幼王だけであれば譲位を迫るでしょう。どんな形でドライゼール王太子が帰国するにせよ、王宮内の勢力争いでは王太子の力の方が幼王の力より強い可能性が有ります。よほど長く王太子が帝国内に留め置かれ、その間に幼王が成長し善政を敷いていれば別でしょうが、先のことなど分かりません。アリサベルの場合も王太子の帰国に際しては必ず一悶着あります。やはり王太子派というのは残っているでしょうからな。しかしジルベール王にアリサベル副王という形になるとドライゼール王太子が策動する余地がうんと減ります。黙ってはいないでしょうが、ジルベール王が、まあ実質はアリサベル殿下でしょうが、よほどの失政をしていない限り、王太子の立場は弱いでしょうな」

「ジルベール王の生母、ベアトリス妃もアリサベル王女を頼りにしている節もあります。我が子が王位について、その王位が不安定というのは堪らない思いかと存じます。それをアリサベル王女が支えてくれるわけですから。増してあの王太子が帰国して王位を取り戻すことなどあれば廃王としてどんな扱いを受けるか、分かったものではありません」

「なんだか頭が痛くなるわね。そんな事まで考えるの?」

「考えたのでしょうな。年若い女とは思えない思慮深さ腹黒さと言って良いかと」

「あら、女って思慮深い腹黒いものよ。知らないの?」

「多少は知っておりますが……、まあこの展開はおそらく周りの腹黒共の入れ知恵でしょうな。カデルフ・アルマニウス辺りでしょうか?」

「レフ・バステアとは思わないの?」

「あの若さでこれだけのシナリオを書ければ大したものですが……」


 可能性は有る。あれはフェリケリウスに連なるのだ、シナリオを考えたのがレフ・バステアであっても驚かない。


「この情報を陛下がお知りになったときどうなさるかしらね」

「どう、とは?」

「皇都に連れて帰られたドライゼール王太子のことよ。利用価値がますます減ったわ」

「まあ、今すぐ処分するのはアリサベル王女の思うつぼになりますな。自分の手を汚さず名目上の第一王位継承権者にご退場戴ければ、王女としては言うことはないでしょう」

「こっそり処分してくれるように頼んでこないかしら?」

「さあ、そんなことをすれば表沙汰になったときに騒ぎになりますな。今の時点で帝国わが国にとってプラスにならない事を陛下がされるとも思われません。アリサベル王女としても陛下に弱みを握られるのは嫌でしょう。経過を見て最も利用価値の高いときにそれなりの方法を採られるのでは、と愚考しますな。戦場だけではなく、まつりごとにおいても風は気まぐれなものですから」

「ダスティオス上将との交換なんて如何かしら?」

「確かにダスティオスが帰ってくれば帝国軍の薄くなった上層部を補強できますな。ですが王族、増して王太子と上将では釣り合いが取れません」

「ダスティオス上将の方は帰ってくれば帝国の利になる、ドライゼール王太子は王国に帰れば混乱要因にしかならない。身分上の釣り合いと実質の釣り合いが正反対ね」


 ドミティア皇女は行儀悪く舌を出した。どう考えてもアリサベル派が実権を握っている王国が王太子の帰国を喜ぶはずはない。


 戦争は小康状態に入っている。帝国も王国も大規模な衝突に耐えるだけの体力が残っていない。当面は国境で小競り合いを繰り返す様な状態が続くのではないかと、その時はディアステネス上将でさえそう思っていたのだ。




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