第113話 暗闘 5
マルガレーテ王妃を送り出して、オルダルジェ宰相は忙しかったその日を振り返った。
その日の夕方近くになって宰相は呼び出されたのだ。相手はコスタ・ベニティアーノ卿だった。王国政治上の序列ではオルダルジェ宰相の方が高い。だから普通ならそんな呼び出しに応じることは無い。宰相は王宮内秩序にうるさかった。しかし相手は今最も実力のある、つまり最大限に警戒しなければならないアリサベル師団の幹部だった。しかも呼び出しの言外に、来なければ宰相にとって不味いことになると匂わせていた。ほぼ即答で宰相はコスタ・ベニティアーノの要請に応じたのだ。翌日のゾルディウス前王の葬儀の準備に忙しかったが、優先順位はこちらの方が高かった。
迎えの者に案内されたのはアリサベル師団の兵舎だった。ほぼ治外法権に近く、アリサベル師団の関係者以外は出入りできない建物だった。そこで見せられたのは二人の男だった。一人は焦点の合わない目を落ち着かなく虚空にさまよわせ、表情の無い顔の口をだらしなく開いてよだれを垂らしていた。手足がわらわらと絶えず動いている。もう一人は正気のようだった。目には怯えの色が濃く、膝で組んだ手を上下させていた。首に魔器を――宰相には分からなかったが拘束の魔器だった――を付けられていた。
「この二人が、いや最初は三人だったが、昨夜"奥“のアリサベル王女の私室に忍び込んだのですよ、カルーバジタの指示で」
宰相を前にしてコスタ・ベニティアーノが話し出した。同席しているのはイクルシーブ下将、それにグリマルディ魔法士長だった。そこで示された条件が、王妃がゾルディウス王の葬儀を欠席すれば、今回の事件についてはカルーバジタの線で止めると言うことだった。
自供した暗部の男、ギャビネという名だった、は指示がカルーバジタから来たと言うことしか知らなかった。カルーバジタに誰が指示したかを、賊の
――帝国との戦争中に王国内の乱れをあからさまにすることを避けたいのだ――
オルダルジェ宰相はそう思った。しかし、あくまで今回の事件についてであった。アリサベル王女が最高権力者になれば、その最高権力者を王国の軍が、陸軍も海軍も、支持するという事態になってしまえば、元王妃などどうにでもなるのだ。対帝国戦が終われば、いや続いていても戦況が落ち着けば、好きなように瑕疵を見付け処断することができる。
――しかし今、この条件を受け入れる以外の行動は取れない、妃殿下のために多少なりとも時間が稼げることで満足するしか無い。時間がたてばどんな事態が起こるか、分かったものではないのだから――
一番の懸念は王妃の気質だった。今回のように(宰相は王女への襲撃が王妃から発していることを確信していた)短慮に走ればアリサベル王女の側には元王妃を処断する理由ができる。いくら言い聞かせてもあの方は我慢することができるだろうか?
牢の鍵が開く音にドライゼール王太子は身構えた。食事の時間ではない。食事を持ってくる以外で誰かがこの牢を訪なうのは、ドライゼール王太子を尋問するときかどこかへ連れ出すときだった。数日前にはガイウス7世の謁見室まで連れて行かれた。 鉄で補強された扉を開けて入ってきたのは初老の上級将校と未だ若い女だった。勿論
1個小隊規模の屈強な護衛兵が付いている。
「ドライゼール王太子殿下?」
初老の将校が口を開いた。
「初めてお目に掛かります。小官は帝国より上将の位を賜っておりますマクレイオ・ディアステネスと申します。こちらはドミティア・フェリケリウス皇女殿下でございます」
ディアステネス上将に紹介されてドミティア皇女が優雅に礼をして見せた。その礼が臣下に対するものであることに王太子は気づいた。尤もそれに気づいてもドライゼール王太子には何も言えなかった。相手はこの戦争の緒戦でテルジエス平原を占拠し、その後もずっと最前線に立ち続けた帝国軍の司令官だと気づいた。苛烈な作戦行動は王国軍を、アリサベル師団を別にして、翻弄し続けた。騎兵を率いて突出したドライゼール王太子を散々に破ったこともある。
「そのディアステネス上将が私に何の用だ?」
不機嫌に応答した王太子にディアステネス上将の口元がほころんだ。強がっている王太子を嗤ったのだ。
「お気が短い、レアード王子殿下とよく似てらっしゃる」
そうだ、レアードもこの男に捕らえられた。そして『降伏しろ』との伝言を持たされて釈放されたのだ。まさか俺にも同じことをする気か?
「そんなに警戒する必要はありませんな。王国内の事情について殿下の意見を伺いたいだけですな」
「私の意見だと?」
「はい、一昨日故ゾルディウス王の葬儀が行われました。戦中と言うことを考慮したのでしょう、1日だけの簡素な葬儀だったようです」
ドライゼール王太子が息を飲んだ。早い、早すぎる!
「喪主は、喪主は誰が務めた?」
ディアステネス上将の嗤いが一段深くなった。予想通りの反応だ。その未熟さを示している。
「アリサベル王女と聞き及んでおりますな」
「アリサベルが!喪主を務めたと?」
くそっ、アリサベルを推す勢力を制御できなかったのか?しかし、略式の葬儀であれば俺が帰国してから、再度きちんとした葬儀をやり直すことも可能なはずだ。
「殿下にお訊きしたいのは、その葬儀にマルガレーテ王妃の姿が無かったと報告されている件についてですな」
「はっ、母上が葬儀に出てない!?まさか」
「複数の情報源から同じことが報告されておりますな。まず確実な情報かと考えております」
どうなっているのだ?母を、マルガレーテ王妃を葬儀に参加させないなど、そんな事が未だ王位についてもいないアリサベルにできるのか?
「殿下には。マルガレーテ王妃が葬儀を欠席した理由がお分かりではありませんか?」
しれっとこんなことを質問するディアステネス上将に、
「そんなことが分かるものか!」
思わず大声になった。
「勿論我々の側でも色々推測しております。ゾルディウス王の不慮の死にショックを受けて体調を崩されたのか、傍流の王女が喪主を務める葬儀など認められないとされたのか、ひょっとしたらアリサベル王女を担ぐ勢力に力尽くで出席を止められたのか、だいたいこの3つの意見に集約されますな」
ドライゼール王太子はディアステネス上将を睨み付けた。
「勝手なことを、ほざくな!」
「まあ、外部からいろいろ言われるのは不愉快でしょうな。で、殿下におかれてはどの可能性が高いとお考えですかな?」
ドライゼール王子は椅子にドスンと座り込んだ。上体を曲げて両手で頭を抱えた。
「出て行け!そんなことが分かるわけがないだろう!」
嫌々をするように首を振った。
アリサベルが喪主だと!?葬儀に母が出ていなかっただと!?マルガレーテ王妃の一派が、俺を王位に推す一派が完全に勢力を失ったと言うことではないか。
座り込んで無言になったドライゼール王太子をしばらくディアステネス上将とドミティア皇女が冷たく見下ろしていたが、
「いいわ、もう。行きましょう」
皇女の言葉で二人は牢を出て行った。
牢からの帰り道、
「残念ですな」
「何か?」
「ドライゼール王太子殿下です。是非とも王になって頂きたかった」
「それは同感ね。そうだったらこの後の対王国の政策が楽になったのにね。でもアリサベル王女が女王になれば王国はどれくらい手強くなるのかしらね」
「アリサベル師団の運用を見ていると、自分の力の及ばないところは柔軟に他人、特にレフ・バステア卿に任せているようですな。師団司令官のイクルシーブ下将も良将です。彼らを使いこなしているのを見ると、余り楽はできそうもありませんな」
「王太子を捕虜にしたのも痛し痒しね。こんなへまをしなければ彼が次期王よね。本当に陛下の言われるとおりそうなるまで待っているべきだったかしらね」
「結果論ですな。後からなら何とでも言えます」
「それもそうよね。結果的に王国は王太子を切り捨てた形ね。それで手強くなるのだから分からないものだわ」
「まったくですな」
ディアステネス上将は肩をすくめて見せた。
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