第113話 暗闘 4
マルガレーテ王妃は”表“の宰相執務室の扉の前でイライラと不機嫌な顔を隠そうともしなかった。宰相執務室の警備に当たっていた兵が開けた扉を、先ず先導の侍女がくぐり、続いて親衛隊女兵二人に前後を挟まれるように、侍女長を従えた王妃がくぐった。宰相からはできるだけ目立たぬようにという要請があったが侍女長一人だけを共になど、考えられることでは無かった。これでも王妃の感覚では最大限簡素にしているのだ。
宰相応接室に通されるとき、補佐官に
「できれば王妃殿下お一人で」
と言われたが、押し問答の末、侍女長を同席させることを了承させた。
王妃がこんな時間――既に夕食は終わっている――に宰相執務室に呼ばれることなどあり得ないことと言って良かった。
“礼儀知らずめ!“
と無視しても良かったのだが、王妃が結局宰相の要請に応じたのは、カルーバジタとの連絡が、通心を含めて朝から取れなくなっていることに堪らない不安を感じていたからだ。カルーバジタの言に依れば、昨夜カルーバジタの部下の暗部がアリサベル王女を襲撃したはずだった。その成否の連絡もなく、アリサベル師団が駐留している兵舎も普段と変わらない様子だという。アリサベル王女自身の目撃情報は無かったが、アリサベル師団の幹部、イクルシーブ下将やコスタ・ベニティアーノ卿の様子に何ら変わったことはないと様子を見に行った侍女は言っていた。
そこへオルダルジェ宰相から面談の要請が来たのだ。無礼者めと思いながらも、宰相なら何か知っているかも知れないと考えるといても立っても居られなくなった。結局侍女長をつれて、こんな時間に”表“に出てきたのだった。
宰相執務室に付属した応接室の豪華なソファに王妃が座ると、殆ど同時に執務室のと間の扉を開けてオルダルジェ宰相が補佐官と一緒に入ってきた。王妃の後ろに控えている侍女長に一瞬目をやったが、直ぐに視線を外して王妃の対面で姿勢を正した。
「このような時間にお呼び立ていたしまして、誠に申し訳ありません」
声も口調も固かったが申し分ない形で礼をして見せた。王妃は不機嫌を隠そうともしなかった。
「明日は陛下の国葬の日ですよ。正妃としていろいろと忙しいわらわに、このような異例の呼び出しをかけるほどの重要な案件なのでしょうね?」
内心に不安を抱えながら嫌みを言わずにはいられなかった。
「はい、何を差し置いても妃殿下にお知らせしなければならないことと存じております」
マルガレーテ王妃の嫌みに全く反応すること無く宰相が言葉を続けた。王妃はさらに不機嫌に顔をゆがめて、
「聞きましょう」
「既に時間も遅く、長く話す余裕もございません。単刀に申し上げますが、明日の国葬に、王妃殿下にはご欠席戴きたく」
余りに単刀直入に過ぎた。普段のオルダルジェ宰相からは考えられない態度であった。王妃に対して無礼に過ぎる。
「な、何を言うのですか!国王の葬儀に王妃が欠席などと、オルダルジェ宰相、正気ですか?」
案の定王妃は激昂した。あるいはここまで抱えてきた不安を隠すために激昂した振りをした。オルダルジェ宰相が何の理由も無くこんなことを言うはずがないからだ。王妃にはその理由に心当たりがあった。宰相の硬い態度も王妃の不安をさらにかき立てた。
「はい、正気のつもりでおります。ご説明させて戴いても?」
「帰ります、聞いてはおられません!」
王妃は乱暴に立ち上がった。激昂した王妃の言葉にも宰相は冷静だった。そして激昂した振りをしている裏に大きな不安を隠していることに気づいていた。声の調子、発した言葉、表情筋の動き、体の動作の一つ一つに現れる感情を読み取ることは得意だった。特に自分より身分が上の人間に対しては、普段から観察を密にしその感情を細かく推し量るようにしていたのだ。宰相は冷静に、
「お聞きになった方がおためかと存じますが」
「脅迫するつもりですか?」
「いえ、とんでもない。そんなつもりはございません」
何も聞かずにいることはマルガレーテ王妃にはできなかった。何の理由も無くこんなことを言い出すはずがない。それが王妃の不安をさらにかき立てた。不安を不安のまま置いておくほど度胸は無かった。一旦立ち上がったが、もう一度ソファに腰を下ろした。座った王妃に視線を当てながら、
「昨夜、アリサベル王女の"奥”の私室が3人の賊に襲われました」
懸命に無表情を保とうとする王妃の眉がピクリと動いた。王妃の後ろに立つ侍女長の顔にあからさまな不安が浮かぶのを宰相は見逃さなかった。
――この反応は、やはり、本当なのか?アリサベル殿下からの情報は――
「そ、それが如何したというのです?アリサベルには敵が多い。中には実力行使に出る者がいても不思議はありません。なにしろアリサベルは王宮の秩序を無視して成り上がったのですから。賊がアリサベルを害しようとしたからと言って、わ、わらわに何の関係があるのです?」
――急に声がうわずって饒舌になった。もう間違いないな――
「賊は暗部の者でございました」
「だ、だから、それが、わらわに何の関係があるのです!」
「暗部の者が、賊が口を割ったのです。長の、カルーバジタに命じられたと」
暗部の構成員が自白したと聞いてびっくりした。例え手足を一寸刻みに切り刻まれても口を割るような連中では無いはずだった。どんな手段を使ったのか知りたくも無い。
「今朝からカルーバジタを探しておりますが杳として行方が知れません」
同時に暗部の構成員が何名か行方知れずになっていた。
「だから、それが、わらわに、何の……」
「アリサベル殿下はカルーバジタの行方を断固として追求されるおつもりです。カルーバジタが逃げ切れると思えません。捕らえて処断されるでしょう」
“処断“という言葉に王妃がピクリと身を震わせた。侍女長は真っ青になっている。
「全ての責任はカルーバジタにあると、アリサベル殿下はお考えです」
王妃と侍女長が息を飲んでオルダルジェ宰相を見た。
――どういう意味だ?――
「陛下の崩御に心を痛められて伏せっておられる王妃殿下に、何か別のことができたなどとお考えではありません」
王妃は口をわなわなと震わせながら宰相の言葉を吟味し、考え込んだ。長い沈黙の時間を宰相は辛抱強く待っていた。王妃は懐からハンカチを取り出して額の汗を拭った。そのハンカチを強く握りしめて、
「わらわは、体調が、優れませぬ。とても、葬儀には、列席できませぬ故、良きにはからって……」
王妃の言葉に宰相は丁寧にお辞儀をした。相変わらずの無表情だったがどこか安堵している雰囲気があった。
「畏まりました。妃殿下におかれましては一日も早くご心痛から回復されることを、臣下一同心よりお祈り申し上げております 」
王妃はフラフラと立ち上がると扉の方へ歩いて行った。侍女長が慌てて開けた扉をくぐって宰相の執務室から出て行った。外に待機していて何も知らない侍女や近衛女兵が妙な顔をしたが侍女長が何も言うなと身振りで示して、”奥“へ引き上げて行った。
――これで良い。王室内の争いなど公表する必要は無い。これで次期王はアリサベル殿下に決まるだろうが、ひょっとしたらあの方が一番王位にふさわしいかも知れない。認めたくはないが、レフ卿やアルマニウス一門の補佐も期待できる――
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