第112話 マルガレーテ王妃

 マルガレーテ王妃がイライラと落ち着かなげに部屋の中を歩き回っている。ぶつぶつと呟きながら。


「あんな小娘、王になど……、絶対に」


 王妃の間、王宮の”奥“、王のプライベートエリアの中で一番広く、豪華な一室だった。帝国軍に王宮を占領され、それを回復してから元の部屋の内装、絨毯、家具、什器などを全て取り替えて、マルガレーテ王妃が使用していた。


「王妃様」


 呪詛の言葉を繰り返す王妃に心配そうに声を掛けたのは、輿入れしたときから仕えている腹心の侍女だった。これほどいらつき、焦る王妃を見るのは久しぶりだった。


「何とかならないのか、カルーバジタ」


 もう一人、部屋の隅の暗がりに気配薄く男が佇んでいた。暗部の長官、カルーバジタだった。


「折角帝国がドライゼール王太子の釈放条件を示してきたのに」


 帝国からの通告があったのは今朝だった。その後その条件を受けるかどうかで、互いにつかみかからんばかりの議論があったのだ。条件をそのまま受けて一刻も早く王太子を取り戻そうとする派と、帝国と交渉して身代金での釈放を主張する派と、こんな条件など断固蹴るべしと言う派に別れた。


 アンカレーヴの攻防戦は王国軍の勝利だった。最後にラタルダ街道での小競り合いで多少の損害を出したと言っても、この戦争全体を見れば王国側に天秤が傾いて来ている。当然のように第3の意見に与する者が多かった。長い戦いの中で多くの犠牲を払ってやっと見えてきた光明を手放すことなどできない。そんな事をすれば軍や国民たみの士気が保てないという論は説得力があった。


「あの条件は厳しすぎる、到底受け入れられないという人間が多うございます」


 ジルベール王子を推すグループもルクルス王弟殿下を推すグループも、勿論アリサベル王女を推すグループも呉越同舟だった。


 カルーバジタの言葉に王妃は唇を噛んだ。イライラと両手を上下させた。


「僅かな土地と交換に王を取り戻せるのよ、いったい何を躊躇っているの?」


 次期の王の身柄を取り戻すことが最優先ではないか。それも分からぬのか。王太子がいなければ傍流の出の王が誕生することになる。伝統のあるアンジェラルド王国に!


「要求された土地は広くはございませんが、ルルギアはアルマニウスの領都、リゼトスはディセンティア領とは言え、そこまでの土地の半分はアルマニウス一門の領、とてもカデルフ卿の受け入れるものではございません。シュワービス峠は故ゾルディウス王陛下が、アリサベル殿下に直々に守備を命じておられます。それを覆すのは前王陛下のご遺志を無視するものだと言われれば、反論のしようがありません。それに王国砦までを明け渡せば帝国にとって王国への門が開きっぱなしになっているも同然と主張しております」

「オルダルジェは?彼は確かアリサベルを女王にするなどとんでもないと言っていたわね」

であれば、でございます。宰相閣下がそのように仰られたのは、ゾルディウス陛下がご健在で、ドライゼール王太子殿下が帝国てきこくに捕らえられる前でございますれば。現状ではほぼカデルフ・アルマニウス卿に説得されかけております」

「何という、カデルフ・アルマニウスの出しゃばりが!たかが臣下の分際で王家の事情、ましてや登極のことに手を突っ込んでくるなんて」

「三大貴族家でまともに残っているはアルマニウス一門だけでございますので、常にもまして発言力が大きゅうございます」

「ディアドゥが生きていれば、アルマニウスごときに引っかき回されずに済んだものを……」


 ディアドゥの名が出て侍女が俯いた。エンセンテ宗家から付けられた侍女だった。マルガレーテ王妃はディアドゥ・エンセンテの姪に当たる。マルガレーテ王妃の母がディアドゥ・エンセンテの妹だった。そのマルガレーテ王妃がゾルディウス王の嫡男、次男を産み、エンセンテ一門の威勢がますます拡大するはずだったのだ。


「あの、小娘……、消えてくれないかしら」


 立ち止まって、しばらく空中の一点を見つめていた王妃が呟いた。部屋の明かりを受けて目が暗く光っている。


「マルガレーテ様!!」


 王妃の言葉に吃驚したように侍女が息を飲んだ。


「そんな?!」


 侍女の驚愕を無視して、


「事ここに至ってはそれしかないかと」


 カルーバジタはその言葉を予想していたかのように落ち着いて返した。王妃の性格を考えればそう言うことになると予想していた。既にその予想の元に準備を始めていた。これまでの経緯いきさつやエンセンテ一門、というよりディアドゥ・エンセンテ個人とカルーバジタとの繋がりを考えると、彼が王妃の派に入るのは必然だった。暗部全員にそれを納得させることはできないだろうが、彼が個人的に動かせるメンバーだけでも暗部の主力の半分にはなる。

 それに個人的にカルーバジタには帝国からの亡命貴族が不気味だった。腹の底まで見透かされそうな視線に、動揺を見せないようにするのに相当の努力を要した。部下としてあの男の前に立つ、などしたくはなかった。それは人としての存在の根底から浚えられそうな恐怖だった。アリサベル王女が女王になればあの帝国亡命貴族は王配になる。王配になればどこからどんな情報を引き出してくるか、分かったものではない。暗部の長など長く務めていると妙な勘が働くようになる。その勘が彼に警告を鳴らし続けていた。


 それにしても、とカルーバジタは思う。


――王国の高官達があの亡命貴族を警戒しないのは何故なのだ?――


 グリツモアやガストラニーブはまだ分かる。あいつらにとっては武勇が全てだ。戦功に関しては、アリサベル師団は文句の付けようがない。それが亡命貴族の力に依るのだと言うことは誰もが認めている。その上第3軍も海軍もアリサベル師団から供給された魔器に魅入られている。もはやそれ無しには戦ができないとまで考えているようだ。だからあの亡命貴族を良い戦友とでも思っているだろう。

 だがあの猜疑心の強いオルダルジェ宰相や、狷介な親衛隊司令官フォルティス下将も、あの帝国亡命貴族に丸め込まれているような態度だ。全く何を考えているのか、手に余る劇物が王国の中枢に居座るかも知れぬのに。


「アリサベル師団に守られているわね、暗部でなんとかできる?」

「アリサベル師団の、特にレフ支隊と呼ばれるコアは手強うございます。いまだに手の者を入れることができておりません」


 アリサベル師団には何人か潜り込ませたのだ。しかしレフ支隊には無理だった。アリサベル師団に潜り込ませて色々工作していた者が忽然と消える、そう言う例が5回も続くとさすがに無理だと判断した。これ以上変に刺激しても不味い。


「しかし所詮は軍、いくら表の戦場いくさばで強くても裏の戦で暗部に対抗できるとは……」


 真正面から挑めば同人数では勿論、こちらの方が2~3割多くても敵わないだろう。しかし闇の中なら、人の心の裏側なら、暗部が引けを取るとは思えない。


「ゾルディウス陛下の国葬までに何とかしなければならないのよ。間に合う?」


 国葬は2日後に迫っていた。次期の王位争いはともかく、喪主はアリサベル王女が務めることになっている。王国に残された最大戦力――アリサベル師団と第3軍――が支持したのだ。国葬の喪主をアリサベル王女が務めてしまえば、王女が次の王だと内外に示すに等しい。そうなってからでは遅い。


「はい」


 このような案件で暗部全部が無条件にカルーバジタに従うとは考えていなかった。しかし自分の腹心の腕利きだけでも、小娘一人を処理することくらいできるだろう、そのときカルーバジタはそう考えていたのだ。




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