第111話 捕虜
ガイウス7世が部屋に入ってきたとき、ドライゼール王太子は思わず姿勢を正した。それ程強烈な威圧感だった。俺は王族なのだという意地がなければ跪いていたかも知れない。
「アンジェラルド王国のドライゼール・バロディス・アンジェラルド王太子でございます」
同じ部屋に控えていた皇室書記官がガイウス7世に対してドライゼール王太子を形式的に紹介した。
「ガイウス・フェリケリウス7世皇帝陛下であられる」
これも形式的にドライゼール王太子にガイウス7世を紹介した。ガイウス7世とドライゼール王太子は初対面だった。肖像画を見たことはあったが、こんな威圧感を写し出せるようなものではなかった。王太子も目を引く長身だったがガイウス7世はさらに背が高かった。がっしりと鍛えられた体に豪華な鎧を纏った偉丈夫だった。腰に大ぶりな剣を吊っている。ガイウス7世の身長と同じくらいの長さがあった。
――あれが噂に聞く神聖剣か――
いつもは皇宮の玉座の後ろに飾られている神聖剣を出陣に当たってガイウス7世は腰に佩いていた。この戦争にかけるガイウス7世の決意を示すためだった。鎧に身を固め神聖剣を佩いたガイウス7世は常にも増して強烈な威圧感を醸していた。
王太子と皇帝という身分差にふさわしいだけ頭を下げたドライゼール王太子に、ガイウス7世の視線が突き刺さった。
国境の町アトレの、皇家一族が滞在するための館の一室だった。帝国内の皇家一族が訪れる可能性の有る街には彼らが滞在するための館が用意してある。勿論使われるのは年に数度、あるいは何年に一度と言った頻度の館が多いが、常に手入れされ、いつ皇家一族が来ても良いように整備されている。そして今、アトレの皇館は二人の皇族――ガイウス7世とドミティア皇女――を迎えて大忙しだった。
ドライゼール王太子は皇館の近くに建つ市庁の、半地下の牢に5日間閉じ込められた後、皇館の謁見室に連れてこられたのだ。半地下の牢はもともと身分のある人間を閉じ込めておくためのもので、居心地が極端に悪いわけではない。食事もきちんと出された。しかし衛兵も部屋の整頓をする老いたメイドも一言も口をきかず、大国の王太子という身分を考えると待遇が良いとは言えないものだった。
顔を上げないままドライゼール王太子は、ガイウス7世が自分を上から下まで、心の中を見透かすような視線を当てているのを感じていた。ふっとその視線が緩んだ。ドライゼール王太子は思わず息を吐き、肩の力を抜いた。
「お前が」
ガイウス7世の声が聞こえた。仮にも隣国の王太子を"お前“呼ばわりだった。
「王位に就くまで待っていれば良かったかな、そうすればこの謁見もアンジエームの王宮で行うことになっていたかも知れぬな」
ドライゼール王太子がアンジェラルド王国を統治していれば、もっと容易く王国を征服できたという侮辱だった。王太子は思わず目を上げた。見上げた玉座に冷笑を浮かべたガイウス7世が坐っていた。
「ゾルディウス2世が死んだぞ」
ガイウス7世が口にしたのはドライゼール王子には思いがけない言葉だった。
「お前が捕虜になったことを聞いて倒れたそうだ。おそらく頭の血管が切れたんだろうと医官が診断しているそうだ」
とっさにはドライゼール王太子には反応できなかった。60には近かったが未だ矍鑠としていたはずだ。どこか具合が悪いなどと言うことも聞いたことがなかった。
「それで後継者で揉めているそうだ」
ガイウス7世の声はどこか楽しそうだ。
「当たり前だな、王太子が捕虜になっているのだからな。まさか捕虜のまま王位に就けるわけにも行くまい」
いつの間にかドライゼール王太子が両拳を握っていた。部屋の中にいる護衛兵の体勢がいつでも打ちかかれるものになっている。
「順番通りだと未だ年端もいかない幼王の誕生だ」
自分の知らない所で事態が急速に動いている。歯噛みする思いだった。
「当然反対する勢力もいる。順番に拘って国を滅ぼすのかというわけだ。王弟のルクルスを押す勢力と、アリサベル王女を押す勢力だな」
不味い!ルクルスになってもアリサベルになっても俺の目がなくなる。ルクルスは父、ゾルディウス王と5歳違いだからそのうちくたばる可能性が有る。しかしアリサベルが登極してしまえば、よほどの失政が無い限り玉座を降りるなんてあり得ない。それにアリサベルのほうが若い。俺より長生きするだろうから、おれは一生冷や飯食いだ。だが、どうしてガイウスがこんなに詳しいのだ?
「ルクルスは半分引退していて、この戦争でも殆ど動いていない。アリサベル王女を押す勢力の方が強い」
継承順位もアリサベルより低い。しかし成人の、男の王が望ましいという勢力も一定程度は居るのだ。
「あんな、……女」
「所で早速こちらにも接触があった」
嘘だった。
「お前を釈放して欲しいというのが一つ、もう一つはお前を始末して欲しいというのだな」
ビクッとして思わず大声を上げそうになった。
「畜生め。人の留守に好き勝手を」
それでも思わず言葉にしてしまった。口の中で呟いたに過ぎなかったが。
冷静に考えればどちらの派もこんなに早く動けるはずがないことが分かる。同じ派に属していても属した理由は様々であり、立場も違う。派の意思が統一されるだけでも10日以上はかかる。まして敵国に使者を送るとなればその人選で又揉める。ドライゼール王太子が冷静になれなかったのは、例えばアリサベル王女が捕虜になった時、自分だったら帝国に接触するだろうという意識があったからだ。勿論、始末させるために。
またガイウス7世の視線が鋭くなった。
「シュワービス峠を、王国砦を含めて帝国に引き渡すこと、ルルギア周辺をそうだな、リゼトスまで帝国に引き渡すこと、それに帝国が費やした戦費を賠償すること、細かいことは下僚に打ち合わせさせるが、この条件でお前を釈放しても良い」
余りに一方的な条件だった。
「そ、そんな」
「お前の首をアトレの門前に晒すこともできるのだぞ。そうなったらアリサベルは喜ぶだろうがな。よく考えろ」
それだけ言うと、ガイウス7世は玉座の後ろの扉から出ていた。呆然としているドライゼール王太子を衛兵が促して元の牢へ連れて行った。
衛兵に引かれていくドライゼール王太子の気配を感じながら、側に控えるルサルミエ上級魔法士長に、
「今の条件を王国に通告しておけ」
「はい、しかしあの条件を王国が飲むでしょう?」
「無理を通して、あちらこちらに軋みを生じさせれば飲めるだろう。特に王妃の一派は先にレアード王子を失っているからな。なんとか王太子を取り戻したいはずだ」
「しかし……」
「飲まなければ飲まないで構わぬ。王妃一派とアリサベル一派の対立が先鋭になるだけだ。どちらにしても損はない」
王国が飲むかも知れないギリギリを狙った条件だった。ドライゼール王子をなんとしても取り返したい派は無理を承知で受け入れることを主張するだろう。これが王国の半分を寄越せなどという条件ならいくら王妃派が頑張っても不可能だ。ドライゼール王子にそれ程の価値を置かない派が承諾するはずはない。なんと言っても戦争がやっと王国に有利に傾いてきている時だ。まるで敗戦国のごときこんな条件を飲めるはずがない。結局はアリサベル派が勝つだろうが王国に不和の種をまければそれで良い。
「畏まりました、では早速に」
ルサルミエ上級魔法士長は丁寧に頭を下げたのだった。
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