第110話 王の退場 2
「継承順で行けばジルベール殿下であろう!それをあんな女が産んだ王女を押すなんて。カデルフ卿、貴方の魂胆が見え透いてますわ!」
アリサベル王女の母は三大貴族家に属さない中級貴族の出身だった。その美貌を噂されてそれを聞いたゾルディウス王に召し出されたのだ。大貴族の後ろ盾のない側室は”奥“に落ち着ける場所もなく、それでも王女を産んだが、王女が幼いうちに亡くなってしまった。それでアリサベル王女は王族としてはどちらかと言えば軽んじられてきた。下位の継承権を持っていても嫁ぐまでの箔付け――アクセサリー――に等しいと思われていたのだ。
「マルガレーテ王妃殿下。今は非常時です。王国は開国以来の危機にあります。未だ11歳であられるジルベール殿下ではとてもこの危機に対処できるとは思えません」
それがこの戦争の中でいつの間にかアリサベル師団を作り上げ、数々の戦功を上げている。高まっていくアリサベル王女の評判は、とてもマルガレーテ王妃に我慢できることではなかった。未だ成人もしていないジルベール王子ならともかく、アリサベル王女は例え一時的な代王という形であっても一旦王国のトップになってしまえば、そのまま正式に女王になってしまう可能性が高いことをマルガレーテ王妃でさえ感じていた。王妃にとってはなんとしても阻止しなければならなかった。
「然るべき人物が後見に付き、助言すれば良いのです!幸いオルダルジェ宰相を始めとして誠実で有能な補佐に恵まれております!ねえ、オルダルジェ宰相」
近くで懸命に無表情を維持している宰相にそう同意を求めたが、権力の行方が定まらないうちに旗幟を鮮明にできるほどの度胸は宰相にはなかった。彼は優秀な官僚だった。目的を示されて命令されれば、与えられた仕事は与えられた条件下で最良の結果を出す。しかし自分で方針を決め、国の行方を決める――幼い王の補佐と言うのはそう言うことだ――ことはできなかったし、それを自覚してもいた。
専ら議論しているのはカデルフ・アルマニウスと、ゾルディウス王の正妃で王太子の生母であるマルガレーテ王妃だった。他の側室達も1日に1度は顔を見せたが議論には加わらなかった。その中にはジルベール王子の生母、ベアトリス妃もいたが、むしろ顔を青くして、マルガレーテ王妃がジルベール王子の名を出すと首を小さく横に振っていた。政争のただ中に我が子がいて、どちらの言い分が通るにしろ、それが決してジルベール王子のためにはならないであろうことを本能的に悟っていた。特に代王に立てられたりしたら、ドライゼール王子が帰国したときに王位を剥奪されてどんな扱いになるか、不安しかなかった。ドライゼール王子はおそらく自分の代理で玉座に座っていた異母弟を疎ましく思うだろう。まして王である間無難に政務をこなして、そのまま王座にいることを望む勢力でも出てきたら、その争いの中でどんな目に遭うか分からない。それを口に出す勇気はベアトリス妃には無かったが。
いきなり王を失い、第一継承権者は
その過程において、大貴族の意向は無視できるものではない。特にこの戦争で3大貴族家のうち唯一無事に残ったのがアルマニウス一門と言うことになればその意向を無視することはできなかった。だから王妃としても何とか説得しようとしているのだが、議論は同じ所をぐるぐる回るだけだった。尤も王妃の説得はとても説得と言えるものではなかった。一方的な自分の立場の主張に過ぎなかった。カデルフ・アルマニウスも同じようなものだったが。
「それにジルベール殿下では代王であることが余りにあからさまです。将来的にドライゼール殿下が王位に付かれるなどと帝国が思えば
アリサベル王女を王位に就けて、ドライゼール王子をただの高位王族にしてしまえば解放されても良いとカデルフ・アルマニウスは考えていた。ドライゼール王子の解放なら身代金か、捕虜交換で何とかなる。尤も帰国できても、ドライゼール・バロディス・アンジェラルド王子には最早政治の表舞台に出ることはできないだろう。
こう言う自分の主張をぶつけ合うだけの議論がゾルディウス王が倒れて4日間、病室になった王の居室の控えの間で延々と続いていた。さすがに彼らも死の床にある王の枕元でこんな話をすることはなかったのだ。また大勢の使用人のいるところでの議論も避けていた。
不毛の議論が続く控え室に執事が入ってきた。先に気づいたのはカデルフ・アルマニウスだった。
「なんだ?」
誰何されて、執事は片膝を突いた。
「アリサベル王女殿下が、お見えでございます」
「殿下が!?」
「むっ」
王妃が不満そうに口をゆがめた。
「お通ししろ」
「待ちなさい!」
王妃が慌てて止めようとしたのに、
「王女殿下は陛下にお目通りの資格があるかと存じますが」
カデルフ・アルマニウスに言われて忌々しそうな顔で口を噤んだ。王宮にいた他の王族は一度は病室へは行って倒れたゾルディウス王の顔を見ている。当然アリサベル王女にもその権利があった。ジルベール王子も王が倒れた次の日に枕元に訪れて、12半刻ほどじっとゾルディウス王を見つめて、
『お父様……』
と呟いて部屋を出て行ったのだ。それ以降は顔を見せてない。マルガレーテ王妃も毎日控え室までは来るが病室にいる時間は僅かだった。時間がある限り控え室に留まり続けているのは、王の死を誰よりも早く知って以後の展開を自分に有利にしたいと思っていたからだ。カデルフ・アルマニウスも控え室までは日参していた。王族ではないため毎回病室に入るというわけにはいかなかったが、控え室にいる目的は王妃と同じだった。如何にも忌々しそうに見つめる王妃の視線を、平然と受け止めるだけの強かさもあった。
――報せて4日か、馬を使ったのだろう。とするとアリサベル師団の大部分はレクドラムに置いたままだな。1個大隊も連れて来たか――
カデルフ・アルマニウスの想像通り、部屋に現れたアリサベル王女は乗馬服のままだった。レフやイクルシーブ下将、護衛の兵などは王宮の奥エリアに入る手前で控えている。アリサベル王女は控え室にいる人達に硬い顔のまま会釈をして病室へ入っていった。王妃一人が自分の前で王妃に対する礼をしなかったアリサベル王女に吃驚していた。そして慌てたように王女に続いて病室へ入って行った。その後ろにオルダルジェ宰相やフォルテス下将、ロドニウス上級魔法士長、それにカデルフ・アルマニウスも続いた。ゾロゾロと入ってきた王族や高官達をみて、ベッドを取り巻いていた医官や看護官が後ろに下がった。アリサベル王女がベッドの横まで来て、
「陛下」
と声を掛けた。ジルベ―ル王子のように『お父様』と呼べるほど親密ではなかったのだ。
その声が聞こえたかのように、ゾルディウス王がかっと目を見開いた。医官、看護官達が息を飲んだ。倒れてから目を開いたのは初めてだった。それに気づいたオルダルジェ宰相達もベッドの近くに寄った。
「ア、アッ、……リサ……ベル」
しわがれた声はもう力が無かった。舌ももつれていた。それでも病室内にいる人々には、はっきり聞こえたのだ。
「王……国を、たの……」
そこまで言って目を閉じた。
「陛下!」
ただならぬアリサベルの声に医官が駆け寄った。
王の胸はもう動いてなかった。医官が脈を取った。
「ご、臨終です」
医官の声が低く、臨終を告げた。
「陛下!陛下まさか?まさかあんな女を後継になどと……」
静まりかえった病室に悲鳴のようなマルガレーテ王妃の声が響いた。オルダルジェ宰相もフォルティス下将も王妃から目を逸らした。
「私は認めません、認めません!」
再度そう叫んで、王妃は気を失って倒れこんだ。
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