第110話 王の退場 1
「何だと!」
ゾルディウス王は思わず椅子から立ち上がった。ガタンと重い豪華な椅子が動くほどの勢いだった。
「も、もう一度申してみよ」
一段高くなった王の席の前に、大きな机を挟んでロドニウス親衛隊上級魔法士長が畏まって立っていた。王宮内に設けられた作戦司令室には、他にオルダルジェ宰相、海軍司令官グリツモア上将、親衛隊司令官フォルテス下将、カルーバジタ暗部長官、などが詰めていた。王国と帝国、その周辺国を描いた大きな地図が机の上に広げられていた。ガイウス大帝が原図を作った地図はその後の変化を書き入れられ、今でもこれ以上の質のものは無いほど精密なものだった。彼らはその地図を前に、帝国軍を完全に王国内から追い出した後の方針について話し合っていたのだった。
そこへ 血相を変えてロドニウス上級魔法士長が飛び込んできたのだ、思いも掛けない知らせを持って。
ゾルディウス王の剣幕に押されるように、
「ド、ドライゼール殿下が、ほ、捕虜になられたと、通心がございまして、……ございます」
ドスンと乱暴にゾルディウス王が腰を落とした。口がわなわなと震えている。机の上で両手を握りしめた。
「捕虜に、……だと?ガストラニーブは何をしていた!?」
ガストラニーブ上将に指揮を任せていた。ドライゼール王太子を捕虜になる可能性が有るような所へ出すはずが無いと思っていた。比較的安全な所で適度に暴れさせれば良いと思っていた。そして、ガストラニーブ上将であれば、それができると。
「上将閣下は……」
「ガストラニーブは?」
「戦死なさったと」
「戦死……、だと?」
「はい」
思いも掛けない言葉を聞いて、かっと目を見開いた。
「ガ、ガストラ……」
ゾルディウス王は最後まで言えなかった。
「痛い!!」
突然両手で頭を押さえて前屈みに倒れ込んだ。大柄なゾルディウス王の体が床に転がった。周囲の者達が固まった。
王の顔から表情が抜けた。よだれを垂らし、体を丸めるとビクッビクッと痙攣した。
「「陛下!!」」
慌てて家臣達が駆け寄った。オルダルジェ宰相が傍らに座り込んで王の体に手を掛けて動かそうとしたとき、
「動かすな、医官を呼べ!」
叫んだのはカルーバジタだった。オルダルジェ宰相がビクッとして手を引っ込めた。司令部の下僚が弾かれたように部屋を飛び出ていった。ゾルディウス王は家臣達に囲まれて、目を閉じ、口の端からよだれを垂らし、時々ピクンピクンと体を震わせながら横たわっていた。
間を置かず、いつも王宮に詰めている医官達が駆けつけてきた。彼らは脈を取り、胸に耳を押し当てて音を聞き、まぶたを開いて瞳孔を見た。
「直ぐに部屋にお運びしろ!」
上級医官が命令し、担架が運ばれてきた。集まってきた医官と看護官が手慣れた様子で担架に王を乗せ、作戦司令部を出て行った。それを見送りながら上級医官は僅かに首を振っていた。
「陛下が?」
レクドラムに報せがもたらされたのはその日のうちのことだった。勿論箝口令がしかれていたがカデルフ・アルマニウス・ハーディウスには筒抜けだったのだ。カデルフ卿からベニティアーノ卿に通心があり、コスタ・ベニティアーノがアリサベル王女に報せた。
「どんなご様子なの?」
一応は心配そうに王女が訊いた。
「意識はなく、呼吸が不安定で、瞳孔の大きさが左右で不同だそうです。それにお
思いがけないほど詳しい病状の報告だった。
「それは……」
「危ない状態だね」
レフが王女の言葉を引き取って結論を言った。王女は別の意味でこの報告を恐ろしい思いで聞いた。王の枕元に詰めている医師の記録をそっくり見ているとしか思えなかった、カデルフ・アルマニウス・ハーディウスという男は。それはアルマニウス一門が王宮内に張り巡らせた情報網の深さと精密さを教えていた。
「王宮に駆けつけた方が良いのかしら?」
王女の問いに、その問いを予想していたかのようにコスタ・ベニティアーノが答えた。
「それは……、未だ正式には発表になっておりません。その段階で王宮に駆けつければ痛くもない腹を探られる可能性が有ります」
“痛い腹“のくせに。
「正式の発表になってから駆けつけた方が良いと?」
「はい」
確かにアルマニウスにしろ、アリサベル師団にしろ、王宮内に表に出せない情報網を張り巡らせていることを外に見せるのは不味い。
「でもそれだと、何もかもが収まってから私に連絡があるなんて事態も考えられるわね」
アリサベル王女とアリサベル師団は王宮内の、特に文官達に受け入れられているわけではない。オルダルジェ宰相などその最右翼だった。
――武を張ることしか知らない女――
と言う身も蓋もない評価があるのを王女自身も知っていた。内政や外交でどんな考え方や才能を持っているか示したことはない。戦場での勝利を積み重ねてきただけだった。勿論アリサベル王女を受け入れている文官もいる。アリサベル師団が王宮を取り返したとき、王宮内に囚われていてアリサベル師団に依って解放された者達が中心だった。王が逃げるときに置いて行かれるような者達だったから、高位の文官は少いが、実務レベルで有能な者が多かった。
しかしこのままでは、王女をつんぼ桟敷に置いたままゾルディウス王の後継問題を決められてしまう可能性が有る。いやその可能性が高い。
その懸念を口にする王女に、
「大丈夫です。明日カデルフ卿が王宮に行くことになっています。今回の戦の報償のことで、ゾルディウス陛下に直接呼ばれてお目に掛かる予定になっていましたから。さすがに陛下のご容態についてごまかし続けるのは無理でしょう。カデルフ卿から聞いたと言うことであれば不自然ではないと存知ます」
「そう、でも2~3日は待たなければいけないわね。レフ、付いてきてくださる?」
「勿論、喜んで。アニエスとジェシカを連れていきましょう」
「シエンヌは?」
「前回王宮内に入ったのは戦乱の中でしたから、王宮内の人々もじっくりとシエンヌを見る暇など無かったでしょうが、今回、私が連れて行くと大勢の目にさらされます。万一訓練生だった頃のシエンヌを見覚えている人間がいれば
王宮親衛隊の候補生だった頃のシエンヌは王宮内にいることが多く、休日も中で過ごすことが多かった。鎧を脱いで王宮内を動くにふさわしい格好になると顔も晒すことになる。シエンヌはその赤い髪と容姿でけっこう目立つのだ。知っている人間に見られて、背景を探られたりすれば厄介だ。
「それはそうね。でもそんな事を告げたら、シエンヌ荒れそうね」
「レクドラムとの通心要員としても必要ですから、納得してくれるでしょう」
「女は怖いのですよ、レフ様。上手く言いくるめてくださいね」
「言いくるめるなんてそんな……」
「多分明後日か明明後日にはレクドラムを出発することになります。それまでにお願いしますわ」
アリサベル王女は悪戯っぽく笑った。
結局大汗をかきながらレフはシエンヌを説得したのだった。何かアクセサリーに擬した魔器を贈ることと引き替えに。
シエンヌにそんなものを渡せばアニエスもジェシカも、さらにはアリサベル王女にも同じようなものを強請られるのは覚悟の上だった。シエンヌ、ジェシカ、アリサベル王女に渡したのは、転移用の魔器を補助する――転移の距離が2割ほど伸びる――魔器をネックレスに擬した物だった。アニエスにはレフと直接通心出来る魔器をブローチにした物を渡した。魔力が伸びたアニエスは、相手がレフなら短距離の通心ができるようになっていた。それらの魔器を4人に見られながら出発までに作り上げた。
――まあ、こう言った魔器をそのうち渡すつもりだったんだから、少し早くなっただけだ――
そんな事を考えながら一人一人に手渡したのだ。
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