第109話 追撃の失敗
「見えたぞ!!
アトレまで10里というラタルダ街道上だった。歩兵を急かしてルルギアから逃げ出した帝国軍を追っていた王国軍の、先頭に立っていた騎兵が大声を出した。200ファルほど先にゴトゴトと荷馬車が進んでいた。帝国兵も気づいて荷馬車の周りを歩いていた歩兵が立ち止まって王国兵に対して槍を構えた。慌てたように荷馬車は速度を上げて、先に進んで行った。
「やっと追いついたか!」
ドライゼール王太子が歓喜の声を上げた。
――この長い戦の中でやっと俺の出番が来た!――
追いついたら存分に暴れるつもりで、王太子の指揮する騎馬隊は追跡部隊の前方に位置していた。ドライゼール王太子の指揮する騎馬隊に引っ張られて、追跡部隊は行軍としては無茶な速度で進んできていた。補給物資どころか背嚢まで置いて、騎馬部隊に追従していたのだ。気が逸る王太子は度々追跡の速度を上げようとして、『歩兵がついて行けません』というガストラニーブ上将に何度も止められていた。さすがに騎兵だけで敵に突っ込むほど無茶ではなかったが、止められる度に舌打ちをして、もっと速くと急かしていたのだった。
「殿下、いけません」
今にも走り出しそうな王太子を止めたのはまたもガストラニーブ上将だった。速度を緩めた王国軍を見て、一度立ち止まって槍を構えた帝国兵が背を見せて荷馬車を追って逃げ始めた。
「見ろ、ガストラニーブ!
――あそこはっ!あそこは危ない――
ガストラニーブ上将はルルギアに駐留しているときに、帝国との国境手前までだったが、何度かラタルダ街道を参謀達を連れて踏破していた。地誌を知るためだけではなく、自分ならどう攻めるかどう守るかを考え、議論しながら歩いたのだった。
「殿下、あそこは危険です!罠の可能性が有ります」
「罠だと!?」
「見通しがききません、伏兵がいるかもしれません」
自分が敵将であれば必ずここに罠を張る。道が狭く、大人数が展開できないため、比較的少人数で大部隊を足止めできる。切り通しを過ぎたところは広く開けていて、しかもこちらからは見通しがきかない。
「伏兵だと?そんな余裕が
ドライゼール王太子は馬に拍車を入れ駆け出した。騎馬隊が王太子を護衛するように周りを囲み走りだした。
「いっ、いかん!王太子をお守りするのだ、続け!」
あわてて騎馬で王太子の後を追うガストラニーブ上将の命令に王国軍全体も走り始めた。ガシャガシャと金属のぶつかり合う音がする。ここまで急かされ通しで脚が重かったが、さすがに王太子と少数の騎兵だけを戦わせるわけにはいかない。重い脚を懸命に動かして騎兵の後を追った。
後20ファルで帝国軍とぶつかると言うときに、切り通しの出口に近い道に布陣した帝国軍から矢が放たれた。それを盾で防ぎながら10ファルまで近づいたとき、いきなり両側の崖越しに上から大量の矢が降ってきた。先頭を走っていた騎兵が斃される。王国騎兵に急ブレーキが掛かった。それを見て帝国槍兵が突撃してきた。いつの間にか数が増えている。見通しのきかない丘の向こうから次から次へわらわらと帝国兵が現れた。
「殿下をお救いしろ!!」
ガストラニーブ上将の声はもう悲鳴だった。素早くドライゼール王太子の側に馬を寄せた。
「お戻りください!殿下」
ガストラニーブ上将の声は帝国軍にも聞こえた。
「殿下だと!?」
「王太子だ、引きずり落とせ」
「獲物だぞ!」
自分を名指しして押し寄せてくる
「戻りますぞ、殿下!」
馬首を廻らせて戻ろうとしたときにガストラニーブ上将の体に2本の矢が突き立った。
「ガストラニーブ!」
思わず大声を出す王太子に、
「お戻りください!」
大声で返して、ガストラニーブ上将は落馬した。行き足の止まった王太子の馬に、回り込んだ帝国兵が迫った。慌てて再び速度を上げようとした時馬が竿立ちになった。馬の尻に矢が突き立っていた。落馬した王太子に帝国兵が群がり、拘束して引きずるようにアトレの方へ逃げ始めた。
「王太子が!」
王国兵が悲鳴を上げた。引きずられる王太子を追おうとして帝国兵と乱戦になった。荷車が一台引き返してきて、縛られた王太子を乗せて全力で逃げ始めた。
結局王国軍は4個大隊が守る切り通しを破ることができなかった。切り通しの道は狭くて一度に多くの兵を通すことはできず、王国軍は切り通しを出たところに布陣している帝国軍に対して兵力の逐次投入をやらざるを得ない羽目になった。
丘は100年以上前に帝国が造った土塁だった。高さはたいしたことは無いが南側――王国に面した側――はやたら急峻で足下が悪く、追跡に疲れた王国兵の脚では乗り越えられなかった。王太子が捕らえられて、ながく横に伸びた土塁を回り込む余裕もなかった。
矢傷を受けたガストラニーブ上将は重傷で意識がなく、以後の第三軍の指揮は次席のトレヴァス中将が執ることになった。
王国軍はトレヴァス中将の指揮で、拙速に何度か切り通しの向こうに兵を送り込もうとしてそのたびに損害を出した。ドライゼール王太子が率いていた騎兵は、500の数を200に減らし、残った兵も殆どが負傷していた。歩兵は背嚢さえ置いて言わば身一つで来ており、長期戦に耐えられるものではなかった。体力のある内にルルギアへ引き返さなければ今度は彼らが追われる立場になる。しかし王太子が
「上将閣下が」
息が切れて一息で言えなかった。腿に手を突いて肩で息をしている。
「上将閣下がどうした?」
「上将閣下が、目を、覚まされました」
「「「なに?」」」
「それで、じ、上将閣下がトレヴァス中将閣下を、お呼びです」
トレヴァス中将は司令部の要員を引き連れて、ガストラニーブ上将が手当を受けている区画へ走っていった。医官に囲まれてガストラニーブ上将が入り口の方へ半眼で目を向けていた。
「ガストラニーブ上将閣下!」
呼びかけられてはっきりと目を開けトレヴァス中将を見た。
「トレヴァス中将、……ル、ルルギアへ、退け」
思いがけない言葉にトレヴァス中将も司令部の要員も息を飲んだ。
「し、しかし、ドライゼール王太子殿下が
「ミケーレ・……トレヴァス中将!」
フルネームで呼ばれてトレヴァス中将は姿勢を正した。
「はっ!」
「ルルギアへ退け。命令……だ!」
上将は不規則に苦しそうな息をしている。顔色も悪い。しかし、命令の言葉ははっきりしていた。
「はっ、了承しました!」
トレヴァス中将の返事にガストラニーブ上将は口角を上げて笑った。そして目を閉じた。
トレヴァス中将はルルギアへ帰還する命令を出した。帝国軍は追ってこなかった。彼らも体力ぎりぎりだったのだ。それに狭い切り通しから出ると数に勝る王国軍に勝つのは難しい。王国軍がルルギアに帰り着いたのは深夜だった。
担架に乗せられて帰ってきたガストラニーブ上将はその体がルルギアの市壁を越えたときに息絶えた。
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