第108話 アルマニウス一門-その2
『第三軍は帝国軍を追え』
と言う命令をガストラニーブ上将は困惑して聞いた。その困惑をさらに深めたのはアリサベル師団にはレクドラム帰還の命令が出たことだった。
『アリサベル王女には、レフ・フェリケリウス・バステアに降嫁するときにレクドラム周辺のテルジエス平原北方三分の一を、化粧料として与える。その整備を急ぐように』
テルジエス平原を根拠地とするエンセンテ一門は宗家当主と領兵の多くを失い、その力は大幅に落ちている。特に北方は帝国との戦いで荒れ、領主を亡くした領も多い。だからテルジエス平原の一部をアリサベル王女に下賜するというのはリーゾナブルと言って良かった。しかしそれを口実に自分の旗下からアリサベル師団を剥がされた、という思いをガストラニーブ上将は持たざるを得なかった。
――今度こそ、俺が手柄を立てるのだ――
というドライゼール王太子の言葉が聞こえるようだった。追跡戦にガストラニーブ上将が積極的でなかったのは帝国軍にはまだ第2師団――ディアステネス上将の手飼いだ――と帝都師団が無傷で残っているからだった。2個師団では再び王国に侵入するには足りないだろうが、国境で防衛することに徹するなら十分な戦力だった。ましてディアステネス上将が帝国軍最上位として指揮を執るだろう。
――王太子殿下の手綱を引き締めなければならないが……――
手綱など掛かっているのだろうか?
「再び我が領に殿下をお迎えできて、光栄の至りにございます。まして今回は婚約者であられるレフ・バステア殿と共にお見えになりこれに勝る喜びはございません」
「度々の歓待、感謝いたします、カデルフ・アルマニウス・ハーディウス卿。また、我が婚約者であるレフ・バステアを卿に紹介する機会を得て私も本当に嬉しゅうございます。それでは乾杯といたしましょう。乾杯!」
「「「乾杯!」」」
再びアルマニウス宗家領のマヴィラだった。カデルフ・ハーディウスが、アリサベル師団がレクドラムへ帰る時に招いたのだ。屋敷のホールには前回と同じように馳走が並べられ、屋敷に入りきれなかった師団兵にも酒と料理が振る舞われていた。どの出席者とも顔を合わせ、話ができるようにという配慮から立食形式の宴だった。くだけた形式の宴で、個人的に親しい者を多く作り、アリサベル師団とアルマニウス一門の繋がりを強めようという意図もあった。それでも自然にそれぞれの陣営での立場が釣り合う相手同士がいつの間にか固まって喋ることになる。身分違いの人間の側に寄っても話題がないのだ。
「ホールが以前より広いようだが……」
というザイデマール千人長の感想に、その相手をしていたアルマニウス宗家の執事長カディアスが心得顔で、
「大急ぎで広げましたので……、1階はこまごました部屋を全て取り払ってホールにしましたから」
「それは又、大がかりな」
「なに、戦勝祝いをアリサベル殿下を招いてここで行うことはほぼ既定のことでございましたから。本当は新しい屋敷を建てたいくらいでございましたが、さすがにその時間はございませんでした」
アルマニウス一門からの出席者も含めて誰もが上機嫌だった。アリサベル王女側の人間はテルジエス平原の下賜を聞いてアリサベル王女の基盤が堅固になったことに、アルマニウス一門はこれから力を増すであろうアリサベル王女と懇意になり、その後ろ盾になれそうなことに満足していた。
「お初にお目に掛かります。レフ・フェリケリウス・バステア殿、カデルフ・アルマニウス・ハーディウスと申します。アルマニウス一門の当主を務めております」
カデルフ・ハーディウスをレフに紹介するために連れて来たのはコスタ・ベニティアーノだった。これが初対面になる。
「これはご丁寧に。ご招待有り難うございます。私のことはレフ・ジンと認識して頂ければ……、母が新しい家名を立てたものですから」
出された右手を握り返しながらレフが答えた。カデルフ・ハーディウスは、レフが名乗りから家門名を抜いたことに気づいた。
「レフ・ジン……殿。それでは最早フェリケリウスの名はいらぬと?」
「はい」
「それは又剛毅な、世界で最も権威ある一門名をお捨てになるのですかな」
「最早、個人的に知っている者とておりませぬ。一門名より母の立てた家名のほうが大事ですので。それにアリサベル殿下もフェリケリウスを名乗るのはお嫌でしょう」
カデルフ・ハーディウスが破顔した。
こんな人の良さそうな表情もできるのね、とレフの横に立っているアリサベル王女は思っていた。王宮にいると三大貴族家の当主と会う機会もあった。
ディアドウ・エンセンテはいつも鋭い目つきで王族を見ていた。常に相手を値踏みしているような目だった。
――産まれてから笑ったことがあるのかしら――
ダグリス・ディセンティアは王族の女性など目に入っていなかった。彼の話題は海のことばかりで、船乗りにならない女子は、王族と言えど話し相手ではなかった。潮風に焼けた顔は必要なとき以外は王宮に出入りしなかったし、用事が済めばさっさと退出した。さすがにすれ違うときなどは礼をしたがそれだけだった。
カデルフ・アルマニウスは3人の中では一番王宮で会うことが多かった。会えば礼儀正しく挨拶したが、声は平板で儀礼以上の表情を見せることはなかった。
――それが、この柔らかい表情と声、思わず信頼してしまいそう――
「それでは、レフ・ジン殿と呼ばせて戴きましょう。此度のご活躍見事でございました」
「お褒め戴き、恐縮です」
――レフも穏やかに笑顔で応じている。でも内輪の人間に見せる表情と声ではないわね――
「その上、我が一門の面目も立てて戴いて感謝いたします。おかげで3000の捕虜を得ました」
ルルギアに逃げる帝国軍をクインターナ街道で迎え撃つのにアルマニウス領軍を加えたことを謝していた。コスタ・ベニティアーノを通じて誘ったのだ。アリサベル師団4000だけでは手に余る可能性が有ったからだ。同じような懸念をガストラニーブ上将ももっていて、アルマニウス領軍がアリサベル師団の補助に入ることを許可した。敗残兵への横撃とは言ってもアルマニウス領軍は存分に働いた。それを見ながら、カデルフ・ハーディウスは頬を緩めていた。この戦役で領軍の挙げた軍功としては第一と言って良かった。
「ダスティオス上将を捕虜にしたのもアルマニウス軍と聞いております。お手柄ですね」
「あれは、運が良かったのでしょうな。我々が打ち掛かったまさにその場所に上将がいましたから」
そのタイミングで攻撃命令を出したのだ。ダスティオス上将が市門を出たときから、マークしていた。実際にマークしていたのはダスティオス上将ではなく、側に付き従っていた数人の上級魔法士長クラスの魔法士だったが。
強い魔力を持つ魔法士は高級将校の側にいることが多い。それがたまたまダスティオス上将だった。魔法士と周囲の兵を排除するのに手こずって多少の損害を出したが、ダスティオス上将を捕虜にすることに成功していた。
「ところで」
カデルフ・ハーディウスはアリサベル王女、レフ、ベニティアーノ卿に順番に視線を回してからやや声を落として、
「イクルシーブ准将の下将への昇任の内示が出たとお聞きしましたが」
未だ内示の段階で知っている人間はごく少ないはずの情報だった。カデルフ・ハーディウスのもつ王宮内での情報網の緻密さを思わせた。
――本当に油断がならない人ね――
「はい、陛下から内々にそう言われてますわ」
「すると、アリサベル師団が正規師団になると考えてよろしいのですかな?」
――知っているくせに――
「ええ、正規師団としてシュワービス峠の管理を承ることになっています」
「重ね重ね、おめでとうございます。殿下がテルジエス平原の北に領を構えられれば、テバ河を挟んでアルマニウスとは隣同士、これからも是非よしなにお願いしたいものです」
「私の方こそよろしくお願いいたしますわ。これまでもアルマニウス一門にはコスタ・ベニティアーノ卿、アンドレ・カジェッロ卿など大変世話になっております。何しろ領の経営などしたこともない若輩、カデルフ卿には色々と教えてもらうことが多そうですわ」
「できるだけの協力は致しましょう。我が一門の総力を挙げて」
「よろしくお願いしますわ」
「はい」
恭しく、カデルフ・アルマニウス・ハーディウスはアリサベル王女に臣下の礼をした。
このままテルジエス平原の北方にアリサベル王女の領ができると、これまでの三大貴族家に匹敵する力を持つ貴族家ができる可能性が有る。その軍事力はアリサベル師団が正規師団となってシュワービス峠を管理するようになると、国軍に匹敵する精兵になる。これまでの実績を考えると領軍としては飛び抜けた力を持っている。これはどちらにとっても当面利のある同盟だった。今たまたまアリサベル師団に属しているベニティアーノ領兵、カジェッロ領兵は当面そのままにしておこう。アンドレ・カジェッロなど特にレフに目をかけられているようだ。折角の繋がりだ、大事に扱おう。
10年後、20年後のことは分からなくても、ドライゼール王太子がおそらく帝国軍の反撃に押し返されるだろうという予測の元で、その後に続く混乱には共同して対処することが約束されたのだった。
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