第106話 アンカレーヴの戦い 4

「さて、陛下は避難された。我々も出るぞ!」


 ダスティオス上将が司令部の要員達に声をかけた。


「通常任務を解く。各自が最善と思う方法でできるだけ多くの味方をまとめろ。東門への道を作るぞ!目指すはルルギア、陛下のもとへもう一度戻るぞ!」


 司令部にいた帝国軍高級将校達は弾かれたように動き始めた。敗戦だからと言って義務から解放されるわけではない。




「アウレンティス下将」


 近衛連隊の所へ急ごうとしていたアウレンティス下将を呼び止めたのは、第1師団司令官のクトラミーブ下将だった。慌ただしく人が出て行って空になった司令室で、クトラミーブ下将はアウレンティス下将を隅の方へ導いた。アウレンティス下将は落ち着かなげに周りを見回したが、クトラミーブ下将の方が先任だったため無碍にもできなかった。クトラミーブ下将に視線を当てて、


「急いでいる、手短に頼む」

「卿はこの脱出戦、どの程度成算があると思われるかな」

「成算?」


 何を言おうとしているのか分からなかったがグズグズしている時間は無い。


「1/4も脱出できれば上々だろう」


 端的に言い切ったアウレンティス下将に、我が意を得たようにクトラミーブ下将が頷いた。


「そうだ、非常に分が悪い戦になる。だができるだけ多くの将兵を脱出させなければならない」


 何を言っている?と言う顔で自分を見つめるアウレンティス下将に、


「それも出来るだけ精強な兵を脱出させたい」

「だから?」

「今の帝国軍われわれの中でもっとも精強なのは第1師団と近衛連隊だ。しかも共に纏まって待機している」


 近衛連隊はガイウス7世の護衛が主任務だ。つい先ほどまでガイウス7世は司令部にいたからその近くに待機している。第1師団はガイウス7世が直接指揮をするときに使う師団だ。だからこれも近くに待機している。他の師団のように分散してアンカレーヴの守備に割かれていない。


「まさか、他の師団を囮にして近衛と第1師団を脱出させようというのか?卿は」


 アウレンティス下将の口調に非難めいた色が付いたがクトラミーブ下将は気にしなかった。こんなことを言い出せば一本気なアウレンティス下将がどんな反応をするか当然予想していた。


「そうだ。できるだけ多くの精強な正規軍を脱出させなければ帝国は保たない。今取れる最良の手段を執るべきだ」

「そ、そんな、ことが……」

「やらざるを得ない!近衛が付いてこなくても第1師団だけでも俺はやるぞ」


 迷っている時間は無い。アウレンティス下将にも分かっていることだ。最良の方法が決して意に沿うものばかりではないことは。落ち着かなげに首を2~3回振って、


「分かった。卿に従おう」

「よし、まずは東市門を確保しなければならない」


 アウレンティス下将が頷いた。


「それを近衛連隊にお願いする。第1師団はできるだけ多くの兵を東市門に誘導して確保した門から逃がす。クインターナ街道へ騎兵を使って誘導する」

「それでは第1師団が殿しんがりになるのでは?」

「そうだ、クインターナ街道で王国軍と脱出した将兵達が衝突するまで待つ」


 卑怯に友軍を囮にしようとしているだけではないことが窺えた。


「クインターナ街道で待ち伏せしている王国軍が我々に構う余裕がなくなった時を見計らって我々も脱出する。街道を取らずに南の方へ行く。大回りになるがアガテア平野を踏破してルルギアに行く」

「殿の第1師団を王国軍が見逃すとは思えないが……」

「第9、10、11、12大隊を第1師団の殿にする」


 第1師団は増強師団だ。通常10個大隊編成の1個師団が12個大隊編成になっている。そのうち4個大隊を本当の殿にして残りの8個大隊を脱出させようというのだ。


「綱渡りだな」

「そうだ、脱出のタイミングをルサルミエ上級魔士長と近衛のヴァフリーダス魔法士長に計ってもらう。それに東市門の確保は絶対だ。近衛連隊にお願いする」

「分かった。我々は我々のやるべきことをやる」


 アウレンティス下将が右手を差し出した。それを握り返しながら、


「絶対に成功させるぞ。むざむざと王国軍などに討たれてなるものか」


 2人の下将はその決意を胸にそれぞれのやるべきことをやるために別れていった。





「出てくるぞ!」


 レフの声に反応するかのように東市門から帝国騎兵が姿を現した。東市門の周囲に展開していたディセンティア領軍と海兵を排除しながら騎兵の協力を得た近衛連隊が東市門を確保した。確保された門から次々に帝国兵が飛び出してくる。クインターナ街道を東に向かって駆け始めた。護衛するようにその周りを騎兵が固めた。街道を外れて走る兵もいたが地面が凸凹で走りにくい。直ぐに街道に戻る。騎馬だけで固まれば街道を外れてもそれなりの速度で走れる。しかしそれでは歩兵を置いていくことになる。騎馬の多くは歩兵と一緒に街道を走った。


 逃げ出した帝国兵は狐につままれたような心地になった。思わずキョロキョロと左右を見回した。東門の外にはアリサベル師団最強の敵が布陣していると聞かされていた。なのに半里も走ったのに何の反応もない。それでも足を止めることは出来ない。後から後から出てくる帝国兵みかたに先の方を行く部隊は押されるように走った。

 そろそろ息が切れて脚がもつれる頃になった時、いきなり街道の両側から矢の雨が降った。街道脇にわらわらと王国兵が現れて、横から打ち掛かってきた。草地に擬装した布を被っただけで隠れていたアリサベル師団とアルマニウス領軍を、疲れ切った帝国兵には見破るができなかったのだ。街道上で乱戦になった。騎兵の一部が歩兵の護衛を放棄して全力で駆け始めた。100騎余りの騎兵が歩兵同士の戦闘から200ファルも離れたとき、目の前にいきなり馬防柵が立ち上がった。道に伏せてあった柵が両側から綱で引っ張られて立ち上がったのだ。たった一重の柵などそのまま踏み越えてしまえば良かったが、前の方を走る騎馬の殆どが急ブレーキをかけ転倒した。そこへ後続が突っ込んできて混乱したところへ矢の雨が降り、王国兵が襲ってきた。


 街道上の乱戦を横目に東市門から第1師団と近衛連隊の生き残りが飛び出してきて、南へ向かった。レフと、転移でアリサベル師団の陣に戻っていたシエンヌ、ジェシカ、それにアリサベル王女は南に逃れる帝国軍に気づいたが、街道沿いで乱戦になっている王国兵をそちらへ向けることはできなかった。クインターナ街道上で戦っている王国軍と帝国軍は、勢いに差があるとは言っても人数的にはほぼ拮抗していたのだ。兵を割ると帝国軍の勢いが戻る可能性が有る。




 結局、3日後までにルルギアにたどり着いた帝国兵は強引に馬防柵を突破した50騎余りの騎兵と、最初から街道を辿らずに歩きにくい平原を何とか踏破した第1師団と近衛連隊の合わせて7500人の歩兵、それに奇跡的にクインターナ街道を逃げ切れた1500人余りの歩兵だけだった。他の師団を囮にしても第1師団も近衛連隊も半数を脱出させるのが精一杯だったのだ。疲れ切った第一師団と近衛連隊からは500人余りが脱出行の途中で脱落した。食料も足りなかったし、負傷している兵も多かったからだ。最初の内こそ周りの味方に支えられてついて行っていたが、支える味方も体力を使い果たして倒れるようになると、まだ動ける兵だけが先に進むようになった。脱落した帝国兵は追ってきた王国兵か住民達に捕らえられたが、住民達に捕らえられた兵の運命の方が悲惨だった。帝国の横暴な占領に我慢させられてきた住民の鬱憤を晴らす対象になったからだ。クインターナ街道沿いの、あるいはアガテア平野の中の立木の枝に吊された帝国兵ストレンジ・フルーツが何体もみられた。




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