第106話 アンカレーヴの戦い 1

 それに気づいたのはアンカレーヴの東市門の望楼を固めていた帝国兵だった。


「何だ、あれ?」


 彼が指さす方を同僚の兵も見た。彼らの視線の10ファルほど上空をキラキラと陽を反射しながら飛んでくる物があった。帝国兵達の視線の先を飛び越えたはそのまま街の上空を飛んでいき、街の北寄りに落ちていった。


「何だったんだ?」


 帝国兵が顔を見合わせて互いに肩をすくめたとき、それが落ちた辺りから猛烈な炎が立ち上った。


「火事だーっ!!」


 周囲にいた兵士達が慌てて逃げ出した。木造家屋の密集した所に落ちた発火の魔器はたちまち周囲の建物を燃え上がらせた。


「消せっ!!」


  周囲の兵士達が右往左往していると、今度は別の所で炎が立った。続けて3発目、4発目……、アンカレーヴの街に一定の間を置いて、あちらこちらで火の手が上がった。火事は狙ったように木造家屋の密集地と広場――補給物資の輸送馬車が置いてある、また天幕を張って補給物資が集積してあるところ――で起こった。


 その後も一定の間隔を置いて合計60個余りの発火の魔器がアンカレーヴの街中に降り注いだ。帝国軍に消火の用意があるわけもなく、燃え広がるのを防ぐため燃えている家の周りの建物を壊すことくらいしかできなかった。市壁の上で王国軍の攻撃に備えている兵達を多く消火に回すわけにも行かず、消火は後手後手に回り、結局燃える物が無くなるまで火事は消えなかった。


 王国軍はアンカレーヴの西1里ほど離れて陣を敷いていたが、街の中で帝国軍が大わらわで火事を消しているのを横目に動きがなかった。派手に街が燃えているのは市外からも見えるはずなのに動かない王国軍は、帝国軍にとって却って不気味だった。


「畜生、寝るところがなくなってしまったじゃないか」

「それより、喰いもんも予備の武器も焼けっちまったぜ。どうすんだこれ?」

「厩舎もあらかた焼けっちまった。かわいそうに随分焼け死んでるぜ」



 将校達が寝泊まりしている、元は貴族や大商人の館は石造りが基本で、発火の魔器による損害はあまり受けてなかったが、兵達に割り当てられた庶民の家は木造が多く、火事や、消火のための破壊で無事な建物は殆ど無くなった。天幕内や野積みで保管されていた補給物資も、慌てて石造りの建物の中に運び込んだが半分ほどは使い物にならなくなっていた。木造だった倉庫も建物が大きい分火が回ると手の付けようがなく、中の物資ごと燃え尽きてしまった。厩舎にいた馬たちも、騎兵が必死に外に誘導したが半分以上が焼け死んだ。帝国軍の兵士達は焼け跡を漁り、少しでも役に立ちそうな物を集めるしかなかった。




「損害は?」


 日が暮れて、取りあえず王国軍の大規模な軍事行動の可能性は低くなって帝国軍は夜間の警戒体勢に入った。ガイウス7世も1日中詰めていた前線司令部から引き上げていた。前線司令部でも報告は受けていたが、日暮れとともに常設司令部に引き上げるときに、まとめた報告を上げるようにルサルミエ上級魔法士長に命じていた。その報告を待つまでもなく通る道筋に見た焼け跡はその日の物質的な損害が、王国軍と闘う前にもかかわらず、大きいことを教えていた。


「騎兵を除けば人員の損害は少のうございます。最初のうちは訳も分からず近寄って焼かれる兵もおりましたが、落ちてから発火するまでに幾ばくかの時間があることが分かってからは軽い火傷くらいで済んでおります。ただ騎兵は焼ける厩舎に飛び込むなどしてかなりの死傷者を出しています。全部で100人以上の死傷があり、死者は31名にのぼっております」

「物資はどうなった?」

「倉庫に入れていた物と、荷馬車に積んでいたままにしてあった物については殆ど焼けてしまいました。特に食料の損害が大きく、40日分の備蓄が10日分ほどに減っております」

「10日分か……」


 帝都師団と第2師団の到着にぎりぎり間に合うくらいか。持ってくる補給物資を増やすように連絡すれば何とかなる。


王国軍てきは魔器を使ったのだな?ディアステネスがアンジエームで補給物資を焼かれたと言っていたが、その類のものだろう。消すことはできなかったのか?」

「魔器そのものは水をかけても、天幕を何重にもして覆い被せても消せなかったと報告を受けております。魔器の燃える時間は短うございますが炎は大きく熱く、手が付けられなかったと」

「そうか、発火を防ぐ手立てはないのか」

「飛んでくる魔器を弓で落とそうとした部隊がおります、陛下。東の望楼近くにいた弓士の部隊でありますが」

「弓で?」

「はい」

「当たったのか?」

「おそらくまぐれに近いかと思いますが1個当てて落としました」

「回収したのか?」

「はい」

「見せてみろ」

「陛下!危のうございます」


 横から思わず声を出したのはアウレンティス近衛連隊司令官だった。ガイウス7世はルサルミエ上級魔法士長に向かって、


「危ないのか?」

「矢が当たって割れております。法陣紋様はもう機能できないかと思われます。我々が確保してから、何人もの魔法士が魔力を紋様に通そうとしてできずにおります」

「お前も試したのか?」

「はい」

「ならば良い。余にも見せよ」


 直ぐに通心を受けた魔法士が魔器を持ってきた。ルサルミエ上級魔法士長から魔器を渡されたガイウス7世がその魔器を目の高さに持ってきた。半分に割れた円盤状の魔器だった。割れる前の大きさなら直径15デファルほどだろう。


「こいつが……」


 ガイウス7世から見ても精緻で美しい紋様が描かれた魔器だった。壊れたふちで乱暴に紋様が途切れている。魔器の土台は綺麗に磨かれたガラスだった。


――イフリキアの魔器と製造つくりは同じか。やはり母子おやこなのだな――


 指を紋様に当てて軽く魔力を通してみた。既に魔法士達が試していると聞いていたから何気なくやってみたのだ。一瞬魔器が光り、ガイウス7世は慌てて魔器を投げ落とした。床に転がった魔器はさらに強い光を発して、直ぐに暗くなった。部屋にいた者が思わず目を覆うほどの強い光だった。ガイウス7世も恐る恐る目を覆っていた手をどけて、目を開けた。未だ視野の真ん中に光の残像が残っている。


「何だ、一体。壊れているのではないのか?」

「わ、私どもがいくらやってもうんともすんとも言いませんでした。まさか未だ……」


 ルサルミエ上級魔法士長が床に落ちた魔器を取り上げた。紋様を描いていた魔導銀線が蒸散して無くなり、円盤に残された浅い溝が見えた。


「もう一度見せてみろ」


と言われて、ルサルミエ上級魔法士長が魔器の残骸をガイウス7世に渡そうとしたとき、ズガガアァァ~ンという音が聞こえた。同時に床が少し震えた。


「「「何だ?いったい」」」


 何人かが思わず声を出したとき、間を置かず、またズガガアァァ~ンという音が聞こえた。今度は少し遠いようだ。訳も分からず互いに顔を見合わせたとき、血相を変えて魔法士が部屋に飛び込んできた。


「ばっ、爆発です!市庁舎の玄関が吹き飛んでおります」


 司令部は市庁舎に置いてある。


「陛下、地下へ!地下へ避難してください!」


 ルサルミエ上級魔法士長とアウレンティス下将、第1師団司令官クトラミーブ下将が同時に叫んだ。


「地下へ?モグラのように潜れというのか」


 不機嫌そうに渋るガイウス7世に、


「王国軍の、いや、アリサベル師団の攻撃です!爆発であれば地下の方が安全です。どうか速く」


さらに言い募るアウレンティス下将に、チッ、とガイウス7世が舌打ちをした。又爆発音が聞こえた。今度はもっと近くで、部屋のガラス窓が砕けた。


「陛下を、地下へお連れしろ」


 ガイウス7世を近衛兵が囲んで、急いで移動を始めた。その間も遠く、近く爆発音が続いた。




――帝国軍の眠れぬ夜の始まりだった――






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