第105話 帝国軍本営

――その翌朝――


 アンカレーヴの帝国軍司令部の奥まった1室、ガイウス7世執務室に付属した会議室の定席――一番奥まった、執務室に続く扉に近い席――にガイウス7世が坐って無表情に報告を聞いていた。報告しているのはルサルミエ上級魔法士長で、周りで親征軍幹部達が同じように無表情で報告を聞いていた。


「………レドランド、デルーシャ両軍の壊滅の顛末は以上であります」


 ルサルミエ上級魔法士長が淡々とした口調で報告を終えた。夜の間に帝国軍の横に展開していたレドランド軍とデルーシャ軍が日向ひなたの淡雪のように消滅していた。当然レドランド、デルーシャの陣で戦闘が行われていることは帝国軍に把握されていた。明るくなっても戦闘が続いていれば状況に応じて援軍を出す予定だった。2国の軍を督戦して敵の戦力を削る事が出来れば上々と考えられていたからだ。戦場はディセンティア領軍にとってはホームグラウンドで夜でも何とか動ける。しかし地理に詳しいわけではない帝国軍にとっては、夜に大規模に軍を動かすことは無理だった。明るくなったらと思っていたが、それまでデルーシャ、レドランドの軍は保たなかったわけだ。


 報告を聞き終わってガイウス7世は軽く舌打ちをした。以前にはなかった態度だった。アンカレーヴに到着以来、王国軍てきの情報が少ないことにイライラしていた。魔器と旧来の魔道具の性能の差に我慢ならなかった。ガイウス7世であれば魔器無しでも魔器を持った上級魔法士長並みの探査・索敵ができる。その分王国軍の様子が以前より分かるようにはなったが、ガイウス7世一人ではカバーできる範囲は知れている。それにガイウス7世を探査に貼り付けるわけにも行かない。遠くへ出した偵察隊はほぼ帰ってこない。王国軍と帝国軍の情報の差は埋まっていなかった。


「そうか、もともと期待などしてなかったが、あの2国では損害担当にもならなかったか」

「王国軍の損害は軽微であろうかと思われます。レドランドもデルーシャも殆ど抵抗らしい抵抗もせずに陣を放棄しております」

「ソコーテフからの連絡が途絶えたことは伝えてあったのだろう?ディセンティアに対して構えていなかったのか?」

「軍監として派遣しておりましたプレカスタ中将の話では、まさかその日のうちにディセンティアが襲ってくるとは思ってなかったようです。それに、確定した情報ではありませんが、ディセンティアの領軍だけでなく王国海軍の海兵がいたようです」


 プレカスタ中将は禄に抵抗もせず脆くも崩れていくレドランド、デルーシャの軍にあきれながら、這々の体で引き上げてきた。情報を持ち帰ることを優先しろという命令がなければ、グズグズと逃げ遅れたかも知れない。


「そうか、第2師団のテンストークに連絡しておけ、ルルギアの近くを通るレドランド、デルーシャの将兵がいれば拘束しておけと。敵前逃亡だ」


 処刑するか、あるいは最前線に送って使い潰すか。


 ディセンティア領軍と海兵が横から打ち掛かってきたのだ。ディセンティアの裏切りを聞いて慌ててエスカーディアに向けた防壁を築こうとしていたが、時間も資材も足りなかった。レドランドは補給物資を焼かれていたし、デルーシャは援軍と補給物資を奪われていた。泣きを入れてきても帝国軍にも余裕があるわけではない。帝国軍の戦力を損なわずに融通してやれるのは僅かな食料だけだった。当然デルーシャ、レドランドの戦意は高くない。ディセンティアの領軍に王国海兵を加えればその2国の軍を合わせたより多い。しかし、だから脆かったのも無理はないと考える人間はその場にはいない。


「ディセンティアの不実者め、戦が終わったら根絶やしにしてやるぞ」


 歯がみしながら言ったのは近衛連隊のアウレンティス下将だった。ディセンティアが再び王国に付けば、海兵を陸に揚げることができる。王国軍てきに1個師団強の正規軍の戦力が増えたことになる。


 ディセンティアと王国海兵の合同軍はレドランド、デルーシャを撃破した後アンカレーヴの南東へ回った。アンカレーヴから北東に延びるクインターナ街道をアリサベル師団が押さえている。つまり帝国軍は王国てきに包囲され孤立した形になっている。しかし帝国軍幹部達は悲観していなかった。兵力はほぼ拮抗しているし、アンカレーヴは冬の間にディアステネス上将の指揮の下、堅固な要塞に変えられていた。


「帝都師団を呼べ、ルルギアにいる第2師団と合わせて、東へ回ったディセンティアとクインターナ街道にいるアリサベル師団を叩かせる。アンカレーヴの主力とで挟んで叩きつぶしてやる」


 司令部の誰もが思い描いていた作戦だった。アンカレーヴを金床、帝都師団と第2師団を金槌にして王国軍てきを叩きつぶす鉄槌作戦だ。


「「「はい!!」」」


 ガイウス7世の言葉に司令部の要員達は姿勢を正して応えた。今はアンカレーヴの帝国軍が包囲されている形だが、帝都師団と第2師団が東から来れば、逆にアンカレーヴの東に展開する王国軍を包囲する形になる。主力をアンカレーヴにまとめている帝国軍に対して、王国軍は3つに分割されている。上手くやれば各個撃破ができる。   

特にアリサベル師団が単独でクインターナ街道を押さえているらしいと言うのは朗報だ。なんとか捕捉して数の暴力で磨り潰す。そのため2~3個師団を磨り潰してもいい。奴らさえいなければ、帝国の勝利は確約されたようなものだ。だらだらと3年目に入ったこの戦争の決着を付ける戦いになるだろう。

 会議室の中はピンとした緊張に包まれた。そんな中でルサルミエ上級魔法士長が急に顔を少しうつむけた。それが通心をしている時の魔法士長の姿勢だと言うことは全員が知っていた。


「どうした、何があった?」


 顔を上げた魔法士長にガイウス7世が訊いた。


王国軍てきがザアルカストから出てきたようです」

「ほう、どれくらいの勢力だ?」

「見張り塔の魔法士からの通心でありますが、続々と市門から出てきており、どうも全力出撃ではないかと」

「全力出撃?」

「有り得ます、陛下。今一時的に王国軍やつらの方が帝国軍われわれよりも多くなっております。そのうえアンカレーヴの東側にも配兵しており、形の上では帝国軍を包囲しております。帝都師団、第2師団が到着するまでの一時的な数の優位を何とか生かそうとすることは十分にあり得るかと愚考いたします」

「あの慎重なガストラニーブが、そんな一か八かの賭に出ると思うのか?ダスティオス」

「このまま行けば王国軍やつらにとってはじり貧です。帝国軍の援軍が来れば折角の数の優位もなくなります。それに王国軍やつらはドライゼール王太子を戴いています。ガストラニーヴ上将の尻を叩いている可能性は高いと思います」

「あり得るか?全員を戦闘配置につかせろ。守備主体だ。しっかりとアンカレーヴを保持しろ。うかつに外に誘い出されないように徹底しておけ」


 10日もすれば帝都師団と第2師団が来て、王国軍の数の優位はなくなる。砦化されたアンカレーヴをその間保持するのは難しいことではない。城砦を攻める側は守る側よりはるかに多くの戦力を必要とする。今の帝国軍と王国軍にそれだけの差はない。 そう帝国軍の高級将校達は考えていたのだ。



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