第104話 カデルフ・ディセンティア・ハバルギィ

 エスカーディアのディセンティア宗家の広大な館の一角に『北の塔』と呼ばれる建物がある。他の建物群から100ファルは離れて建てられている塔は、その塔だけを囲む塀を持っていてうかつに近寄れないようになっていた。身分のある者を閉じ込めるための、牢獄だった。

 ディセンティア宗家の当主、カデルフ・ディセンティア・ハバルギィはその最上階に幽閉されていた。塔の最上階までは噂一つ届かず、彼は完全に情報から遮断されていた。朝夕の食事は監視兵が2人1組で持ってきていた。監視兵は毎回交代し、2人ともカデルフ・ハバルギィが何を聞いても口を開かなかった。監視兵の軍服から彼らがランチエール家の領兵であることは分かっていた。ランチエール家の当主、ルーガ・ランチエールかその息子達の誰か、あるいはその全員がルージェイに与しているだろうことは見当を付けていた。


 その日、朝から妙にざわついた雰囲気が伝わってきていた。分厚い扉越しにでもいつもと違う空気があることは分かるものだ。カデルフ・ディセンティアへ、陽が高くなっても朝食が供されなかった。それも何かいつもと違うということを教えていた。


――いよいよ私を始末する覚悟を決めたか。私が残っていてはディセンティアをまとめるのは難しいだろうからな――


 一門の中でそれなりの人望はあると自負していた。ルージェイを始めとする若い連中に引っ張られて裏切りに荷担したが、彼の方に心を留めている家も多いはずだ。肉親の情もあって直ぐには殺されなかったが、一門をより強くまとめる必要が出てくれば、完全に支持を失ったわけではない前当主というのは邪魔になる。


 塔の階段を駆け上ってくる足音がする。一人ではない。

 コンコンとノックの音がした。乱暴に扉を開けて入ってくると予想していたカデルフ・ディセンティアはちょっと意外に思ったが、


「入れ」


 と許可を出した。扉を開けて部屋に入ってきたのはカデルフ・ディセンティアの想定していなかった人物だった。


「リスロック卿!」


 ルダン・リスロックが自分の領兵1個小隊を率いてそこにいた。


「お迎えが遅くなりました。申し訳ありません。御屋形様」


 膝を折って礼をするのに、


「ここから解放されるのかな?わしは」

「はい。エスカーディアは御屋形様に心を寄せる者達で確保いたしました」

「ランチエールを排除したと申すか?」

「はい」

「ふ~む、何故だ?ルージェイの命でエスカーディアの守りについていたのではなかったのか、ランチエール家は」

「はい、その命令が無効になりました」

「無効になった?どういうことだ」

「ルージェイ様が戦死為さいました。ガイル・ダルグレーズとともに」

「ルージェイが戦死?」

「はい」

「ヌビアート諸島にいるのではなかったのか?」


 王国海軍を相手に外洋に出て行くような莫迦ではない。あの難所と言われるヌビアート諸島海域であれば王国海軍にそうそうひけは取らないはずだ。


「戦場はフォートリフの沖合だったそうです」

「ヌビアート諸島の奥深くではないか!?絶対の地の利だぞ」

「船を次々に燃やされたそうです」

「燃やされた?火箭を使ったのか?」

「はい、非常に高性能な火箭だったと。それで主力艦6隻のうち、旗艦を含む4隻が沈められたと。残った2隻は王国海軍に捕らえられたと聞いております」

「ディセンティア海軍は壊滅か」


 規模は小さいが質では劣らぬ自信があった。弧艦同士で戦えば、あるいは同程度の戦力で戦えば王国海軍にも簡単には負けないと思っていた。エスカーディアの港に本国艦隊が残っているが、ヌビアート艦隊が壊滅した後では最早敵対することはできまい。


「残念ながら……」

「ルージェイは死んだか……」

「はい、それで御屋形様にお願いしなければディセンティアの存続さえあやしいと、ランチエールが連絡して参りました。エスカーディアを出て領地に帰るから後を頼むと」

「ランチエールが?」

「はい、御屋形様に反旗を翻しておいて虫がいい話だがこのままではディセンティアが潰されると」


 ディセンティア一門の存続か……。戦の最中に寝返ったのだ、今更恭順したところでどんな処分が待っているか。


「ルージェイは死んだのだな。あいつめ面倒くさいことを残して逝きおって」

「我々としては御屋形様に縋るしか……」

「ルージェイが生きておればな、少しは言い訳もできたかも知れぬが、この皺首一つで納めてくれるかどうか……」

「御屋形様?」

「宗家と、ダルグレーズ家、ランチエール家くらいで済ますことができれば上出来か……?」


 その3家がクーデターの主力だった。引っ張ったのはルージェイとガイル・ダルグレーズだろう。ランチエール家は陸が主体で、ディセンティア一門の有力者ではあっても影響力が小さい。


「そ、それではディセンティアは無くなるも同然では!?」

「だから、ルージェイがいれば、その分あいつに非難を集めて他家への風当たりを弱くするということも考えられたのだが。わしの皺首一つでは火の粉が飛んでいくのを防ぎ切れまい。わしの他にもかなりの首を要求されるな」


 宗家当主が淡々と語る恐ろしい予想にルダン・リスロックは震え上がっていた。


「そん……な?」

「ディセンティアは残さなければならない。どんな犠牲を払っても。宗家やダルグレーズ家、ランチエール家がなくなっても未だ一門は残る。なんとしても……、グリツモア提督なら仲立ちをして呉れるかも知れぬが」


 カデルフ・ハバルギィの独白のような言葉を聞いて、ルダン・リスロックが顔を上げた。


「御屋形様」

「なんだ?」

「独断ではありましたが私が先般、ガストラニーブ上将閣下にお目にかかって『ディセンティア全てが離反したわけではない。隙を見て帝国軍に打ち掛かります』と伝えてあります」


 カデルフ・ディセンティアの顔が目に見えて明るくなった。


「そうか、よくやってくれた。ガストラニーブ上将は義理に厚い方だ。卿がそのように申し出たことをきっと評価してくれるだろう」


 見通しは決して明るくない。それでもリスロック卿の行動は、溺れる者が掴む藁よりは頼りになるかも知れない。





 カデルフ・ハバルギィの前にがっしりした体格の初老の男が立っていた。怒りに顔を真っ赤にしている。


「ハバルギィ卿、先には王国を裏切り、今度こたびは帝国を裏切ると言われるか。ディセンティアの名、地に落ちますぞ!」


 声を震わせなかったのはさすがと言って良かった。もともと危険な任務であることは覚悟していたのだ。男が着ているのは帝国軍中将の階級章を付けた軍服、エスカーディアに派遣されている帝国軍軍監というのが男の身分だった。護衛は1個大隊、既にディセンティアの領軍に制圧されていた。アンカレーブで王国軍と対峙している帝国軍にはこれ以上の人数を男の護衛に付ける余裕はなかった。それに、ディセンティアが本気で逆らってくれば、1個大隊が連隊になろうと結果は変わりないと判定された。かといって師団単位で送れるはずもない。恭順を申し出たディセンティアに軍監を送らずに済ますことはできないが、かといって充分な護衛を付ける余裕もないと言う理由からの1個大隊の派遣だった。


「申し訳ありませんな、ソコーテフ中将閣下。戦場の風の気まぐれと思って戴くよりないかと」

「ディセンティアはこの地上に居場所をなくしたのですぞ!お分かりになっているのかな?」

「私はむしろ、居場所を確保するための行動と思っております」


 ソコーテフ中将の唇がピクピクと動いた。握りしめた拳がぶるぶると震えている。しかしこれ以上言い募っても何にもならないことは明白だった。カデルフ・ハバルギィを睨むだけで口を閉じた。


「閣下には我が館に滞在して戴きます。我々とて閣下の待遇についての心得くらいはあります。この戦争が終わるまで心置きなくお過ごしください。私の感触ではそうは掛からないかと」

「そうだな、直ぐに帝国軍が王国軍を粉砕するだろうからな」

「そこは意見の違うところですな」


 カデルフ・ディセンティア・ハバルギィはソコーテフ帝国軍中将に優雅に礼をして見せた。ディセンティアが王国軍に復帰すれば、その領軍の兵の分、王国軍が増えるだけではない、なんと言っても海兵を戦線に投入できる。それに噂に聞くアリサベル師団の存在だ。ヌビアート諸島海域の海戦にもアリサベル師団からの兵器が提供され、それが決め手になったという。信じがたい気もあるが、現に王国海軍は損害も出さずにディセンティア海軍・ヌビアート艦隊を壊滅させている。アリサベル師団からの兵器以外に理由は見つからない。

 さらにガストラニーブ上将からはアンカレーブを焼いても良いかと言う打診が来ている。アンカレーブへの攻撃もアリサベル師団からの兵器が使われるのだろう。そうなると、ヌビアート艦隊を壊滅させたようにアンカレーブも焼き払われる可能性が有ると言うことだ。断ってもどうせ焼くのだろうが、わざわざこんなことを言ってくるのはディセンティアへの気遣いだけではない。再度裏切ったりしたらエスカーディアも焼いてしまうぞと言う脅しだ。






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