第103話 毒
旗艦が燃えて沈没していくのを見た残存のディセンティア海軍・ヌビアート艦隊はその場で降伏した。旗艦に乗っていて海に飛び込んで助けられた者の中に、ルージェイ・ディセンティアは見つからなかった。助けられた兵の話では、ルージェイは燃えて沈み行く旗艦の舵輪に体を縛り付けていたという。それを聞いてグリツモア上将は納得したように首を縦に振った。自ら舵輪に縛り付けなければ泳いでしまう。それで助かっても裏切り者として断罪される。生きている間も首になってからも晒されるだろう。あの誇り高いルージェイ・ディセンティア・ハバルギィがそんな処遇に耐えられるはずがない。参謀のガイル・ダルグレーズは酷い火傷を負った死体として見つかった。王国海軍は他のディセンティア海軍の死者とともに水葬に附した。
3日後、フォートリフ沖海戦におけるディセンティア海軍・ヌビアート艦隊の壊滅を知った本国艦隊は籠もっていたエスカーディア港を出て王国海軍に降伏した。クーデターを主導したルージェイ・ハバルギィとガイル・ダルグレーズが戦死してしまえば、後にはクーデター勢力をまとめることができる人間は居なかったからだ。日を同じくしてエスカーディアの街もクーデター軍から解放された。
――フォートリフ沖海戦と同じ日――
ドミティア皇女とディアステネス上将は目の前の光景に声もなかった。1個大隊の騎兵がほぼ全滅していた。包囲しての殲滅ではなかったので50騎ほどは逃げることに成功していたが、200人の騎兵が戦場に死体を晒していた。ゾルダムで見た死体はまだ人間の手で作られた死体だった。だがここにあるのは人間の何倍もの体重を持った馬に踏みにじられた死体が多い。原形を留めない、思わず目を背けたくなるような死に様だった。皇女の護衛の近衛女兵がえずきを堪えるように口に手を当てていた。
「上空でものすごい音がしました」
ディアステネス上将の側で説明しているのは幸運にも生き残った騎兵百人長だった。クインターナ街道上で本隊を待ち受けここまで案内してきたのだ。
「ドゥゥンッ!とかバァァンッ!とかいう音がしまして、思わずそちらに目がいったとたんに目の前で眩しい光が炸裂しました。眼の奥が焼けるような眩しさで、目を瞑っても間に合わず、残像でしばらくは目が見えませんでした。続け様に聞こえる轟音はまるで耳元で起きているようでした」
周り中から悲鳴が聞こえたという。走っていた馬はいきなりの音と光に吃驚して竿立ちになったり、周りの馬にぶつかったり、横倒しに倒れたり、パニックに陥って収拾が付かなくなった。騎兵は振り落とされ、後続の馬に踏みつけられ、踏みつけた馬もバランスを崩して倒れた。その、人と馬の悲鳴の中に矢が風を切る音が聞こえた。百人長はその悲鳴の中を何とか馬の背にしがみついて駆け抜けたのだ。殆ど目が見えないため馬任せで駆けて、やっと周りが見えるようになったとき、何騎かの騎兵が一緒に走っていることに気づいた。振り返ると遠くに王国兵が見えた。整然と隊列を組んで、倒れた帝国騎兵を囲んでいた。他の騎兵と顔を見合わせたあと、後ろも見ずに逃げ出した。さいわい追っ手はかからなかった。
――やつら、化け物だ。あんな音と光を操りやがる――
想い出しても背中が冷えて、震える。
――騎兵大隊はディアステネス上将に命じられたとおり、街の5里手前で街道を南に外れた。緩やかな起伏の続く平野で、畑地と牧草地を踏み荒らすことを気にしなければ、騎馬でほぼ自由に進路を取れる。見通しも良く待ち伏せは難しくなるはずだった。
あと1里も行けばリゼトスと言うところまで王国兵の気配はなかった。ルーゼス千人長は王国軍と接触する可能性の高い場所に入ったことで騎馬の速度を緩め、慎重にリゼトスに近づこうとしていた。敵の待ち伏せを示唆する馬防柵などもなく、騎兵大隊付きの魔法士も敵の気配を探知してはいなかった。そこへいきなりの大音響と眩しい光だった。馬も騎士もパニックに陥った。
後は王国兵によって好きなように蹂躙された。
ルーゼス千人長と騎兵大隊付きの魔法士長は死体で発見された。王国軍は重点的に士官と魔法士を狩ったようで、逃げることができた魔法士はおらず、ディアステネス上将に顛末を説明している百人長が生き残った士官の最上位だった。他には十人長が2人逃げ延びただけだった。
味方の死体を放っていくわけにも行かない。埋葬し戦場跡を片付けてリゼトスに着いたのは夕方だった。
そこでも味方の敗戦跡を見せつけられることになった。
デルーシャ軍の援軍の残骸だった。ただ、2個大隊いたはずのデルーシャ軍の戦死体は100体余りしか見つからなかった。他は逃げた、それも東へ――祖国の方に――向かってと、判定された。クィンターナ街道を進んできた帝国軍第2師団は一人もデルーシャ軍敗残兵を見ていなかったからだ。運んでいたはずの補給物資が一つも見つからなかったのは、王国軍が接収したのだろう。逃げたデルーシャ軍に補給物資を持っていく余裕などなかったはずだから。
「本当に厄介ね。好きなように跋扈しているわ」
皇女の呟きにディアステネス上将が何か言葉を返そうとして、言葉を飲み込んだ。情報戦――探査・索敵と通心――において圧倒的に不利になる状況は覚悟していたとは言え、堪えるものだ。
「今もきっと、どこからか見ているわ」
皇女も将軍も以前のようなきらびやかな軍装はしていなかった。テストールでガイウス7世が襲撃されたように、遠目からでも高級将校と分かる軍装をしていると危ない、というのがディアステネス軍の共通認識になっていた。だからこんな時でも周りに広く陣幕を張り巡らせて視界を遮っている。皇女や将軍のいる場所もできるだけ見通しのきかない所を選ぶようにしていた。
「可能性は有りますな」
「私は、探査は得意ではないけれど、魔器を握っていると何となく感じるの、おそらく5里以内の距離に魔器を持っている魔法士――王国軍の魔法士よね――がいることを」
皇女は左手を開いて掌の上に乗った魔器を見つめた。イフリキア様の作った魔器だ、そしてレフ・バステアの魔器破壊の攻撃を生き延びた魔器だ。精緻な紋様の描かれた魔器を見ているうちに、いつの間にか唇をかみしめていた。
――イフリキア様、ただただ、お子――レフ・バステア――と一緒に暮らすことだけを要望し続けたイフリキア様――
その執念が籠もっているような法陣紋様。帝国の魔法使いが懸命に解読しようとして殆ど手が出なかった法陣紋様を、『少しだけど読める』とイフリキア様は言われた。本当はもっと読めたのかも知れない。私達の読めない、この法陣紋様にお子と離された、そして会うことも許されない、その恨みと呪いが掛かっているのかも知れない。
イフリキア様の造った紋様も解読しようと魔法院では必死に努力したのだ。どこがコアか、それは分かった。魔道具の紋様と類似した部分があったからだ。イフリキア様は教えてくれなかった。無理に聞き出すことはできなかった。多分、そんな事をすれば帝国は"帝国の魔女"を失うことになっただろう。
刻々と帝国軍に不利になる今の情勢はイフリキア様の復讐なのかもしれない。隔絶した性能の魔器をもたらして、軍がそれに頼りっきりになったときに――何しろ
背筋を悪寒が登ってくる。ブルッと震えたのを護衛の近衛女兵、リリシアが気づいた。
「……殿下?」
声をかけられてドミティア皇女が振り向いた。
「お寒いのですか?」
夕刻の風は冷たい。
「そうよね、ちょっと……」
体が寒いのではない、心が寒いのだ、と言おうとして、やはり口を噤んだ。言い募ればガイウス7世に対する批判になる。しかし心の中の考えは消えない。この戦いは……勝てないかも知れない、何度目かの想いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます