第102話 フォートリフ沖海戦 2
「なんだ?あれは」
はっきり見えるようになって、王国海軍の櫂船の舳先に妙な物が取り付けてあるのに気づいた。
「ありゃ、弩弓だぜ」
「弩弓?そんな物で何する気なんだ?」
「普通の弓よりゃ飛ぶからな。弓の射程外から射ってくるつもりなんだろ」
「冗談だろ?1発や2発、でかい箭が飛んできたところでどうってこた~ないだろ」
よほど運が悪ければ当たるかも知れないが、それでも精々1人か2人だ。
弩弓を3人の兵が操作していた。そのうち1人は魔法士だった。周囲を1個小隊、10人の海兵が大きな盾を掲げて護衛している。波によって上下する舳先から慎重に狙い を付けていた弩弓が、弓の射程に入る少し手前で箭を放った。箭は弧を描いて一番艦の甲板に突き立った。
「こんなのに当たる間抜けは居やしね……」
嘲りの言葉が途中で飲み込まれたのは、甲板に突き刺さった箭が突然、猛烈な勢いで炎を吹き上げたからだ。
「火箭だ!」
「抜け、海へ捨てろ!」
「水を持ってこい!」
「「熱い!」」
何人か近づこうとして慌てて飛び退いた。とても近づける熱さではなかった。火は瞬く間に甲板から帆柱、船室に燃え移り広がっていった。帆布が派手に燃え上がっている。
唖然として一番艦の様子を見ていた後続のディセンティア艦に王国海軍の櫂船が近づいて行った。
「近づけるな!弓だ、矢を放て!」
士官の大声に海兵が弓を構える。まだまだ遠いのに派手に矢を飛ばし始めた。こんな訳の分からない敵が近づいてくるのは嫌だ。上官に命令されなくても海兵達はありったけの矢を次々に放った。
弓の射程外から弩弓が射たれた。箭は着実にディセンティアの戦船を捉え、二番艦、三番艦と次々に火に包まれていった。火に追われた海兵達が慌てて海へ飛び込むのが旗艦からも見えた。悲鳴が聞こえる。海へ飛び込んでいく海兵の何人かは服に火が付いている。
「あっ、あれは一体……」
「分かりません、ルージェイ様。しかし、アリサベル師団が今まで知られていなかった攻撃魔法を使うと聞いたことがあります。ひょっとしたらあれも……」
「ア、アリサベル師団は陸だぞ!海にまで手を出してくると言うのか!?」
「それよりも、奴らを何とかしないと当艦も!」
既に遅かった。ディセンティア海軍の旗艦は3隻の王国海軍櫂船に接近されていた。
「近づけるな!弓を射て」
ルージェイ・ディセンティア・ハバルギィの声を合図のように3隻の櫂船から箭が放たれた。殆ど同時に3本の矢が旗艦に突き立った。1本は甲板に、2本は舷側に。旗艦は他の艦を上回る速度で火に包まれた。
「凄まじいものだな」
グリツモア上将は望遠鏡から目が離せなかった。
「そうですね」
同じように望遠鏡を覗きっぱなしのバージェスタ下将が相槌を打った。
グリツモア海軍上将は、初めて箭を見たときのことを想い出していた。イクルシーブ准将が送ってきたのだ。准将とずっと行動を共にしていた、海軍出身のグリマルディ魔法士長が1個中隊の物々しい護衛に守られて50本の箭を運んできた。
「これを使ってみろと言うのか?」
「はい、閣下。イクルシーブ准将閣下が是非試して戴きたいと申しておられます」
グリツモア上将は箭を1本手に取ってみた。当然通常の矢より大きくて重い。鏃も大きい。だが鏃は鉄製ではなかった。不審な顔をした上将に、
「鏃は強化ガラスでできております」
「強化ガラス?」
そんな言葉を聞くのは初めてだった。
「はい、レフ様が作られました」
あの、帝国からの亡命貴族か、グリツモア上将はゾルディウス王がレフ・バステアを謁見したときに同席していた。白い髪の小柄な、感情の窺えない目をした男だった。王の前に跪きながらどこか不遜に見えたのを想い出した。
――得体の知れない奴だと思ったものだが、アリサベル王女は随分と気に入っているようだったな――
強化ガラスの鏃にびっしりと紋様が描かれているのに気づいた。
「これは?」
「法陣紋様でございます。魔導銀で描かれております」
法陣紋様?ではこれは魔道具なのか?
「発火の魔法の紋様が描かれております。つまり鏃が発火の魔器になっております」
「発火の魔法?聞いたことがないが……、それに魔器?」
「魔導銀線で法陣紋様を描いた物を魔器と称しております。性能的に魔道具とは全く違う物とお考えください。この鏃も又凄まじいものでございます」
材木を積んだ物を的にして箭を射ってみた。
「ここに魔力を通して魔器を起動します。起動した魔器が何かに刺されば発火します」
グリマルディ魔法士長がグリツモア上将を前にして、弩弓を操作する海兵と魔法士に説明していた。
「起動した箭が当たらなければどうなるの?敵に拾われて使われるんじゃない?」
グリツモア上将旗下のエレン・モーティア上級魔法士長の疑問に、
「起動してそのまま8半刻も経つとこの魔器は勝手に壊れます。敵に拾われても使われる可能性はあまりないかと思っています」
「誰の魔力でもいいの?」
「はい、魔法士に成れるほどの魔力があれは誰でも起動できます」
材木に当たった箭はあっという間に積み上がった材木を燃やし尽くした。難燃処理をした、船材として使われる木だった。普通の火箭では燃えない。大量の水を用意して消そうとしてみたが、水をかけても発火の勢いは全く弱まらなかった。船は大部分が木でできている。材木が燃え上がる様子は海兵達の背筋を寒くした。最後に古くなった軍船を海に浮かべて射ってみた。箭を受けて容易く燃え上がった軍船は、四半刻も経たず沈んでいった。
海戦が変わる。船上での肉弾戦という人間同士の闘いが船同士の戦いになる。グリツモア上将は古いタイプの海兵だった。操船屋ではなく戦闘員だった。それが戦闘員の役割を少なくする変化の最前線にいる皮肉に思わず苦笑していた。これからは戦闘員より操船屋の方が大きな顔をする時代になるのだろう。
――イクルシーブも戦闘員だったくせに、こんな武器の使用を勧めてくる。やはりアリサベル師団の暮らしが長くなると変わるのか?――
だが、それもこの発火の魔器があってこそだ。王国で魔器を造れるのはいまのところアリサベル師団だけだ。つまりアリサベル師団を味方に付けた方が海戦でも圧倒的優位に立つことを意味する。
レフ・バステアという男は余りに危険ではないだろうか?しかし彼がいなければ帝国との戦争に勝つのは難しいだろう。謁見の時の様子ではアリサベル王女はレフ・バステアという亡命帝国貴族を随分信頼しているようだ。そして王国内でアリサベル王女の名は高まっている。軍事面のみではなく、テルジエス平原を取り戻してからの民政面においてもそつなくこなしていたと言って良い。王国を任せる指導者としてドライゼール王太子より良いのではないかという意見を聞いたことがある。グリツモア上将は首を振った。政治的なことについて考えていると袋小路に入りそうで、それ以上は考えるのを止めた。
――俺は船乗りだ。船以外のことを考えるのは苦手だ――
陸軍に比べて海軍は人が少ない。海軍本部が王宮から離れておかれていたことに象徴されるように、王宮内政治に対する影響は陸軍に比べて小さい。グリツモア上将も必要以上には王宮に出入りすることはなかった。
――最低限、これからの戦を、多分海戦だけに限らないだろうが、変えていく鍵になるアリサベル師団、つまりレフ・バステアと敵対してはなるまい。あんな武器を、いや武器と言うより兵器だな、いきなり出してくるような魔法使いだ。まだどんな物を隠し持ってているか分かったものではない――
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