第102話 フォートリフ沖海戦 1

「来やがった。何を考えているんだ。莫迦か?」


 ルージェイ・ディセンティア・ハバルギィーは望遠鏡とおめがねを眼から外しながら思わず呟いた。もう一度眼に当てた望遠鏡越しには確かに提督旗を掲げた王国海軍旗艦『バルディウス号』が見えていた。王国海軍最初の提督の名をつけた戦船だ。


「あそこまで来ていると言うことはヌビアート諸島海域に侵入してくるつもりとしか思えませんね」


 横で同じように望遠鏡を覗いていた参謀のガイル・ダルグレーズ が相槌を打った。この2人がいるのは、ディセンティア宗家の旗を掲げた、ディセンティア海軍ヌビアート艦隊の旗艦だった。王国海軍とディセンティア海軍を比べると、戦力的には王国海軍が倍の規模を持っていた。だからまともに戦ってはディセンティア海軍に勝ち目はなかった。ディセンティア海軍の方針は ”艦隊保存”であり、その1/3を占める本国艦隊はエスカーディアの港に籠もって出てこなかった。王国海軍はエスカーディアの沖に半分を遊弋させて押さえとし、残り半分をヌビアート諸島に向けていた。ディセンティア海軍が存在して敵対している限りは、王国海軍はそれに対応せざるを得なかった。

 ヌビアート諸島は大小30余りの島々からなっている。ヌビアート諸島海域と称される内海は潮の流れが複雑で、風向きも変わりやすく、その上海面下の岩礁が多く、航海の難所として知られていた。ディセンティアはヌビアート諸島海域の安全な航路を公開していたが、あくまでというに過ぎなかった。急な風向きや潮流の変化で流されて岩礁に座礁する船が年に数隻は出る。王国海軍はその情報を集めてヌビアート諸島海域の岩礁の位置をある程度把握していたが、ディセンティアの持つ海図にはとうてい及ばなかった。

 ディセンティア海軍ヌビアート艦隊はそのヌビアート諸島海域を本拠地としていた。当然のようにヌビアート諸島海域での操船に自信を持っており、例え王国海軍が倍の戦力で攻めてこようとこの内海での戦闘では負けないと自負していた。

 だからルージェイ・ハバルギィの目論見は、ヌビアート諸島海域に籠もっていれば、王国海軍は遠巻きに囲んで封じ込めを計るだろうと言うものだった。さすがにルージェイ・ハバルギィも、外海で正面から王国海軍に挑む様な無茶をするつもりはなかった。ヌビアート諸島海域にじっとしていれば、ディセンティア海軍の保存と王国海軍の拘束いう目的は果たされるのだから。


 それが今、王国海軍は明らかにヌビアート諸島海域への侵入を計っている!


「おそらく」


 ガイル・ダルグレーズが言葉を継いだ。


「王国軍は焦っているのでしょう。初期の損害から立ち直れていませんし、その上ディセンティア一門われわれやレドランド、デルーシャと、もともと味方であった勢力が引き剥がされています。ですから、ディセンティア海軍を撃滅しておいて、浮いた海兵を主戦場に回したいと思っているのでは?」

「そうだな。それ以外には理由が思いつかない。それにしてもグリツモア上将はもっと賢い男だと思っていたが」

「ドライゼール王太子辺りに尻を叩かれたのではないでしょうか。王国海軍にはディセンティア一門の出身者が多く居ますので、王国に対する忠誠を示せとでも言われたのでは?」

 

 ルージェイ・ハバルギィはドライゼール王太子の尊大な顔を思い浮かべて肩をすくめた。


「あいつならそんな事を言いそうだな。でもゾルディウス王が止めないのか?」


 ヌビアート諸島海域での海戦に利がないことくらい分かっているはずだ。王の方が王太子よりずっと慎重だ。そんな事を目の前で言い出せば止めるだろうに。


「王宮内部の細かい事情など外から分かるわけもありません。王国海軍てきが我々の庭に来ているのです。精々歓迎してやりましょう」

「確かにその通りだな。理由が何であれ、鴨が来ているのだ。美味しく戴こう」


 ディセンティア一門から王国海軍に奉職している者は多かったが、宗家が王国に反旗を翻したとき、それに同調する者は少なかった。彼らの殆どはそのキャリアを最初から王国海軍で始めていて、自分が属する一門よりも王国海軍に帰属意識を持っていたからだ。尤もそれ故、ディセンティア海軍の様にヌビアート諸島海域に詳しいわけではない。ルージェイ・ハバルギィとガイル・ダルグレーズは絶対の地の利を確信していた。


「潮の流れの上流も風上も押さえています。我々の倍ほどいるようですが、ヌビアート諸島海域へ入ってくるならその恐ろしさを存分に教えてやりましょう」


 ガイルの言葉を受けて、ルージェイは大声で周囲に告げた。


「合戦だ。出るぞー!」


 海で鍛えられた声は遠くまでよく聞こえた。


「「「おおーっ!!」」」


 旗艦のみでなく周りの戦船からも喚声が上がった。海兵達が短槍を高く掲げている。王国海軍とは一緒に訓練をし、ディセンティア一門出身者も多く、顔見知りもいる。それでもことの成り行きで敵対することになった。敵になった以上容赦するつもりはなかったし、王国海軍の兵達も同じ気持ちであることを疑いもしなかった。





「出てきたか……」


 同じように望遠鏡とおめがねを覗きながらグリツモア海軍上将が呟いた。


「閣下の目論見通りですね」


 応えたのは、やや後ろで望遠鏡を覗いていたレゾア・バージェスタ海軍下将だった。


「ルージェイ・ディセンティアは血の気が多いからな、フォートリフに迫られて、我慢できるはずがない」


 フォートリフはヌビアート諸島最大の島で同名の街に総督府が置かれていた。ディセンティア海軍ヌビアート艦隊の根拠地でもあった。

 王国海軍にとって嫌なのはディセンティア海軍が艦隊保存を計って港から出てこないことだった。現にディセンティアの本国艦隊がエスカーディアの港に籠もっているため、王国外軍はその半分近くを割いて封鎖せざるを得なかった。ヌビアート艦隊がフォートリフ港に籠もってしまえばこれも封鎖するしかない。王国軍はルージェイの予想通り、海兵をザアルカストに送って帝国との決戦に使いたいと思っていたのだ。


「よし、櫂船ガレーを出せ」


 グリツモア提督の命令で帆船の後ろに繋がれて曳航されていた5隻の櫂船がするすると前に出てきた。両舷で40の櫂を持ち、1つの櫂を2人で漕ぐ櫂船だった。


「櫂船が出てきたぞ-!」


 ヌビアート艦隊の一番艦の水夫がそれに気づいて大声を上げた。


「櫂船だと?」


 その声は四番手に付けている旗艦にも聞こえた。


「風向きの不利を櫂船で補うつもりでしょう」

「何を考えているんだ?グリツモアは。潮の流れもこちらが上流なんだぞ。しかもたった5隻だと!?」

「それだけ追い込まれているのでしょう、王国海軍は。ルージェイ様。しかし、こちらが遠慮してやる必要はありません」

「当たり前だ。衝角をぶつけるぞ。弓戦用意!!」


 潮の流れの上流を取り、その上風上を取っている。スピードも操船の自由度もディセンティアの方が遙かに有利だ。衝角をぶつけて固定しても岩礁に乗り上げさせても好きなように料理できる。

 ディセンティアの海兵達が甲板に並んで弓を構えた。矢合戦でも帆船の方が櫂船よりも舷側が高い分優位になる。それに海戦と言っても最後は敵の船に乗り込んでの肉弾戦になる。相手の船に乗り移るにも舷側の高い帆船の方が有利だ。大型の帆船の方が多くの海兵を載せることができる。漕ぎ手を戦闘員に加えても櫂船は人数の上でずっと不利だ。


――何を考えているんだ?こんな不利な条件で向かってくるなんて――


 士官だけでなく平の兵達もそう考えるほど条件は一方的だった。


 王国海軍の櫂船は懸命に櫂を動かして近づいてきた。ディセンティアの戦船は帆に風をはらんで進む。徐々に相手の姿が大きくなってくる。ディセンティア海軍の兵達がゴクリと唾を飲んだ。もうすぐ弓の射程に入る。





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