第100話 後片付け

 補給隊の壊滅を帝国軍が知ったのは2日後だった。ルルギアに向かう途中の第2師団が発見したのだ。ルルギアを出て3日目の朝から定時連絡がなくなって、補給隊に異変が起こったことは予想されていた。だから途中で交差するはずの第2師団に調べるように命じて急ぎ出発させたのだ。そのため行軍の足を速め、通常なら夕刻に着く筈のゾルダムに午後半ばに到着して事件を知ったのだ。

 ドミティア皇女は余りの惨状に息を飲んだ。2年も戦場に居れば激しい戦いの後も見た。敵、味方の死体も何十体も見ている。しかし、これまではある程度片付けられた後の戦場であった。生の、戦いが終わったそのままの戦場を見たのは初めてだった。さらに言えば累々と横たわる死体が全て帝国兵みかたのものだった。


「文字通りの全滅ですな。逃げ出せた者もいないようだ」


 逃げ出せたも者がいればルルギアに引き返したか、アンカレーブを目指したか、後者ならどこかですれ違ったはずだ。


「閣下」


 第2師団司令官のテンストーク下将が近づいてきた。


「どうだ?」


 ディアステネス上将の問いに、


「1個大隊が丸々壊滅しております」

「そうか」


 覚悟してとでも言うようにディアステネス上将が首を振りながら応えた。


「しかし司令官、副司令官、それに上級魔法士長の死体が見当たりません」

「そいつらだけを捕虜にしたのか」

「おそらくは」

「夜中に1個大隊を奇襲して、一人も逃がさず殲滅している。しかも有力な情報源になりそうな者は捕虜にする。嫌な奴らだな、手際が良すぎる」


「襲われたのは夜中なの?」


 ドミティア皇女が疑問を呈した。


「兵達の防具の付け方が中途半端ですし、中には靴を履いてない者も居ます。寝ているところを襲われたのでしょう」


 ドミティア皇女は村とその周囲を見回した。篝火を焚いていたとしても暗かったはずだ。その暗がりの中で、1個大隊を一人残らず殲滅している、どれほどの強敵なのだろうか?

 アリサベル師団が作られた経緯は知らない。王女の名は冠しているが、レフ・バステアのために結成された師団だと認識されていた。帝国からの亡命貴族のために王国が特に優れた兵を集めるはずはない。普通の水準の兵だったはずだ。その普通の兵を訓練して完璧な夜襲を行えるほどに鍛え上げている。レフ・バステア――イフリキア様の子――の帝国に対する怨念のいかに凄まじいことか!


 ドミティア皇女は首筋に冷たいものを感じてブルッと震えた。




「やはり敵地なのだ。ディセンティアの領といえど王国内は」


 ディアステネス上将は違う感慨を持っていた。襲撃されてから2日だ、我々が来るまで何の情報も無かった。村に住んでいた者達は、追い出されたとは言え近くに仮住まいしている者も居るはずだ。彼らはここでこんなことが起こったことを知っていて帝国軍われわれには報せなかった。帝国内であれば速やかに情報が伝わってくる。


 2里ほど離れたところに建てた農作業小屋で仮住まいをしている男を尋問したら、


「近づくなと言われておりましたので、何か騒がしいことが起きたことは分かってましたが 命令通りに近づいちゃおりません」


と、しれっと口にする。情報を漏らさないためにも行軍路から王国人を遠ざけたのはその通りだった。そんな命令も受けていただろう。しかし本当に近づかなかったのかどうか、疑わしい。いや、知っていて黙っていたのだと、なんの証拠もないがディアステネス上将はそう思った。

 死体の中には明らかに死体漁りをされたと思われるものもあった、何体も。殆ど裸の死体は防具を着ける暇もなかったのかも知れないし、剥がされたのかも知れない。戦場に放置された武器は死体の数に比して少ない。王国軍が持っていったのかも知れないが、住民達が拾ったのかも知れない。大隊の金袋は王国軍が接収したのだろうが、士官や兵も殆ど金を持ってない。疑い出せば切りがない。


――こんな風に死体を戦場に放置されるのは嫌だ――


 戦場を片付けながら帝国兵の誰もがそう思った。


 男の仮住まいしている農作業小屋も捜索させたが、出てきたのは僅かな着替えと粗末な日用品、欠けた食器に貧しい食料だけだった。しかし仲間が居るかも知れない、他に拠点があるかも知れない。疑い出すと切りが無い。


――今でこそおとなしい。しかし情勢が変われば、例えば帝国軍われわれが敗勢になれば文字通り牙を剥く可能性が高い――


 ぺこぺこと卑屈にお辞儀を繰り返しながら仮住まいの方へ帰って行く男を見ながら考えたことだ。


――あいつも情勢次第では鋤や鍬と言ったあり合わせの武器で襲ってくるかも知れない――


 そんな例は戦史の中に嫌と言うほど見る事が出来る。今は味方になっているディセンティアの領民だからと言って気を許せるものではない。


 味方の死体を放って置くわけにも行かなかった。認識票と形見になりそうな物を集め、死体を埋葬し、戦場跡を片付けた。武器や装備があちらこちらに散らばっている。そのままにして置くわけにも行かなかった。一段落着いた頃には辺りはもう暗くなっていた。片付けたばかりの戦場跡で野営することになった。村の建物は戦いの後が生々しく、壁や床、天井にまで飛び散った血を全部拭き取ることもできず、士官以上の者達も天幕を張って寝むことになった。




 ドミティア皇女は天幕の天井を見つめながらいつまでも眠れなかった。


――レフ・バステア、いいえ、レフ・ジン――


 皇女はイフリキアが新しい家名を名乗っていることを知っていた。


――帝国に牙を剥いたフェリケリウス一門の男。あのイフリキア様のお子!――


 イフリキア・ジンはドミティア皇女には優しかった。ドミティアの魔纏を手ずから調整してくれたほどだ。魔器を使わなくても強化兵並みの、いや強化兵を越えるほどの瞬発力と持久力をドミティア皇女が持つのはイフリキアのおかげだ。ただ話をしている最中にも時々、急に背中が冷たくなることがあった。そんなときにイフリキアに視線を移すと、思わず後ずさりしたくなるような無表情で前を見ているのだ。整った容貌であるからこそ、その無表情は恐ろしかった。


――そうだわ、帝室の、特に皇帝陛下の、あの頃は先帝陛下の時代だったけれど、話題になったときだったわ、イフリキア様の纏われる雰囲気が冷たくなったのは。イフリキア様と同じような感情を、いえ、もっと強い感情をレフ・ジンという男は持っているのかも知れない。そして、そんな感情を持たせたのは先帝陛下とガイウス7世陛下の所為なのかも――


 毛布にくるまって思わずごそごそと身体を動かした。


「姫様」


 同じ天幕の中で不寝番をしている近衛の女兵が遠慮がちに小さな声で皇女を呼んだ。


「お眠りになれないのですか?」

「そうね、昼間の光景がどうしても頭を離れないわ」

「どんなことがあっても姫様をあのような目に遭わせたりなどしません。安心してお寝みください。明日も又行軍は続くのですから」


 ガイウス7世の批判になりかねないような考えを口に出すわけにも行かない。


「そうね、エリス。貴方の腕は信頼しているわ。私を守ってくださいね」

「お任せください」


 ドミティア皇女はなおもしばらくごそごそと身を動かしていたが、やがて眠りに落ちていった。




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