第98話 帝国軍会議

 ガイウス7世がアンカレーヴに到着したのは、レドランド軍の司令部と物資が焼かれた3日後だった。


 その夜夕食もそこそこに、帝国軍の幹部を集めた会議がガイウス7世の執務室で開かれた。ガイウス7世の執務室はディアステネス軍の司令部とは別棟にしてある。ガイウス7世の滞在を予定して内装を改造してあった。

 出席したのは、ガイウス7世、ドミティア皇女、ダスティオス上将、第1師団司令官クトラミーブ下将、近衛連隊司令官アウレンティス下将(ロテンシジール下将後任)、ルサルミエ上級魔法士長、それにディアステネス上将、ファルコス上級魔法士長であった。記録を取るため下級の司令部要員が2人控えていた。

 ガイウス7世の執務机の上にはこれまでの戦闘詳報、報告書、命令書、人事発令書、物資の集積状況書などがうずたかく積まれていた。アンカレーブに到着してからずっと目を通していたのだ。


「これまでご苦労だった、マクレイオ・ディアステネス上将」


 いきなり名を呼ばれてディアステネス上将が姿勢を正した。同時にその口調に含まれるガイウス7世の感情に気づいて表情を消した。フルネームで呼ばれた上に、起伏のない冷たい声だったのだ。


帝国軍われわれは2方面から攻め入って簒奪者共から土地を取り返したが、思いもかけない伏兵――帝国の裏切り者――の所為で、西からの攻勢は頓挫した」


 ガイウス7世は積まれた書類の一番上に置いてあった紙束を取り上げてばさばさと振った。アンジエームの王宮を取り返された戦いの戦闘詳報だった。


「結果として、戦線はここアンカレーブとエスカーディアを結ぶ線の1カ所のみとなった。ここでも裏切り者が小うるさく蠢動している」


 手にしていた書類を机に放り出すと、今度はその下の数枚の書類を取り上げた。レドランドの指令所と物資集積所が襲われたという、レフ支隊の最新の活動の報告書だった。


「これも、――らしい、――と思われる、と言う言葉の連続だ。つまり、奴らが何をしたのかはっきりとは分からず、全て推測にすぎない」


 レドランド軍の司令部が壊滅し、現在軍として機能していないという事実はあるが、どう侵入されて、どう攻撃され、どう逃走されたのか一切分からない。探知・索敵に大きな差があると良いように翻弄されると言ういい見本だった。その上アリサベル師団が帝国軍の持っていない攻撃魔法を使っていることは確実だった。どんな魔法でどれほどの種類を持っているのかは分からなかったが、シュワービス峠で使われた魔法と併せて考えるととんでもなく厄介だ。このところアリサベル師団に殆ど損害を与えることなく、帝国軍の損害ばかりが増えている。

 ガイウス7世は出席している高級将校達の一人一人に視線を当てていった。誰もが表情を消していた。ある者は慌てて、ある者はとっくに。最後に視線を移したドミティア皇女だけがガイウス7世を見つめ返した。


帝国軍われわれは勝っている。戦場は簒奪者の領内で、既に王国領の3割は抑えている。同盟者だった国も切り離した。王国の有力貴族が我々の方に付いた。戦力的には王国軍てきは初期の損害から立ち直っていない。いま帝国軍われわれの正面に居る王国軍てきがほぼ全てだ。ここで奴らを叩けば勝利は決定する」


 ディアステネスの口が一瞬引き結ばれた。ガイウス7世が強がっているように思えたのだ。勿論、姿勢も表情も崩さなかった。実情は初期の大戦果以降はじり貧で、戦力的にも圧倒的に帝国軍みかたが有利とは言えなくなっている。


「ここから先の戦いは朕の親征となる。よって命令系統を一本化し、ダスティオス上将を総司令官とする」


 この言葉にはディアステネス上将は眉毛一本動かさなかった。ある程度予想していたことでもあったし、絶対権力者が口に出したことに異議を唱えてもどうしようも無いことはよく分かっていた。それに最高司令官は1人、というのは常識だ。自分か、ダスティオスか、と考えれば、ガイウス7世の親征となったとき、これまでずっとガイウス7世と行動を共にしてきたダスティオスが選ばれるのが普通だろう。理屈では分かっていたが、それでもディアステネス上将には思いが残った。アリサベル師団、レフ・バステアに足を掬われっぱなしで終わるかも知れないのだ。


「ドミティアも帝国くにで骨休めをするが良い。若い女の身で2年間戦場に居たのだ、カルロもそちの帰国を待ち望んでいるだろう。縁談の申し込みが両手の指に余るほど来ているそうだぞ」


 下手な冗談だ。ドミティア皇女も他の列席者も不器用に頬をほころばせた。


 ドミティア皇女の嫁ぎ先というのは、皇女自身にはもちろんルファイエ家にも選ぶ権利はなかった。皇女はガイウス7世の直々の指名によりディアステネス軍の表象として従軍し、既に2年間戦場にある。外からは、狷介なガイウス7世にごく近しい存在に見える。それだけ、ルファイエ家とどの一門が結びつきを強めるかというのは政治的な影響が大きいからだ。


「承知つかまつりました」


 ドミティア皇女は優雅に礼をして見せた。ガイウス7世の親征と言うことになれば、名目上皇族の親征にするという目的でディアステネス軍に居た自分が、最早必要無くなることは分かっていた。


「第2師団をルルギアの守りに回す。今回襲撃された経緯を精査するとルルギアが補給の要所であり、同時に弱点でもあることがよく分かった。ディアステネス上将、卿が補給を采配せよ。油断するとレドランドの醜態は他人事ではなくなる可能性が有る」


 第2師団はディアステネス上将の手飼いと言っても良い部隊だった。そこでキャリアを重ね、上将まで上り詰めたのだ。ディアステネス上将共々最前線から外すという配置換えにガイウス7世の意志が現れていた。しかし、ルルギアに置くということは第2師団が戦略予備になる事を意味した。大きな予備兵力になった第2師団を手元に置ける――自分は皇都に帰らなければならないが――のはありがたい。


「承知いたしました」

「よくダスティオスと引き継ぎをしておけ、いつ決戦になるか分からぬが、遠いことではない」


 帝国にも余裕はなくなっている。だらだらと戦を続ける事は出来ない。


「はい」

「引き継ぎが終わったら司令部はこちらの建物に移す」


 それも当然だろう。ここに最高意志決定者がいるのだから。




 長い会議が果てて、司令部に帰る途中、


「私達の代わりに、アリサベル師団、レフ・バステアと渡り合ってくれる訳ね。ダスティオス上将が」

「そうなりますな」

「知識は引き継げるけれど、体感はなかなか伝わらないものじゃないかしら?皮膚感覚として分かっていることを他人に伝えるのは難しいわ。少なくとも私には」

「私にも難しいことですな。まあ、知識として伝えてありますから、我々よりも感覚を掴むのは速いのではないですかな」


 いくら言葉を尽くして説明しても、実際に体験しないと実感できないことはあるものだ。


「そうよね。できるだけ早期に、できるだけ少ない損害で陛下とダスティオス上将が実感されることを願うわ」


 小さな声での呟きだった。内容はディアステネス上将が思わず周囲を見回して、声が届く範囲に気心の知れた護衛以外の誰もいないことを確かめたほどのものだったが。


――また随分と大胆なことを。皇都を出たときの心細げな様子とは様変わりしておられる。……そう言えばレフ・バステアは補給部隊を狙ったり、物資を焼いたりするのが得意だったな、ひょっとするとこの人事は私を対レフの戦いから離さないかもしれないな。だがドミティア殿下は皇都へ帰られる、若い娘としては戦場よりもずっと似合う場所に――

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