第97話 レドランド軍襲撃

 闇の中を20人の人間が走っていた。先頭にレフ、最後尾にシエンヌを置いたレフ支隊の兵を中心にした小部隊だった。ガストラニーブ上将の東方軍から魔法士が一人加わっていた。全員が闇に紛れるような黒い上着を防具の上に着ていた。アリサベル王女もついて行きたがったが、闇の中を長距離走ることになるため諦めた。そこまでの体力は付いていなかったのだ。アリサベル王女は頬を膨らませ、ロクサーヌはほっとし、ルビオは表情には出さなかったが残念に思った。


 小さく纏まって走る小部隊は先導するレフの指示に従って止まったり、速度を上げたり、その場で姿勢を低くしたりした。レドランド、デルーシャの布陣の間隙がスカスカとは言っても帝国軍から軍監が出ており、軍監の眼もあって、両軍とも偵察隊をそれなりの密度で出してきていたからだ。やる気の見えないお座なりな偵察だったが、見つかれば只では済まない。魔法士も同行しており、見付けられたときに通心で情報を伝達される前に片付けられる保証はなかった。レフ達の存在を通心されてしまえば何十倍もの敵中を突破しなければならなくなる。

 偵察隊を巧みにかわしてレドランド軍が布陣している裏に出るのに半刻も掛からなかった。


「あれだ」


 レフが小声で示したのは富農の屋敷だった。接収されてレドランド軍の司令部兼物資集積所になっている。レドランド軍の最後尾――王国軍てきから一番遠い所――だった。その表門が30ファル先にあった。見張りの兵が4人いた。高い塀の向こうに邸内の木々が鬱蒼と立っており木々に隠れて建物は見えなかった。


レフが背嚢から円盤形の魔器を取り出した。


「変更はない、打ち合わせ通りだ」


 兵達は頷いて、闇の中で身を低くした。誰もが手に弓を持っている。


「やるぞ」


 レフの手から次々に魔器が飛んで、高い木々の上を越え、建物の方へ吸い込まれるように落ちていった。


「あれは?」


 小さな声で訊いてきたのはガストラニーブ上将が寄越してきた若い魔法士――イシュト・トレクスヴァ魔法士――だった。闇の中を走ることが出来て、体力のある者をという要求に従って人選されたようで、息を切らしながらでもレフ支隊に遅れず付いてきていた。


「直ぐ分かる、黙って見ていろ」


 これも小さな声で返したのはアンドレだった。


 12個の魔器を投げ終わってレフが魔力を魔器に向かって放射した。とたんに木々が明かりの中に浮かび上がり、派手に炎が立ち上がった。12個の魔器が一斉に発火したのだ。たちまち火が燃え広がった。屋敷の中の大騒ぎが外に身を潜めるレフ支隊の兵隊にも聞こえた。


「出てくるぞ」


 レフに言われて兵達が弓に矢をつがえた。乱暴に門が開け放たれ、おろおろしている見張りの兵を押しのけるように、中から身支度もできてない男達が飛び出してきた。


「射て」


 レフの命令で一斉に矢が放たれた。後ろから炎に照らされた男達のシルエットが矢を受けて倒れる。それでも門から次々に男達が飛び出してくる。


「よし、各自自由に射て」


 レフの号令で支隊の兵達は弓射を繰り返した。


「よし、引き上げだ」


 短時間で30人近いレドランドの兵が門の近くで死傷して倒れていた。士官の軍装をしている兵が多い。トレクスヴァ魔法士は呆けたように口を半開きにして見ていた。展開が速すぎた。目的の位置に付いてから攻撃終了の合図が出るまで八半刻も掛かっていない。周りの兵達が弓を納め、レフに付いて走り始めると、はっと我に返って一緒に走り始めた。


 屋敷は派手に燃え上がっている。本宅も倉庫も、庭に停めてあった馬車群も既に手の付けようがなかった。邸内から馬の鳴き声と人の悲鳴が聞こえる。レフ支隊は、火事に気が付いて集まってくるレドランド軍を避けるようにさらに東に抜け、これまでの偵察でよく知っている道を通って自陣へ向かった。かなり大回りになるが帝国軍の監視の薄いところを通る道だった。この道は上手く行けばかなりの大軍が、ひょっとしたら大隊単位の軍が抜けることができるかも知れない。帝国軍が思うように偵察隊を出せなくなってできた薄みだった。




 ガイウス7世は皇都を出て先ず、直衛の近衛だけを連れて北のシュワービス峠の口を視察した。口の周辺は、冬の間峠の2つの砦を抑えている王国軍が砦から動かなかったこともあり、急ごしらえでも頑丈な防護柵を設ける事が出来ていた。そして、雪が溶け始めてやっとキリング・ゾーンに放置されていた味方の死体を回収し始めたところだった。味方の死体を回収しても帝国軍は王国軍が最後に守っていた屈曲部より先には行かなかった。新たなキリング・ゾーンが設けられていることを恐れたからだ。屈曲部には今度は帝国の領軍によって峠に向かって防護柵を設ける工事が始まっていた。


「アリサベル師団の主力はシュワービス峠を離れて東へ向かった」


 テストールの市庁やくばに臨時に設けられた謁見室で、平伏するシュリエフ一門の幹部達に向かってガイウス7世が言った。峠の口に展開する両軍の幹部達の表情は見えないまま、平伏するその背中がほっとした雰囲気を醸したことにガイウス7世は気づいた。思うさまテストール近辺を荒らしていったアリサベル師団は、布陣する領軍にとって恐るべき存在だった。冬のシュワービスを越えることは無理だと常識では理解していても、あのアリサベル師団のことだ、何か手段を持っているのではないかという恐怖を常に持っていたのだ。


「いかにアリサベル師団といえど半分の勢力でミディラスト平野に降りてくるとは思えん。だが油断するな。お前達の任務は峠の口をしっかりと押さえ、この方面からの王国軍の蠢動を阻むことだ」


 ガイウス7世の言葉に平伏する男達はさらに姿勢を低くした。


「承りましてございます。必ずや口を守り切ってご覧に入れます」


 応えたのはシュリエフ一門宗家の当主だった。実のところガイウス7世もシュワービス峠から王国軍が来る可能性は低いと思っていた。確かに帝国の注意を逸らし兵力を分散させるには絶好のポイントだが、開戦以来の王国軍の損害を考えるとそんな余裕があるはずもない。全力を東方軍に注ぎ込まなければ主戦線の維持さえ困難だろう。現に虎の子のアリサベル師団の主力を東へ向かわせている。王宮のディープスロートもそう報告し、目と耳も半個師団のアリサベル師団の東進を報告している確実な情報だった。

 それでも尚且つアリサベル師団から目を離すわけには行かない。口を守る領軍にきっちりと釘を刺しておく必要がある。そのためだけにわざわざ来たのだ。それだけを指示して碌な休憩も取らずに皇都に引き返して、今度は3個師団を率いて東へ、ディアステネス軍の布陣するアンカレーヴに向かった。


 ガイウス7世は途中、ルルギアに寄った。ガナジオ下将の軍法会議に臨席するためだった。一言も口をきかず坐っているだけだったが、入場するとき、退場するときにそこに居る全員が起立して敬礼した。ガイウス7世が何も言わなくても、軍法会議に列席している者達にはその意図が分かった。

 ガナジオ下将に対する判決は『不名誉除隊』であった。その夜ガナジオ下将は胸を突いて自裁した。慣例に従い、『不名誉』は削除され普通除隊の扱いとなった。



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