第94話 ドライゼール王太子
アリサベル王女、コスタ・ベニティアーノ、ザイデマール千人長が案内されたのは、スタサップの領主館の一室だった。ドライゼール王太子がスタサップに来たときから接収して使っている館だった。アリサベル師団分隊4個大隊はスタサップの市壁外に留め置かれて、アリサベル王女達3人だけが王太子の元へ案内されたのだった。
市門まで付いてきた護衛の1個小隊も門の所までしか入ることを許されなかった。館の玄関で王女は馬車を降り、ベニティアーノ卿とザイデマール千人長は馬を下りた。馬車を使ったと言ってもアリサベル王女はドレスではなく防具に身を固めていた。きらびやかで装飾過多で実用には向かない防具であっても、あくまで行軍の途中という建前だった。3人が腰に佩いている長剣も儀礼用のものだった。
最初の王太子の心算としては自分の下へ来させるのはアリサベル王女だけの予定だった。
「私一人だけでは師団や軍事関係のことなど王太子殿下にきちんと説明いたしかねます。なにしろイクルシーブ准将に任せきりですので。師団分隊の司令官――臨時ではございますが――ベニト・ザイデマール千人長と、コスタ・アルマニウス・ベニティアーノ卿を同道いたしとうございます」
と要求されて受け入れたのだ。ゾルディウス王からアリサベル師団を東方軍に加える旨わざわざ通達があった所為だった。直接の表現ではなくても、アリサベル師団、ひいてはアリサベル王女を粗略に扱うなとその通達は語っていた。わざわざ王が署名した通達が来るというのはそう言うことだった。それに同道したいと言ってきた中に、帝国からの亡命貴族が居ないことも要求を容れた理由の一つだった。アリサベル王女にこんな力を与えることになった最大の要因である帝国亡命貴族など目にしたくなかった。
元は会議室か何かに使われていた部屋であろう、3ファル×6ファルほどの、床に絨毯を敷き詰めた部屋にアリサベル王女一行は通された。小さな――王族の基準からは――館の中でも何とか使用に耐えそうな部屋を選んで準備をしたのだ。入り口から一番遠い所が一段高くなっていてそこに背もたれの高い椅子が置いてあり、その椅子にドライゼール王太子が座っていた。ドライゼール王太子は部屋に入ってきた3人を見て軽く頷いた。
――まるで謁見室だわ――
王太子の周りを6人の、王宮親衛隊の制服を着た体格のいい、完全武装の兵が固めていた。兵達の持つ武器は儀礼用のものではなかった。アリサベル王女は膝を曲げ、頭を下げて完璧な礼をして見せた。ベニティアーノ卿とザイデマール千人長は王女の後ろで敬礼していた。3人は椅子を勧められず立ったままだった。
「お久しゅうございます、王太子殿下」
「久しいな、アリサベル。元気そうで何よりだ」
「王太子殿下にも恙なく、ご健勝のこととお慶び申し上げます」
「うむ、そなた達は確か、この先ガストラニーブの東方軍に加わるのであったな」
「そのように陛下から命じられました」
「ガストラニーブも当てにしているようだが、1個師団にしては少ないな」
「シュワービスを空にするわけには行きませんので、半分を残しております」
「そうか。それでもそなた達を当てにせねばならぬのか?ガストラニーブは。たった半個師団を」
たった半個師団の増援を歴戦のガストラニーブ上将が心待ちにし、ゾルディウス王までがわざわざ通達を出してくる。アリサベル師団が特別扱いされているようで気にくわなかった。
「何度も激戦をくぐり抜けた師団でございますれば、ガストラニーブ上将の期待に沿えるように働けるかと」
王太子の目元がピクリと動いた。アリサベル王女の自負に対する不快を押し殺して、
「ふむ、まあ良い。ところでアリサベル師団の魔道具は性能が良いと聞いている。それが本当であれば、ガストラニーブがあれ程そなた達を欲しいと言った気持ちも理解できるのだが……」
「我が婚約者殿の作られた魔器は従来の魔道具とは比較にならぬ性能を持っております。それを何度も戦場で実証しておりますれば、ガストラニーブ上将の期待に沿えるものと思っております」
「まあ、その魔道具がそなたの手品のタネであろうな。ガストラニーブに何個か送ったそうだな。手放しで褒めておった」
「はい、ガストラニーブ上将だけでなく、イセンターナ上級魔法士長からも良い評価を得ております」
「大いに興味のあるところだな。私にもいくつか分けてくれぬか?評判通りかどうか確かめてみたい。なに、無理は言わぬ、ガストラニーブに与えた十分の一で良い」
やはりこういう話になった。あらかじめ打ち合わせていたことだ。きっと魔器を寄越せと要求してくると。
――それにしても東方軍に供した数の十分の一とは!――
「それはご容赦ください。魔器を作ることができる魔法士は少のうございます。アリサベル師団内でさえ充分には行き渡っておりません」
アリサベル王女の応えにドライゼール王太子の表情が歪んだ。明らかな不機嫌を声に載せて、
「ガストラニーブに渡せても私には渡せぬと申すのか?」
「東方軍は最前線に位置しておりますれば緊急に必要かと存じました。我が師団もこれから直接敵と角突き合わせます。向かい合った敵の動向を探るのは喫緊の課題かと存じます。本当に個数に余裕がございませぬ故、ご容赦願います」
――はっきりと断るのか?強情な!どうせベニティアーノあたりにいろいろ入れ知恵されているのだろうが。見栄えの良い人形でいればいいものを、これほどまでに手強いとは……――
「どうしても駄目か?」
「ご容赦ください」
やっとの思いで怒りを表面に出すのを堪えながら、
「私が、ザアルカストに、行けば、魔道具をもらえるのかな?」
「東方軍用の魔器は既にガストラニーブ上将の元に送ってあります。殿下が東方軍に合流されるならガストラニーブ上将から渡されるかと存じます」
ドライゼール王太子の我慢の限界だった。思わず立ち上がりながら、
「そなたの言い分は分かった。どうあっても魔道具を渡さぬと言うのだな」
「戦場以外で役立つものではございませぬ故、持って参りたいと存じます」
アリサベル師団はこれから戦場へ向かうのだ、後方にいる王太子の部隊に戦場で使う物を渡すつもりはない。レフもイクルシーブ准将も魔器での通心でその方針に賛成していた。
――ええい、陛下からの通達がなければ無理矢理にでも取り上げるものを!
気まずい沈黙が部屋を覆った。その中でアリサベル王女もベニティアーノ卿も無表情に立っていた。ザイデマール千人長は懸命に無表情を装いながら、額に汗が浮いていた。王太子の護衛の兵達は気まずそうに視線をそらしていた。誰も口を開かないまま8半刻ほどが過ぎた頃、
「今日は王太子殿下のご尊顔を拝する機会をお与えくださいましてありがとうございました。未だ今日の行軍予定が残っておりますれば失礼したいと存じます」
しれっとそんなことを言って、又見事な礼の後、王女一行は部屋を出て行った。ドライゼール王太子は一言も返さなかったが、握りしめた両手はぶるぶると震えていた。ドシンと強く床を踏みつける音が遠ざかる3人の耳に聞こえた。
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