第93話 逆襲の始まり 3
レフと並んで馬を進めながらご機嫌だったアリサベル王女の機嫌が悪くなったのは、レクドラムを出て2日目の夜に、
「設置した転移の魔器を利用して先にザアルカストの方へ行きます。帝国軍の様子を探ってアリサベル師団が到着したときに直ぐに動けるように準備しておくために」
と言われたときだった。
「じゃ、私も一緒に……」
と言いかけて、レフに
「駄目です」
と言われたからだ。まだテルジエス平原の北寄りの地点で、レクドラムを占領した帝国軍が念入りに荒らして無人になった領域を越えた辺りだった。人が戻り、建物が修復され、耕地が再整備された集落が目に付くようになっていた。
「何故ですか?シエンヌ、アニエス、ジェシカはレフと一緒に行くのでしょう?」
「あなたがアリサベル師団の表象だからです。師団が通り過ぎていく土地の領主達が必ず挨拶に来ます。今の王国でアリサベル師団と誼を通じておくことを躊躇う領主はいませんから。例え好意的でない感情を持っていても挨拶もしないと言う選択肢は有りません。その中には貴女が直に会わなければならない者もいるのです」
その通りだった。ここまでテルジエス平原を行軍しているときも、何度か近隣の領主の挨拶で足止めされていたのだ。領主の格によってはアリサベル師団分隊司令官ザイデマール千人長が、あるいはベニティアーノ卿が相手をすれば良いが、短時間であってもアリサベル王女自身が謁見すべき格の領主も居るのだ。特にテルジエス平原からアガテア平野に入ればアルマニウス一門の領が続く。領都ルルギアを失ったと言っても、3大貴族一門の中で唯一健在で、現時点ではガストラニーブ上将旗下の国軍とともにアンジェラルド王国の柱石と言って良い一門だった。同門のベニティアーノ卿がアリサベル師団の中で重きを置かれていると言っても決して粗略には扱えない。特に臨時編成で王国内に確固たる基盤をもないアリサベル師団としては、領主達と誼を通じておくのは疎かにして良いことではない。
「……分かりました」
アリサベル王女は愚かではない。レフの言葉の意味を理解して肯った。不機嫌な表情はそのままだったが。
「ジェシカは置いていきます。私への連絡役として。転移の魔器もジェシカに預けておくから、必要があれば私は直ぐに貴女の側に戻ってきます」
アリサベル王女は今の会話を聞いていた周囲の人間をぐるりと見回した。不満そうな顔をしているのは王女とジェシカだけだった。ルビオは無表情だったがロクサーヌなどあからさまにほっとしていた。
「はい、でも、シエンヌとアニエスが羨ましくてなりません。いつか私もレフと一緒に少人数で動きたいものです」
「東方軍に合流すればそう言う機会があると思います」
「本当ですか?」
「ああ、きっと」
「期待して待っています」
余り期待していない顔でそう言われて、レフはシエンヌ、アニエス、アンドレ、カルドース百人長(レフ支隊に正式に配属されたときに十人長から百人長に昇進)を連れて、アガテア平野内に設置してある転移の魔器の一つをめがけて転移した。
「ふーっ、疲れた」
アリサベル王女は体を縛っていたドレスを半脱ぎして、ベッドにうつぶせに身を投げ出した。ザアルカストにあと1日強と言うところまで来ていた。その地の領主館の客間だった。レフの予想通りアリサベル師団の通り道に当たる地を領する貴族達はこぞってアリサベル王女に挨拶に来た。かなり離れた所に領を持つ貴族もいた。特にアルマニウス一門が多いアガテア平野に入ってからはそれが顕著になった。野営地に当たった領主は、自分の館にアリサベル王女を始めとする師団の幹部を招いて宿を提供したし、師団の兵にも民家を割り当てて宿泊させた。その代償のようにアリサベルは領主館で催される歓迎の宴に出ざるを得なかった。以前はそれ程とも思わなかったそう言う宴に妙に疲れを覚えるようになっていた。
――レフと一緒だったら楽しいかも知れないのに……、それにしてもドレスがこんなに体を締め付ける物だったなんて――
やっとその宴が終わったのだ。これでも行軍中と言うことを考慮して簡素にしてあるのだとベニティアーノ卿は言ったがアリサベル王女には信じられない事だった。
「……男性には、特にレフには絶対に見せられない姿ね」
部屋に居るのはロクサーヌとジェシカだけだった。ロクサーヌはいつも護衛の位置に居るし、ジェシカはレフとの繋がりを考えて側に置いている。アリサベル王女にとっては二人とも緊張を解いても良い相手として認識していた。
「明日にはレフと会えるのね……」
「明日は未だ無理かと」
遠慮がちにジェシカが応えた。
「王太子殿下にお会いにならなければ……」
とたんにアリサベル王女がしかめ面をした。ベニティアーノ卿に言い含められたことを想い出したのだ。
先を急ごうとするアリサベル王女に向かって、
「スタサップにドライゼール様がおられます。ご挨拶しておかれる方がよろしいでしょう」
宮廷の中の遊泳術にかけてはアリサベル王女などコスタ・ベニティアーノの足下にも及ばない。これまでは王族であることを前面に出せば良かった。しかし、今の立場は独立師団の表象だった。それをわきまえて振る舞わなければならない。誰と会って、どんな話をして、どこまでなら親しくしても良いのか、言わばベニティアーノ卿に手取り足取り教えられているようなものだ。
王太子に表敬訪問するなどと言う用事がなければ、明日中に――急げば――ザアルカストに着くのだ。王女は不満そうに鼻を鳴らした。そんな行儀の悪いことは昔――王宮が生活の全てだった頃――はしなかった。
「ドライゼール殿下が私を歓迎されるとは思えないけれど……」
「ですからなおのこと、形式だけはきちんと整えておく必要があるのです。後で言いがかりを付けられる余地を残してはなりません」
「面倒くさいこと!」
「アリサベル師団は無視できない力を持つようになりました。第一王位継承権者の王太子殿下にとっても、です。もし何か軋轢が起きたときにアリサベル様の側に非があると周りに思われてはなりません。お分かりかと思いますが」
王太子派の貴族の方が圧倒的に多い。変化を好まず、慣習通りの生活を望む貴族達だ。帝国との戦の所為でとっくにそんな選択肢がなくなっていることに気づいてない。そんな貴族達はアリサベル王女のちょっとした瑕疵を大げさに言い立てるだろう。
「分かっているわ。ちょっと拗ねてみせただけ。ちゃんとドライゼール殿下に挨拶するわ」
――私がドライゼール兄様のライバルになるなんて、妄想も良いところなのに――
――アリサベル様はまだ甘く見ていらっしゃる。アリサベル師団を、そしてアリサベル王女をどんな眼で王国の民が、何より貴族達が見始めたか……、陛下もそろそろ無視できなくなっておられる――
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