第93話 逆襲の始まり 1

「帰ってこぬか」


 苦々しげに言うファルコス上級魔法士長の前に跪いたロキサーフ魔法士長が頷いた。


「はい、ザアルカストの方へ出した偵察隊は一組も帰ってきておりません」

「これで3日目か……」

「はい」


 一昨日から王国軍の様子を探るためザアルカスト方面に出した偵察隊が帰ってきていなかった。情報収集と分析は魔法士の役目だった。どの魔法士をどういうローテーションでどの方面に出すかロキサーフ魔法士長が決めていた。偵察で得られた情報については分析の最終責任はファルコス上級魔法士長にある。偵察に出した魔法士の報告を整理してファルコス上級魔法士長に提出するのがロキサーフ魔法士長の役目だった。整理して重複などは除くが、魔法士のもたらした情報はできるだけ生のまま提出するようにしていた。

 送り出した偵察隊が全て失われるというのは尋常な事態ではない。1日目については、送り出した複数の偵察隊が偶々王国軍の部隊とぶつかって武運拙く敗れた可能性もあった。魔器を破壊されて、同じ量と質の情報を得るためにはこれまでよりずっと王国軍に近づかなければならないからだ。しかし2日続けば偶然ではあり得ない。

 ディアステネス軍が魔器を失ってから、王国軍の動きは活発になっていた。通心、探査・索敵の能力が五分五分になれば、地理に詳しい王国軍の方がいくらか有利になる。それを補うために偵察隊の数を増やしていた。王国軍が積極的な攻勢に出なかった所為もあるが、それで何とかザアルカストにいる王国軍の様子を知ることができていた。偵察ができなくなって王国軍の情報が入らなくなる、というのは開戦以来ずっと情報戦において優位に立ってきた帝国軍にとって容認できることではない。


「通心はできていたのだな?」


 普通、偵察隊は探査・索敵に優れた魔法士に1~2個小隊の護衛を付けて送り出す。2日続けて偵察隊が失われた後、その様子を知るために二人一組で魔法士を送り出したのだ。一人は探査・索敵に専任させるため、もう1人は通心のためだった。全部で3組、護衛も4個小隊を付ける異例の処置だった。


「はい、決して切らぬよう、また起こっていることを細大漏らさず通心するように申しつけてありました」

「それで、どうなのだ?」

「3組とも待ち伏せによる奇襲を受けております。しかも襲ってきた王国軍は1個中隊規模でございました。あっという間に壊滅し、それ以上の情報は入っておりません」

「つまり、最悪の場合、王国軍は偵察隊の編制、位置、進路を我々が探査できない距離から探査している可能性があるという訳か」


 それだけの情報があれば、偵察隊より大きな戦力で待ち伏せ、奇襲ができる。


「まさかその様な」

「開戦から今までは帝国軍われわれがそうしていたのだぞ。我々が魔器を失った今、王国軍やつらが魔器に匹敵するものを手にしていないと誰が言える?」


 ファルコス上級魔法士長の言葉に魔法士長は顔色を失った。確かに王国軍は、主にアリサベル師団だったが、帝国の魔法を凌駕する魔法を使っている。通心や、探査・索敵の魔法だけ旧来のままというのは考えにくい。


 ファルコス上級魔法士長は軽く溜息をついた。


「気は進まぬが、ディアステネス上将閣下に報告せねばならぬな」


 どんな情報であっても正確に伝えること、これはガイウス大帝の頃から徹底して魔法士が仕込まれることだった。しかし、補給の魔器をルルギアで失ったことは痛かった。これから先も、少なくとも当面は魔器の補充はないと覚悟しなければならない。性能の落ちる魔道具を使い続けることになる。これまで王国軍の探査・索敵を馬鹿にしていたがこれからは立場が逆転する。ロキサーフ魔法士長はその対応の責任者でないことに密かに安堵した。





 アリサベル王女は夕食後も執務室で書類の整理をしていた。このところ彼女の所へ回ってくる書類が目に見えて増えていた。レクドラムにアリサベル師団の主力が駐留するようになってからレクドラムに来る民間人が増えていたからだ。レクドラムはシュワービス砦の後方基地と言うだけではなく、帝国との交易の中継点としても栄えた街だった。しかし、帝国との交易が中断している今、レクドラムへ来る民間人は駐留しているアリサベル師団目当ての人々だった。


「ねえ、ルビオ」


 書類から目を上げたアリサベル王女が、側で律儀に護衛の位置を動かないルビオに、両手の中指で眼の端を揉みながら疲れたように話しかけた。


「何故私が酌婦付きの酒場の申請書類にまで目を通さなければならないのかしら?」

「そ、それは……」


 返事に詰まったルビオに同じ部屋で仕事をしていたベニティアーノ卿が助け船を出した。


「現在レクドラムが閉鎖都市になっているからでございます。王国軍の中でも群を抜いて秘匿情報が多いアリサベル師団が駐留しているのですから、少しでもあやしい者は、男であろうが女であろうが街に入れるわけには行きません。帝国としてもその目と耳をアリサベル師団のすぐ側に置こうと必死でしょうから。誰を街に入れるかの許可の最終判断と責任は上層部が取る必要があるのです」

「こんな者達、全部閉め出してしまうわけには行かないの?」

「殿下、ここは最前線に近いのです。とくに砦との交代要員はレクドラムに帰ってくると羽を伸ばしたくなります」


 雪の中でも王国砦までは何とか行き来することができた。そのため王国砦の兵は順番に30日ほどで交代している。


「それは分かるけれど、ルビオ。帝国砦に詰めている兵達は雪が溶けるまで詰めっきりよね、それより後方にいる王国砦の兵ばかり優遇することにならない?」

「帝国砦に詰めている兵達がレクドラムに帰ってくればなおのこと羽を伸ばす必要があるかと思います。そう言う場を作っておいてやる必要があるかと……」


 最前線から無事に帰ってくることができた、その安堵に全身を浸して酒を飲み、女を抱く。ルビオにも覚えがあることだった。


「それくらいにしてやってください、殿下。若い者が最前線の緊張から解放されるのです。必要悪とご納得ください」


 アリサベル王女はフーッとため息を吐いて、左手で書類をひらひらと動かした。


「でもこれでこの10日間で5件目よ。多すぎない?」

「それでも殿下、殿下の手元に届くまでに7割以上の申請が却下されているのです」

「本当に7割も却下されているのかしら?」


 アリサベル王女が首をかしげたとき、執務室に入ってきた者がいた。アリサベル王女とベニティアーノ卿が緊張したのは、慌てたように走り込んできた者がいつも王宮との通心に従事させているダルディアス魔法士長だったからだ。それが控え室から全力で走ってきたように息を切らせている。何か重要な通心があったのだろうとベニティアーノ卿はルビオに、イクルシーブ准将とアンドレ、レフに連絡するように小声で伝えた。ルビオが急いで部屋を出て行った。




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