第92話 王国軍の魔器
「どうだ?」
ガストラニーブ上将に問われて、
「なんと言えば良いのか……?これまでの魔道具とは隔絶した性能を持っております」
イセンターナ上級魔法士長が出てもいない額の汗をハンカチで拭きながら応えた。冬の間に要塞化されたザアルカストの、元は領主館で今は王国東方軍の司令部として使われている建物の、奥まった一室だった。そこにガストラニーブ上将、マクナーブ中将、王国海軍司令官グリツモア上将を始めとする司令部の要員が集まって、イセンターナ上級魔法士長の報告を聞いていた。
アリサベル師団から探知・索敵の魔器が100個、送られてきたのだ。魔器を運んできた魔法士――アルティーノ魔法士だった――が魔器の使い方と、いくつかのパターンがある魔器のどれがその魔法士に一番合うか調べる方法を教えて行った。魔法士の持つ魔力パターンに合う魔器を選ぶ方法は簡単だった。球状の魔器の北極部分に指を当てる、すると指先から僅かに魔力が吸われて魔器が微かに光る。それが赤道部分まで光ればその魔法士に合った魔器だと言うことになる。希にだが南極部分まで光ることがある。赤道まで光るよりずっと上手く合致したことを示している。
アルティーノ魔法士の場合のように、さらに良く合わせるための改造は行わない。それができるのはレフとジェシカだけだったからだ。それでもアリサベル師団から提供された魔器はこれまでの魔道具に比べると勿論、帝国軍が使っている魔器に比べてもそれを凌駕する性能を持っていた。王国魔法士達は知らなかったが、帝国では全ての魔法士に同じ魔器を使わせている。多少なりとも魔法士別に、限られたパターンの中からではあるが合致する魔器を使わせようとしている王国よりも機能は落ちるのだ。
起動するときには北極部分から魔力を流す。このとき、イセンターナ上級魔法士長のように優れた魔法士以外の、普通の中隊付きの魔法士ならば全力で魔力を流さなければならない。起動できれば維持するための魔力はずっと少なくなる。普通の魔法士でも連続して1日くらいは使える。
ガストラニーブ上将やイセンターナ上級魔法士長が、アルティーノ魔法士の言うことをそのまま信じるはずはなかった。たかが領軍出身の魔法士風情が、偉そうに(イセンターナ上級魔法士長にはそう感じられた)教えていったことなど、話の半分も本当なら大したものだ。
当然試してみることになった。イセンターナ上級魔法士長に魔法士を二人付けて、2個中隊の護衛とともに偵察に送り出したのだ。勿論、魔法士達はそれまで愛用していた魔道具を持っていくことも忘れなかった。
――そして、驚愕することになった。
「これまでの魔道具に比べますと、索敵の精度も探査の範囲も遙かに上でございます」
索敵の精度や探査の範囲はその魔法使いの資質に依存するが、イセンターナ上級魔法士長が連れていった普通の魔法士の精度・範囲でさえ、イセンターナ上級魔法士長が愛用の魔道具を使った場合より上だったのだ。イセンターナ上級魔法士長に至っては、帝国軍が居座っているアンカレーヴに1里半にまで近づくと中の様子が探知できるようになった。最初は得られる情報の多さに目眩がするくらいだった。そこまで行けば当然のように帝国軍も偵察隊を出している。イセンターナ上級魔法士長が魔器を使えば、1里半の距離で手に取るように、偵察隊の人数や進む方向、速度が分かるのだ。実際に得られている情報が虚偽ではないことを確かめるために帝国軍の偵察隊を目視できる距離まで近づいた。王国軍に全く気づいてないことはその行動を見れば一目瞭然だった。
「どれくらいの距離まで近づいたのだ?」
ガストラニーブ上将の問いに、
「気配を小さくするために私の他には護衛の1個小隊のみの編成でしたが、ほぼ300ファルくらいには近づいたかと」
ベテランの魔法士としては驚くべき胆力と言って良い。見つかって追われれば体力に劣る魔法士が逃げ切るのは容易ではない。まして若くはない。尤も相手が1個中隊規模なので、後方に待たせている護衛の2個中隊の所まで逃げ切れば何とかなるとは思っていた。
「その距離で帝国軍の偵察隊がお前達を探知できなかったのか」
ルルギアで戦っていた時の帝国軍と同じ軍とは思えないほどの索敵精度の悪さだ。
「はい、こちらに全く気づいた様子はありませんでした」
「帝国軍の魔器をほぼ全て破壊したという、アリサベル師団からの情報は本当なのかも知れんな」
「有り得るかと、魔器でなく旧来の魔道具を使っているのであれば理解できます」
「レクドラムの戦いの逆になるわけですな」
「ルルギアの時のように受け身の対応を続けなくて済みますな」
グリツモア上将とマクナーブ中将の言だった。ルルギアで、索敵精度に劣る王国軍が辛うじて持ちこたえられたのは、ガストラニーブ上将の老練な用兵のおかげだった。だが探査・索敵で帝国軍を上回る可能性が出てきた。彼らが口角を上げて笑うのも無理はなかった。
――今度は俺たちの番だ。
「アリサベル師団か……」
「と言うより、アリサベル殿下の婚約者になった帝国からの亡命貴族でしょう。帝国の魔女の子というのも本当かと思われます。この魔器の精度……、信じられないほどのものです」
イセンターナ上級魔法士長が手に持った魔器を見ながら相づちを打った。魔導銀線で法陣を描く、それまで何人もやったことのないことだ。ガイウス大帝でさえ、薄くのばした魔導銀の板の表面に特殊なインクで法陣を描いて魔道具を造った。当時その魔道具は画期的だった。完全に個々の魔法使いの資質に依存していた魔法を、魔道具を補助に使うことで魔法使いの裾野を広げ、均質な魔法が使える様にしたのだ。その結果、軍で使えるほどの数の魔法士を確保できるようになった。帝国魔法院も勿論王国魔法院もその延長上で研究しているに過ぎなかった。魔器の創造は、ガイウス大帝以来の革命だった。ただし問題は、魔器の製造が完全に魔法使いの資質に依存することだった。魔導銀線を紡ぎ出し、その魔導銀線で法陣を描くことを補助する手段はなかった。そしてその資質を持つ魔法使いは非常に少なかった。
「ただ、問題があります」
「問題……?何だ」
「魔道具に比べると得られる情報の質と量が桁違いです。その情報処理に慣れないと宝の持ち腐れになります」
現にイセンターナ上級魔法士長でさえ未だ使いこなせているとは思っていなかった。
「慣れれば良いのであろう。明日から魔器を持たせた魔法士達を偵察に出す。実戦で使うのが一番の早道だろう。イセンターナ上級魔法士長、魔器を持たせる魔法士を選抜しろ。100個しかないのだから魔法士全員に持たせるわけにも行かないのだからな。そいつらを魔器の操作に習熟させるようにしなければならん。マクナーブ中将、偵察に出す魔法士の護衛のローテーションを組め。腕利きを選んで、最優先は魔器の保護、次ぎに魔法士の保護だ。特に魔器を帝国軍に奪われるようなことがあってはならん」
「「はっ」」
「何とかなりそうな道が見えてきたな。(こうなるとなおのこと、アリサベル師団を東方軍に欲しいな)」
最後にガストラニーブ上将が小さく呟いた言葉は忙しく動き始めた司令部要員達の耳には届かなかった。
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