第91話 ルルギア 3

 アンドレが肩をすくめてあきれたように言った。


「あ~あ、折角皇都からここまで運んできて、ご苦労様なことだな。あんたに壊されるために持ってきたようなもんだな」

「この程度のことで壊れるようなものを造る方が悪い」


 大騒ぎに目を覚ました帝国軍の兵達が次々に広場に集まってきた。


「周りを探せ、敵がいるぞ!」


 士官が訳の分からぬまま命令を下し、兵士達が右往左往し始めた。何人かがレフとアンドレの隠れている路地へ飛び込んできた。丁度そのタイミングで、馬車から発せられる閃光がレフとアンドレを浮かび上がらせた。


「誰だ?」

「怪しい奴らだ」

「曲者がいるぞ!」

「こっちだ!!」


 その大声に帝国兵が駆けつけてくる。


「なんかやばいぞ、どうするんだ?」

「もうすこしの間作動させたいが、まあ、潮時だろう。引き上げだ」


 武器を構えて近づいてくる帝国兵の目の前でレフとアンドレはかき消すようにいなくなった。尤も灯りのない路地で二人が消えたことを正確に認識できる帝国兵はいなかった。


「逃げたぞ、追え!」


 帝国兵達はそのまま無駄な追跡に移った。

レフは知らなかったが、運んできていた全ての魔器が既に破壊されていた。



 シエンヌは目の前に実体化する人影に抱きつきたい思いを懸命に堪えた。魔器を使わない転移に比べて実体化に掛かる時間が遙かに短いとは言え、安定する前にそんな事をすれば自分もレフも無事では済まない。だから完全に実体化したと思えても、さらにそれから多少の時間を待つようにしていた。


「レフ様!」


 シエンヌの横をすり抜けてレフに飛び付いた人間がいた。アニエスだった。アニエスを抱き止めて、


「無事に帰って来たぞ」


 レフが右手の親指を立てて見せた。


「アニエスずるい!」


 言われてアニエスはシエンヌを振り返ってペロッと舌を出した。レフが、続いて抱きついてきたシエンヌを、アニエスごと背中に手を回して抱いた。レフと同時に実体化したアンドレがあきれたように見ていた。


「何をしてきたのですか?」


 ジェロームが訊いた。


「ディアステネス軍に補充の魔器を運んでいたらしい、そいつをぶっ壊したんだってレフが言ってるぜ」


 アンドレの説明にレフを除く皆の目が集まった。


「いや、帝国軍の魔器が壊れるときの光り方、何度見ても派手なもんだな」


「本当なのですか?」


 ジェロームがレフにも訊いてきた。


「ああ、結構な数、破壊したと思う。帝国魔法院がどれだけのスピードで魔器を作れるか知らないが、あれだけの数を破壊したら早急な再配備は難しいんじゃないかな」


 ジェシカが魔器を造るのを見ていると、レフ以外の魔法使いが魔器を作るスピードの見当が付く。ジェシカでさえ通心の魔器を、1日根を詰めてやっと2個くらいしか造れない。それでもジェシカはかなり優秀な魔法使いなのだ。それを基準にしても魔器の増産は容易ではないだろう。魔器を造る能力を持った普通の魔法使いなら、ジェシカの半分も造れれば上出来と言って良い。帝国魔法院とは言っても魔器造りの魔法使いが潤沢にいるわけではない。ジェシカがいた頃は、イフリキアを除けばまともに魔器を造れる――魔導銀を紡ぎ出し、法陣を描く事が出来る――魔法使いは5人前後だったという。それから増えてはいるかもしれないが、倍には届かないだろう。質の伴わない魔法士を増やしてもきちんと使える魔器を造れるとは限らないからだ。魔器を破壊したのは偶然だったが、レフの行動は帝国軍の作戦遂行に重大な障害を与えたのだった。




「なんとまあ……」


 ファルコス上級魔法士長の報告を聞いてディアステネス上将は軽い溜息をついた。溜息をつきながら最近こんなことが多いなと頭の片隅で考えていた。


「無事な魔器は残らなかったのね」


 一緒にファルコス上級魔法士長の報告を聞いていたドミティア皇女が訊いた。


「残念ながら……、殆どの魔器が妨害を受けて光り始めてから直ぐに壊れたようでございます」


 予備の魔器と、魔法院の魔法士に無理をさせて造らせた魔器で、計300個以上あったはずだ。それが全て破壊された!


「どれくらいの時間妨害の魔器に曝されていたのかしら?」

「最初の混乱から立ち直って、広場の周囲を捜索し始めて直ぐに不審な2人連れを見付けたそうでございます。おそらく8半刻前後であろうと……」

「その2人が妨害の魔器を使っていたのね」

「恐らくは……、見付けられて直ぐに背を向けて逃げ出したそうにございます」

「たった8半刻で……」


 最初に妨害の魔器を使ったときは、魔器が破壊されるまでもっと時間が掛かったはずだ。それにドミティア皇女の魔器は、イフリキア様の造った魔器は妨害は受けたが破壊されていない。それを考えると、


――魔法院で造られる魔器の精度が落ちている、イフリキア様がおられた頃より――


「その2人は結局捕まらなかったのね」

「はい、直ぐに市を閉鎖して徹底的に捜索して30人近い不審者を摘発したのですが、その中にはいなかったようです。魔法士長クラスまで動員して尋問したとのことですが」

「そう」


 イフリキア様の子が、占領した街の警護をしているような兵に捕まるとは思えなかった。


「なお、不審者は全員絞首刑に処したそうです」


 ドミティアは眉をしかめた。戦場の即決裁判のような乱暴な処理は好きではなかった。


「魔道具はどうだったのだ?同じように壊されたのか」

「いえ、閣下。魔道具は無事でございます」

「そうか」


 追加の魔器だけではなく、通心の魔道具もできるだけかき集めて送ってくれるように頼んだのだ。取りあえずそちらが無事ならなんとか指揮ができる。最低限の要望は満たされた。魔器に比べると到底満足できない水準ではあっても通心は可能だ。


「魔器無しで闘うことを覚悟しなければならないか」

「でもどうやってあんなぴったりのタイミングで魔器破壊をしたのかしらね?」


 まさにその日補給物資がルルギアに届き、翌日にはディアステネス軍に向けて出発する予定だったのだ。


「多分、かなり以前からルルギアに潜んでいて狙っていたのでしょう」


 ファルコス上級魔法士長としてはそう考えざるを得なかった。まさか全くの偶然だなどとは考えられない。


「潜んでいた王国の魔法士を見逃していたのか、ルルギア駐留軍は」


 無能どもめ!ディアステネス上将は腹の中で吐き捨てた。


「駐留軍司令官のガナジオ下将は軍法会議に掛けられるとのことですが……」

「寛大な処置は望めないな。信賞必罰ははっきりさせなければならん」


 無能な将官は要らない。ガナジオ下将を処分することで綱紀が粛正できるなら、その程度の役には立ってもらおう。


「あの妨害の魔器を使うにはどうしてもレフが必要だと思うわ。随分広い範囲で効果を現しているもの。それに破壊された魔器に流れた魔力はそれを持っていた魔法士の魔力より大きかった。生半可な魔力でできることではないわ」


――そう、イフリキア様が持っていたくらいの魔力がなければ……――


「ということはレフがアリサベル師団を離れているってことかしらね?」


 王国内にはまだ大規模な軍の移動を捕捉できるくらいの目と耳は残してある。師団規模の、場合によっては連隊規模の移動がそれに引っかからない筈はない。アリサベル師団がシュワービス峠から動いた、あるいは他の師団がアリサベル師団と交代するためにシュワービス方面に動いたという報告は受けていない。アリサベル師団は今、帝国軍が警戒しなければならない最右翼の存在だ。薄くなった目と耳を最大限そちらに振り向けてある。それに引っかかってないのだから、師団をシュワービスに残したまま、レフだけが、あるいはレフを核とした少数の人間が動いたのだと推測される。


「忙しい男ですな、シュワービスを陥としたと思ったら、多分直ぐにルルギアまで出張ってきている」


 その上、峠の口ではついでのようにガイウス7世の命を狙っている 


「そうね、アリサベル師団にばかり注意を払っていると、師団と別行動をとるレフに足を掬われる可能性があるわね、今回みたいに」

「厄介ですな」


 どうも直ぐに魔器を使える見込みは薄そうだ。少なくとも春の戦闘再開に間に合うことはないだろう。ディアステネス上将は首を振りながらこの短時間で何回目になるか分からない溜息をついた。





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