第90話 それぞれの思惑 3

「陛下のお言葉を頂いておいて良うございましたな。上将閣下」


 黙ってドライゼール王太子とガストラニーブ上将の話を聞いていたマクナーブ中将が宥めるような口調でガストラニーブ上将に話しかけた。第3軍の副司令官で、ガストラニーブ上将の腹心だった。処置なしといった風情で、乱暴に閉められたドアを見ていたガストラニーブ上将が振り返った。


「全くだ、陛下から東方軍の指揮権は私にあると明確なお言葉を頂いていなければ、殿下は又暴走されたかも知れないな」


 出発前にわざわざ東方軍の指揮権はガストラニーブ上将にあると、ゾルディウス2世が東方軍幹部の前で明言したのだ。ゾルディウス王が望んでいるのは、ドライゼール王太子が直截の軍功を上げることではない。軍功を挙げた軍の指揮を例え名目だけでも王太子が執っていたと周囲に示すことだった。アリサベル王女も自ら指揮を執っているわけではないがその名声は大きくなるばかりだ。ここでドライゼール王太子を戴く東方軍がそれなりに帝国軍と戦い、王国を護ることができればアリサベル王女と並ぶことができる。それで良かったのだ。だからこそ用兵の堅実さには定評があるガストラニーブ上将に指揮権を認めたのだ。

 ゾルディウス王の言葉が無ければ今の王太子の様子では勝手にアンカレーヴに籠もる帝国軍を攻撃するために出撃したかも知れない。そう思うとガストラニーブ上将はぞっとした。


「でもこれで、殿下の覚えはかなり悪くなりますな」

「構うものか。殿下が即位される頃には私は引退した年寄りだ。それに覚えが悪くなってもこの戦に負けてしまえば殿下の覚えなど関係ない。取りあえず一直線に負け戦に突っ込む事態だけは避けられた」


 今上将が気にしているのは、帝国軍に対抗できる戦力を保持し続けることだった。戦の風は気まぐれだ、いつどんなふうに吹くか予想できない。いま帝国軍に吹いている風もいつまでそのまま吹き続けるか分かったものではない。

 ザアルカストを要塞化して立て籠もれば倍の帝国軍が相手でも何とか防衛くらいはできるだろう。大事なのは無視できない戦力として帝国軍に認識させることだった。放置して王国領内に侵攻しようとすれば足下を掬ってやるという姿勢を見せ続けることだった。そのためには負けてはならない。いや例え勝ってもその後に響くような損害を出してはならない。今の王国軍と帝国軍では後ろに控える戦力の厚さが違う。しゃにむに攻めればアンカレーブや、上手くやればエスカーディアを陥とせるかも知れない。しかしそれで戦力を消耗してしまえば王国に後は無い。尤も、じっと待っていても王国に風は吹かないかも知れないが、ガストラニーブ上将は苦笑した。


――噂に聞くアリサベル師団か、やはりこちらへ回してくれるように陛下にお願いしよう。噂の半分でも本当なら、随分話は違ってくるのだが――


 アンジエーム王宮の奪還、クィンターナ街道の闘い、シュワービス峠の攻略などいろいろ情報は集めている。第3軍にも独自の目と耳はあるし、他の王国軍にも情報源は持っている。自分の知らない魔法が使われていることも分かっている。目の前でその攻撃魔法の威力を見たことは無いが、集めた情報の半分も本当であればどれほど使いでがあるか、劣勢の王国軍としてはシュワービス峠の守りなどにおいておくにはもったいなさ過ぎる、と言うのが上将の考えだった。


「所で、上将閣下。リスロック卿が来ております」


 マクナーブ中将がガストラニーブ上将の執務室へ来た理由だった。話し始めようとしたときにいきなり入ってきたドライゼール王太子のために中断されていたのだ。


「リスロックが?」

「はい」

「ふむ、あっちで話そうか」


 ガストラニーブ上将が顎で示したのは執務室の横に付いている小部屋だった。執務室には副官や司令部の要員が何人かいる。小部屋は彼らに聞かせたくない話をするための部屋でもあった。ルダン・リスロックはガストラニーブ上将がルルギアの防衛戦の指揮を執っていたときの、ディセンティア領軍の最高幹部だった貴族だ。ディセンティア一門では少数派である海に利権を持たない貴族――ディセンティア一門の四分の一ほどを占める――のまとめといったポジションにいた。将としても有能でガストラニーブ上将もディセンティア領軍に対する命令は彼を通すことが多かった。


 マクナーブ中将が合図をすると衛兵に先導されてルダン・ディセンティア・リスロックが執務室へ入ってきた。40過ぎの姿勢の良い長身の男だった。ガストラニーブ上将を認めて近づこうとするのを衛兵が制止しようとしたが、


「良い」


 との一言で上将が衛兵の行動を止めた。リスロックの敬礼に上将も敬礼を返して、


「何か話があるのだろう。あちらの部屋の方が良いかな?」


 上将が小部屋の方を指し示すのに、


「はい、ありがとうございます」


 リスロックがその方が良いと返した。


「ディセンティア一門の中にも今回の宗家、いやルージェイ様の行動について行けない者が多くおります。ましてやダグリス様を押し込めての暴挙、若い者はともかく我々の年代になりますと反発する方が普通です」

「と言うことは、リスロック卿、ディセンティア一門も一致して帝国側に寝返ったというわけでは無いと理解して良いのかな?」

「はい、特に、海に利権を持たない家はヌビアート諸島が全部ディセンティアに属したと言っても何の得もありませんし、多少は海に関与している家も、王国海軍に奉職している人間を出しているところは、そちらを大事に考えている家が多いかと思っております」

「嬉しい情報だな。ディセンティアの一門にもまだ王国に対する忠誠を誓っている家があると、そう考えて良いのだな?」

「はい」


 ルダン・リスロックが持ってきた話は、ある意味リスロックの名前を聞いたときに予想したとおりであったが、重大な情報だった。上手く使えば帝国軍内部に獅子身中の虫を仕込むことができる。持久戦を覚悟した上将の作戦にかなりの柔軟性をもたらす可能性がある。これがディアステネスの謀略である可能性もあるが、隣の部屋で耳を澄ませているイセンターナ上級魔法士長の真偽判定を誤魔化すのは難しいだろう。


「直ぐには王国軍も動けない、戦機を見極めることになる。それまで帝国軍の魔法士にはできるだけ近づくな。奴らの魔法は王国の魔法を凌駕している。今の卿の考えを気取られないように気をつける必要がある」

「分かっております」

「連絡用の魔道具を渡しておこう、同調させた奴だ。そなたの部下の魔法士に使わせれば良い。だがくれぐれも帝国軍やつらに覚られぬように気をつけてくれ。帝国軍内にいる王国に忠誠を誓うディセンティア一門の人間がこの戦の切り札になるかも知れないのだから。うかつなことで失うには余りに勿体ない」

「はい、承知しております」


――敵陣内の不穏分子だけでは今ひとつ決め手に欠ける。やはりもう1枚切り札が欲しい。アリサベル師団をなんとかしたい――


 ルダン・リスロックはガストラニーブ上将から軍資金として100枚の大金貨を渡されて帰って行った。慎重に、くれぐれも慎重に仲間を増やすように言われて。



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