第90話 それぞれの思惑 2
「どういうことかしらね?」
会議の終了後に当然そう言う議論になる。
「これ以上アリサベル師団が軍功を挙げることを嬉しく思わない筋があるのでしょうな」
答えたのはベニティアーノ卿だった。
「王太……」
アンドレが言いかけるのをベニティアーノ卿が目で制した。
「……子殿下に近い所の筋かな」
少なくともドライゼール殿下を直接名指しすることは止めた。
「ガストラニーブ上将は用兵の手堅さに定評がありますが……」
イクルシーブ准将の懸念も当然だった。王国軍はアルマニウス、エンセンテの一門からかき集めて3個師団を増設して、ディセンティア一門領との境界で帝国軍と睨み合っている。質を考えなければ兵力だけは帝国軍に匹敵する。膨らませた軍を頼んでドライゼール王太子が暴走する可能性がある。
「プレルザ卿からの連絡では」
プレルザ家はアルマニウス一門に属している中程度の貴族家だった。領はアルマニウス一門の東の端に近く、ディセンティア一門の領と隣り合っていた。ディセンティア一門にも知り合いが多く、ディセンティア宗家が離反した後でもまだ付き合いを止めていなかった。ベニティアーノ卿とも親しく、ディセンティアが離反してからその一門の情報を得るために、コスタ・ベニティアーノが頻繁に連絡を取るようになっていた。
「ディアステネス軍の動き妙に鈍いようだ。増強されたガストラニーブ軍にずるずると押されて、現在戦線がエスカーディアとアンカレーヴを結ぶ線まで下がっている」
「あのディアステネス軍が、押されているの?」
「はい、殿下。マトレ、カナベラといった街まで部隊を派遣したそうですがガストラニーブ軍が近づくと放棄して後退したと言っています」
マトレ、カナベラというのはディセンティアの領境に近い比較的小さな街だ。
「追撃はできたのか?」
レフの疑問だった。
「いや一当てはしたがそのまま帝国軍は退いた様だ。後ろから襲う余裕はなかったらしい」
帝国軍が退いたと言っても敗走では無い。秩序を保ったままの後退だったと言うことだ。
「つまり帝国軍にとっては予定の行動だというわけだ」
「やはりレフ殿もそう思うか」
「ああ、調略したディセンティアを納得させるために形だけ軍を西に送ったのだろう。ディセンティア一門の領土も守りますよというポーズだな。だから王国軍が近づいたら申し訳程度に抵抗して退いた。エスカーディア、アンカレーヴの線は固守するだろうが、ガイウスの野郎が連れていった部隊が再度合流するまで決戦には出てこないだろう。小競り合いは続けるだろうが本格的な闘いは帝国の雪が溶けてからにするつもりだろう」
「簡単に帝国軍が退いたのを、ひょっとしたら王太子殿下が誤解されているかも知れません。現時点では王国軍の方がディアステネス軍より多いから勝てると思っていらっしゃるかも……」
アリサベル王女がイクルシーブ准将の言葉に眉をひそめた。
「いくら何でもそんな」
「有り得ます。アリサベル師団を加えなくてもディアステネス軍に勝てると思っていらっしゃる可能性があります。そうでなければ我々の来援を断る理由が無い」
「そうかも知れませんね、ベニティアーノ卿。我々抜きでディアステネス軍を破れば、これまで我々が積み上げてきた軍功に匹敵するでしょうから」
「王太子殿下が焦っていらっしゃるというの?イクルシーブ准将」
「恐らくは……」
「やれやれ、東の王国軍が壊滅するような事態になれば我々にも影響が大きい。いくら何でも1個師団で全帝国軍に敵うわけもない。そうさせないためにも多少の介入は必要かな」
「問題はどう介入するかだ、レフ。下手な遣り方だとゾルディウス陛下の命令違反になるぞ」
アンドレの意見にレフは肩をすくめた。
「まあ、何とかするしか無いだろう。(命令の範囲でやるか、バレないようにやるか)」
アリサベル師団以外の王国軍の面倒を見るなどやりたくはない、やりたくはないが仕方が無いかも知れない。どんな遣り方が効果的なのかレフは考え始めていた。
帝国軍の先遣隊をマトレ、カナベラから追い払った後、ガストラニーブ上将指揮下の王国軍はアルマニウス一門の領内にある中規模の街、ザアルカストまで退いていた。ディアステネス軍が駐屯するアンカレーヴからは遠くなるが、味方であるアルマニウス領の方が安心できるし、マトレ、カナベラより大きくて軍を駐留させやすかったからだ。ガストラニーブ上将は東方軍――ディセンティア経由で侵攻する帝国軍に対応する軍を王国はそう名付けた――の総力を挙げて、街の民や領主さえ追い出し、只の中規模の街であったザアルカストを要塞化しようとしていた。それが守勢一辺倒に見えてドライゼール王太子には不満だったのだ。
「殿下、帝国軍に隙など有りません。このまま打ち掛かればこちらの損害が大きくなるだけです」
「そうは言うがな、ガストラニーブ。今しか無いのだぞ。
もう八半刻も続いている押し問答だった。ドライゼール王太子の口調は性急で、ガストラニーブ上将の声は一見丁寧で落ち着いていたがその裏にいらだちが見え隠れしていた。
――いまでも手が出せない。ディアステネスめ、アンカレーヴを要塞化してしまいやがった――
第3軍を率いてルルギアから引き上げてくるときに見たアンカレーヴと、マトレ、カナベラにいた帝国軍を追って行った時に見たアンカレーヴは防御力から見ると別物だった。一部壊れていた市壁は修理されていたし、市壁の上に柵が設けられ、幾つもの櫓まで組まれていた。その上ご丁寧にも市壁の外には空堀がほられていた。幅が1~2ファル、深さ半ファルほどの浅い堀だったが段差があると言うことだけで集団行動を阻害する。ディアステネス上将が本気でアンカレーヴとエスカーディアのラインを保持しようとしていることを示していた。
「
「そのまま睨み合うつもりか!?王国領の2割を帝国軍が抑えているのだぞ。それを放っておくつもりなのか!」
「
“アンジエームとテルジエス平原云々”にドライゼール王太子が怒りを爆発させた。アリサベル師団の軍功を想い出させたからだ。
「ええい、お前は我が領土に侵攻した敵を打ち払う事も出来ぬのか!?」
一瞬、ガストラニーブ上将の眼が怒りを含んだ。直ぐにそれを押し殺して、
「今は自重し、時を待つべきかと」
「もう良い! お前の存念はよく分かった」
ドライゼール王太子は乱暴に立ち上がると荒い足音を立てて部屋を出て行った。その後ろ姿を見送ってふーっとガストラニーブ上将が大きく息を吐いた。
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