第90話 それぞれの思惑 1

「そうですか、デルーシャとレドランドが降りましたか」

「はい」


 ファルコス上級魔法士長がドミティア皇女の前に膝を突いて、皇都から送られてきた通心の内容を告げていた。


「陛下も思いきったことをなさったのね。貢納金の額を国税の2割に3割とは」

「貢納金ではなく、協力金と呼べとの、陛下のお言葉でございます」

「呼び名を変えただけでしょう?」

「呼び名は大事ですぞ、殿下。貢納金ではデルーシャ、レドランドが完全に帝国の下についたと思わせますからな。協力金と呼べば肩を並べるとまでは言えなくても、対等に近い印象を与えますからな」


 この場に居たもう1人、ディアステネス上将がそのドミティア皇女の質問に答えた。通心内容は極秘であり、ファルコス上級魔法士長が直接通心を受け、まずはごく少数の人間に知らされるだけだった。


「あら、ディアステネス上将はそんな見かけを重視するの?」

「見かけを繕うのはタダですからな。それで相手が気をよくして関係がスムーズに行くのならどんな呼び方でもしましょう」

「で、その協力金を負けてもらう代わりに、デルーシャ、レドランドは1個師団ずつを送ってくる訳ね、対アンジェラルド王国戦に」

「はい、これから編成して送ってくるそうですので来春になるかと」

「あんな鈍重な軍など要らない、って言ってなかった?

「魔器を使う帝国軍に比べれば反応は鈍いし、動きは遅うございますな。しかし帝国軍も魔器を失えば似たようなものになります。デルーシャ、レドランドの軍を笑えなくなりましたな。この条件下ではありがたい援軍と言えるでしょう。とくに先鋒を任せても良いと陛下がおっしゃってますから」

「名誉の先鋒でいくらかでも王国軍を消耗させてくれれば御の字ってわけ?」

「降将が先鋒を任されるのは昔は良くあったことだと伝わっておりますな。ガイウス神聖帝以来そんな事はなくなりましたが」


 魔法士を使った作戦ができない軍など戦場を混乱させるだけだった。ガイウス大帝は索敵、通心を駆使して軍を縦横に動かした。そこに大帝の意志通りには動かない、いや動けない武装集団など邪魔なだけだった。降伏した軍を配下に加えるなど面倒事を増やすことでしかなかった。


「可哀想に、金で売られた損害担当の軍ってことよね」

「陛下は戦力差に任せて、損害を度外視して王国軍を一気に叩きつぶすおつもりでしょう。放置しておくにはレフは危険すぎますから」

「イフリキア様の子……、本当に帝国のために一緒に働けたらどんなに良かったか」

「今更取り返しの付かない繰り言を言っても仕方有りませんな。しかしデルーシャ、レドランドからの援軍と一旦ここを離れた帝国軍みかたを待つとなると本格的な戦はどうしても来春になりますな」

「そうね、とくに帝国からの軍は冬は動けないものね」


 帝国は雪深い。人々は冬の間最低限の動きしかしない。方向を見失えば、家からほんの十ファル前後のところで凍死する者も居るのだ。まして大軍の移動など難しい。人は何とか動けても物資の運搬はままならない。馬が使えなければ物を満載した橇を人が押すしかないのだ。


「まったく、王国の冬というのは羨ましい限りですな。真冬でもほぼ自由に人々が動き回れるなど、帝国われわれから見れば不公平きわまりない」


 メディザルナの麓などの一部の例外を除けばアンジェラルド王国が、人が動けないほどの雪に覆われることはなかった。


「シュワービスを抑えたアリサベル師団がこちらへ来る可能性が高いわね。一旦抑えてしまえばシュワービス砦の守りは二線級の貼り付け師団でも十分だから、ことさらにアリサベル師団を置いておく必要も無いし」

「その通りですな。シュワービス峠を取り戻して、王国としては西の口を塞ぐことができましたから。東に布陣している我々にさえ気をつければいい訳ですからな」

「西と東から挟み撃ちという目論みは潰れた訳よね。もう一度シュワービス峠を取ることができなければ」

「無理ですな、闇の烏という手品は一度しか使えません。その種も無くなりました」

「決着はどうしても春になるのね」

「そう思います。デルーシャ、レドランド、それにディセンティアが帝国軍に加わります。王国軍の倍の戦力になりますな。損害を度外視してぶつかれば最後に立って居るのは帝国軍……」


 ディアステネス上将は最後まで言わなかった。勝つという確信が無かったからだ。

 ガイウス大帝のサーガは男の子なら誰でも小さい頃に胸を躍らせて本を読み、吟遊詩人の語りを聞いている。次々と鮮やかに敵を屠っていく物語は大帝の側に立てば実に爽快なものだが、相手にとっては悪夢だったに違いない。そしてサーガの最も重要な要素が索敵と情報伝達の圧倒的な差であった。次の戦闘では帝国軍側が差を付けられる方に回る。レフの魔法の所為で。


 ディアステネス上将もドミティア皇女も背中を冷たい風が吹いていくのを感じていた。


――倍の戦力で大丈夫なのか――


 勿論二人ともこんなことを口にするはずも無かった。






「ふーっ」


 王宮との魔道具を介した会議を終え、イクルシーブ准将は大きく息をついた。レクドラムにアリサベル師団が置いている司令部の1室だった。魔法士が中継した会議には正式にはアリサベル王女、イクルシーブ准将が出席し、レフ、ベニティアーノ卿、それにアンドレ・カジェッロがオブザーバーとして同席していた。王宮側の出席者も、正式にはゾルディウス2世、オルダルジェ宰相、王宮親衛隊司令官のフォルティス下将、だったが、オブザーバーとして暗部長官のカルーバジダ、ロドニウス上級魔法士長辺りがいるだろうとアリサベル王女は考えていたが、まさにその通りだった。

 王女の方も誰が同席しているかなど言わなかったのだから、ゾルディウス2世の側に誰がいても気にしなかった。直接顔を合わせるのではなく、魔法士を介した会議というのは伝わる情報が言葉だけになる。直接会っていれば表情、身振り、口調など言葉の内容を修飾する情報が得られる。しかし、魔法士が「………とアリサベル王女が仰っておられます」などと告げると伝えられる内容はその言葉の含む内容のみになる。それは却って気を遣う作業だった。


「王国軍主軍の首脳部は何を考えているのかしら?」


 会談の間中王女の頭を離れなかった疑問だった。


 会談は、まずゾルディウス2世が、アリサベル師団の軍功――シュワービス峠を手におさめたこと――を褒めることから始まった。これは論功行賞の材料になると言うことで、


「これも陛下のご威光の賜物、恐縮に存じます」


 定型通りに受け答えして終わりだった。論功行賞を正当に受けるにはこの戦に勝たなければ、少なくとも負けないようにしなければならないという縛りはあった。


 この会議の一番の主題はこの後のアリサベル師団の作戦行動についてだった。


「「陛下?」」


 ゾルディウス2世の口にした事にアリサベル王女もイクルシーブ准将も思わず疑問形の返事をしてしまった。示された方針は、シュワービス峠の保持だったからだ。


「お言葉を返すようでございますが陛下、帝国砦も王国砦も充分に堅固なまま残っております。我々で無くても保持は可能かと存じますが」


 イクルシーブ准将がアリサベル師団の中でされた議論の結論を端的に述べたが、


「余はもう二度とテルジエス平原を帝国軍が闊歩している風景を見たくない。シュワービス峠は断固保持されなければならない。貼り付けの二線級師団でも大丈夫では駄目なのだ。確実に帝国軍を退けることができる戦力を置いておきたい」


 口に出したことを通心の魔道具を持った魔法士が繰り返す。それを受けた王宮側の魔法士が一言一句違わぬようにゾルディウス2世に伝える。それに答えたゾルディス2世の言葉が魔法士を通じて送られてくる。言葉は言葉通りの意味しか持たない。言葉の裏に含まれるニュアンスなど全て切り捨てられた会話だ。


 王の意志としてはっきりそう告げられれば、


「畏まりました、陛下。我が師団で確実にシュワービス峠を保持いたします」


 とアリサベル王女が答えざるを得なくなった。ゾルディウス2世も忙しいし、魔法士を通じての雑談など有ろう筈も無い。それだけのことを王から伝えられて会議は終わった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る