第87話 峠の口の戦闘 4

 次の日、レフの予想通り帝国軍が攻勢に出た。作戦と言っても狭い峠道を行くしかない。予想通り峠道の口に掛かる手前で魔器が使えなくなり、直ぐに光を発して壊れた。

 魔器は念のために持ってきた少数で、壊れることは覚悟していた。作戦自体は魔道具による通心・索敵を前提にしていた。戦力差に任せた飽和攻撃しかないというのが帝国軍司令部の見方だった。王国軍てきは2個大隊規模と推測されていた。投石機用の石も弩弓の矢も2回の領軍の攻撃でその多くを使い果たしていると思われた。帝国砦から持ってきた物なら、峠道の上に転がっている石はほぼ砦に備蓄されていた数に匹敵する。王国砦からも持ってきているとしてもそれ程の数ではないと見込まれた。

 弓と矢は多量に用意されているだろうが、2個大隊の弓兵であれば何とかしのげるだろう。力任せに叩きつぶしに来る投石や弩弓ではない。弓兵の矢なら盾で防げる。損害は大きいだろうが柵に取り付くことができればたかが2個大隊の兵など蹂躙できると言う見込みだった。


 魔器が破壊されたと連絡を受けたとき、ガイウス7世は満足そうな笑みを浮かべた。魔器を破壊できる魔法を使う者――イフリキアの子――が、目の前のアリサベル師団の残留部隊の中に居ることを示しているからだ。そいつを始末することができるのなら少々の犠牲を出しても強引に力押しする価値があった。


「殲滅しろ、逃げる者がいれば追え、1人も逃がすな」


 というのがガイウス7世の命令だった。できればレフを捕らえて、レフが使っている魔法を帝国の物にしたかったが、複雑な命令は混乱を招く。特に魔器が使えないような状況下では。だからレフを排除するのが最優先だった。


 先鋒の第五師団は投石機の射程ぎりぎりで一旦止まった。領軍が攻めたときに王国軍陣地から投射された石弾が街道上にごろごろと転がっている地点の手前だった。雪に覆われた死体もそのまま放置されている。

 そこでアリサベル師団の様子を窺う。150ファル余り先の柵の向こうにいるはずだったが余りに静かだった。見張り台の上にも誰も居なかった。

 しばらく様子を窺った後で先鋒は進み始めた。投石機の射程に入っても1発の石弾も飛んでこなかった。恐る恐る50ファルも進んだ時、


「進め!敵は居竦んでいるぞ。全力突撃、蹂躙せよ!蹂躙せよ!」


 中陣に位置していた第五師団司令官ルダン・ルドレオーブ下将だった。そう言って剣を高く掲げたとたん、王国軍の柵から発射された火弾に額を打ち抜かれて倒れた。


「ウオーッ!!」


 それでもルドレオーブ下将の命令に、第五師団の兵は全力で王国軍の柵をめがけて走り出した。

 何の抵抗もないまま 柵まで後50ファルになったときだった。いきなり帝国軍の先頭を走る兵の足下が爆発した。はっとする間もなく今度は道の両側の崖で次々に爆発が起こった。爆発の破片が勢いを持って峠道に降り注いで兵士達をなぎ倒していく。吹き飛ばされた岩石の欠片も兵を傷つける。道に埋められていた爆裂の魔器がぴょんと1.5ファルほど飛び上がって、空中で爆発して破片を振りまく。

 柵の手前50ファルから街道の口に向かって長さ150ファルの、爆裂の魔器によるキリング・ゾーンだった。凄まじい爆発音が続いて、後続の兵達は慌てて足を止め、耳を押さえてしゃがみ込んだ。そこへ後続の、勢いを殺せなかった兵がのしかかる。キリング・ゾーンの外でも死傷者が続出した。

 爆発の収まった峠道上には雪を真っ赤に染めて、死傷した多数の帝国兵が倒れていた。


「母さん……」

「痛い、痛い」

「俺の腕が、俺の足が!」


 負傷した兵達のうめき声があちこちから聞こえた。僅かな時間で、アリサベル師団の姿さえ見ぬうちに、帝国軍第五師団は壊滅していた。


 運良くキリング・ゾーンに入らずに済んで呆然としている帝国兵の目の前で、王国軍の柵が派手に火を吹いて燃え上がった。その向こうでレフ達10人が帝国砦へ転移して行った。


 キリング・ゾーンに入らず生き残った帝国兵は、王国軍の陣が既に無人であることも知らず、柵が焼け落ちるのを呆然と見ていた。彼らが負傷兵を収容し、味方の死体を片付け始めたのは、半刻も経ってからだった。魔法士が焼け落ちた柵の向こうには誰も居ないと言い、少数の魔法士達が実際に柵の向こうを確かめた後だった。




――その夜、


「糞が!!」


 ガイウス7世が思い切り叩きつけた拳で、厚い一枚板でできた頑丈な机にひびが入った。ガイウス7世は魔纏ができる。当然全力を込めても拳を痛めることなどないが、強化された拳の力に机の方が耐えられなかった。

 ガイウス7世の前に姿勢を正して立つダスティオス上将、クトラミーブ中将を始めとする司令部要員達が一瞬びくんと動いた。ガイウス7世の放出する怒りは物理的な圧力を感じるほどだった。要員達の顔は何とか無表情を保っている。

 誤算だらけだった。1人の王国兵も斃す事が出来ないまま第五師団が死傷4500余を出した。全滅判定だった。第五師団将校団は師団長が戦死し、損耗7割と一般兵より多くの損害を受けた。ルドレオーブ下将の突撃命令に指揮官先頭を実践したからだ。士官の側にいることが多い魔法士もほぼ同じ割合で死傷していた。編成し直すことは無理で、生き残った兵をばらばらにして他の師団に入れるしかなかった。


「それにしても」


 ダスティオス上将が恐る恐る口を開いた。


「アリサベル師団がいったいどうやってあれほど速やかに撤退していけたのか、理解できませんが」


 攻撃前に2個大隊規模の王国兵がいると探知されていた。ガイウス7世も、他の魔法士達もそう思っていた。しかし焼け落ちた柵の向こうにはそんな軍が居た形跡はなかった。先ず雪が踏み荒らされてなかった。2個大隊の兵がいれば動き回らなくても、雪の上に痕跡が残るはずだ。少数の、精々10人から15人前後の人間が動いた痕があるだけだった。それも峠道を上っていく方向ではなく柵の周辺に見られるだけだった。補給物資を集積していた痕も見つからなかった。煮炊きをした痕も排泄した痕もなかった。


「どうやってシュワービスの王国砦を陥としたか想い出せ」


 ガイウス7世の声は冷たかった。


――何か誤魔化されたのだ。2個大隊の兵などあそこには居なかったのだ。探知した王国兵の集団は余りに平板だった。多分レフがそう言う魔法を使ったのだ――


 ガイウス7世にはそんな事を他に言う気はなかった。自分が魔法で欺かれたことを認めるのは業腹だったし、確信も無かった。他の魔法士達は上級魔法士長を含めてそんな事に気づいてなかった。だが、おそらく、――間違いない。


「転移魔法!?アリサベル師団やつらが転移魔法を使うと、そう仰るのですか?」

「転移魔法は、送門も迎門もイフリキアが造ったのだぞ。その子が同じ魔法を使えないとする方が不自然だろう」


――転移させたのは2個大隊では無く、せいぜい数十人だろうが――


「それは……」


 ダスティオス上将は背筋が寒くなった。これまでは魔法の運用で帝国が王国を上回っていた。この先はそれが逆転する。ガイウス7世を襲った攻撃魔法、2個大隊(?)の兵を転移させた魔法、そして峠道に仕掛けられた爆発魔法、何より探知、通心の魔器を破壊する魔法、それ以外にも恐るべき魔法をアリサベル師団は隠し持っているかも知れない。



「アリサベル師団やつらは峠の奥に引っ込んだ。二つの砦はがっちり押さえ込んでいるだろうが、雪が積もればいかにイフリキアの子と言えど大軍を移動させるのは無理だろう。冬の間はシュワービス方面は膠着する。余は皇都へ帰る。ここには第11師団を残す」


 ガイウス7世の言葉に第11師団の司令官クシヴィアレ下将がブーツの踵を合わせた。


「畏まりました」

「アリサベル師団が冬の間にシュワービス方面で何かをするとは思えんが、油断するな。口をしっかり閉めておくのが第11師団の仕事だ。別命有るまでこちらから何かすることは禁じる」


 今回は言わばガイウス7世の率いる帝国軍がレフに弄ばれたようなものだった。必ず報いは受けさせてやるが、それは第11師団の仕事ではなかった。それにアリサベル師団がいつまでもシュワービスに張り付いているとは限らなかった。今王国軍の中で一番手強い相手だ。シュワービス峠が膠着状態に陥れば他方面、エスカーディア方面に駐留するディアステネス上将の前に現れる可能性が高いとガイウス7世は考えていた。


「はい」


 クシヴィアレ下将の返事を聞いて、ガイウス7世は司令部を出て行った。





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