第87話 峠の口の戦闘 3

「ちっ」


 レフが舌打ちをした。


「当たったと思ったのに外れましたね」


 アニエスの言葉に、


「ああ、ガイウスの野郎、勘が良いことだ」


「斃せなかったのですか?」


 兄の仇が討てたかもしれなかった、そう思いながらのシエンヌの言葉だった。

レフが首を振った。


「優れた魔法使いは勘も鋭いからな。残念だが逃げられた」

「でも、これで帝国軍てきもいきり立って攻めてきますね。レフの計算通りになったのではないですか」

「頭に血が上って呉れれば良いんですが、ガイウスの野郎は結構慎重居士ですからね、殿下」

「攻めてきてもらってあの罠を発動すれば心置きなく帝国砦に戻れますわ。贅沢ですけれど、ここは寒くて……」

「ですからお戻りくださいと言ったではありませんか」


 レフの言葉にアリサベル王女は肩をすくめた。不満そうに口を尖らせている。


「でも私もたまには最前線にいても良いと思います。今までいつもお留守番でしたし、ここに居ればレフの能力ちからを見る事が出来ますし」


 実のところこの陣に残っているのはレフとシエンヌ達3人、アリサベル王女と護衛2人、アンドレ、アンドレに着いてきた魔法使いのアルティーノとカルドースの中隊所属の魔法士がもう1人だけだった。2人の魔法使いは気配増大の魔器を使っている。それを帝国軍側では大隊規模の王国軍が居ると誤解しているわけだ。領軍が攻めてきたときには実際に2個大隊がいて、弩弓や投石機を操作し、柵から矢を放った。その後、帝国砦まで撤退している。この陣は最初から放棄するつもりだった。総勢10人ならレフの転移魔法で簡単に逃げることができる。その前に帝国軍に攻めさせて折角仕掛けた罠を作動させるつもりだった。


「帝国軍がざわめいています」


 レフとアリサベル王女のやりとりを聞きながら帝国軍を探査していたシエンヌが言った。


「あら、本当、私にも分かるくらいだわ」


 アリサベル王女の感覚も随分鋭くなっていた。


「攻めてくるかな」


 ニヤリと笑いながらそう言うアンドレに、


「いや、ガイウスは頭にきていても考え無しに突っ込んでくるほど短慮じゃない。気が逸ってもちゃんと陣容を整えてから来るだろう。今日着いたばかりだから、明日か明後日か?」

「あんまりのんびりしていると、雪で退路が断たれる前に俺たちが逃げ出すと考えるんじゃないかな」

「そうだな、折角の獲物だ、逃がしたくはないだろうな。多分帝国軍やつらは大急ぎで作戦を立て、部署を決めて明日攻めてくるという前提で動こう。実を言うと私も寒くて仕方がない。早くちゃんとした建物の中に入りたい」


 アリサベル王女がクスッと笑った。






 ほとんど四つん這いの様な格好で、事態に対応できてない護衛兵の間を駆け抜け、櫓上2.5ファルの高さを飛び降り、繋いであった馬の飛び乗ってガイウス7世はテストールへ戻ってきた。


 直衛の護衛兵も従兵も置き去りだった。ガイウス7世がテストールでの宿舎にしている館の門前に立哨していた2人の衛兵は、駆けてくる騎馬に槍を構えたが、直ぐにガイウス7世を認めて槍を引いた。騎乗のまま門を過ぎ、姿勢を正して敬礼する衛兵に、


「直ぐに余の部屋に体を拭く湯と着替えを持ってくるよう言ってこい」


 そう言われて衛兵はガイウス7世の顔や服のあちこちに血や肉片が着いているのに気づいた。


「畏まりました。……陛下、お怪我を?」

「余のものではない。怪我はしていない」


 そう言われて衛兵は明らかにほっとした顔になった。


「い、今すぐに」


 そう言って慌てて奥の方へ駆けていった。1人は湯の手配に、1人は着替えを取りに。




 第1師団、師団長ヨダス・クトラミーブ中将はガイウス7世の”敵情視察“に同行していなかった。


――なに、ちょっと見てくるだけだ――


 とガイウス7世も口にしていたし、彼には優先してやらなければならない仕事が山積みだった。第1師団はガイウス7世の直卒師団とされていた。近衛連隊はあくまでガイウス7世の護衛が主任務であり、戦場でガイウス7世の手駒として働くのは第1師団だった。だから司令官も下将ではなく、中将が当てられていた。

 新しく到着して指揮を引き継ぐとなれば、できるだけ早いほうが良い。ダスティオス上将かクトラミーブ中将のどちらかが引き継ぎを受けなければならないのだが、ガイウス7世が物見にダスティオス上将を連れていくことを決めたので、クトラミーブ中将が引き継ぎの貧乏くじを引いたのだ。

 そして引き継ぎを始めて直ぐに頭を抱えることになった。そもそもが領軍の寄せ集めの軍だ、誰が最終責任を負って指揮していたのかすらはっきりしない。ミディラスト平野の大貴族であるシュリエフ一門の宗家も出陣していたが、当主が健康上の理由で参陣していないとなればシュリエフ一門以外の貴族達が唯々諾々と従うはずもない。どの貴族家がどのくらいの兵を率いて参集し、どこに布陣して、これまでどのような戦闘に参加したのか、それを把握するだけでも時間が掛かった。2度の正面攻撃、1度の脇道を抜けての攻撃のいずれも、統一された作戦計画の元に行われたのではないと知ると溜息が出そうだった。


――ただ集まって騒いでるだけではないか――


 そこへ、ガイウス7世が襲撃されたという知らせが届いたのだ。クトラミーブ中将は顔色を変えて立ち上がった。


 クトラミーブ中将がガイウス7世の部屋の扉をノックしたとき、


「誰だ?」


 という、比較的落ち着いた声が――クトラミーブ中将がほっとしたことに――聞こえた。


「ヨダス・クトラミーブであります」

「入れ!」


 従兵が開けた扉をくぐって部屋に入ったとき、クトラミーブ中将は戸惑いの表情を顔に浮かべた。陽のある内から酒を飲んでいるガイウス7世など見たことがなかったからだ。


「陛下」

「まあ、坐れ」


 丈の低い机を挟んで自分の向かいに坐った中将に、右手の酒瓶を振りながら、


「飲むか?昂ぶった気が落ち着くぞ」

「いえ、まだ勤務中でありますれば」

「そうか」


 それ以上は強要しなかった。


「陛下が直接攻撃されたとお聞きしましたが……」

「そうだ、遠隔攻撃魔法で狙われた。おそらくイフリキアの子、なんと言ったか、そうだレフ、と言ったな。そいつの仕業だろう」

「遠隔攻撃魔法?」


 クトラミーブ中将は魔法士ではない。魔法については軍にいる分だけ普通より詳しいが、少なくとも帝国軍でそんな魔法を使うなど聞いたことがなかった。


「帝国魔法院でも、魔法を直接攻撃に使うことは出来ないか、余が登極してから散々尻を叩いたが結局できなかった。あのイフリキアでさえな」


 だが、イフリキアの子は遠隔攻撃魔法が使えるのだ。イフリキアの”できません“は嘘だったのかも知れない。今更確かめようがないが。


「それで、攻撃されたと?」

「そうだ、全く厄介だぞ。音もなく遠くから射線が延びてくる。威力は、そうだな、俺の代わりに攻撃が当たった近衛兵の上半身が吹き飛んだ」

「良くご無事で」

「悪運が強いのだな。本能的に”伏せろ!“と言われた気がした。それに従ったのだが……。39年生きてきて初めて真剣に生命の危機を実感したぞ」

「陛下の本能に感謝いたしましょう」


 ガイウス7世がグラスを目の前の丈の低い机に置いた。


「どうやら、本気の殺し合いになるな。レフ……と余とは相容れない存在のようだ。どちらかが死ぬまで終わるまい」

「陛下、これ以降はご用心ください。うかつに敵の目にさらされる所などに出られるのはお控えください」

「昨日までならな、そんな諫言など聞かなかっただろうが。こんな経験をするとお前の言うことに理がありすぎるのがよく分かる。イフリキアが作り出す魔法に感心していたが、まだまだ我々が知らないことが多いようだ。特に攻撃魔法については、多分、イフリキアが我々に隠していて、しかもレフが知っているという望ましくない状況だろうな」

「陛下」

「作戦会議だ、クトラミーブ、皆を司令部に集めろ」

「はい。畏まりました」


 ガイウス7世にそう言われてクトラミーブ中将は立ち上がって部屋を出て行った。

その後ろ姿を見送って、


「レフ……か。イフリキアの子ならイフリキア並みに魔力があると考えるべきだったな。イフリキアを従わせるためとは言え、生かしておいたのは失敗だったか」


 ガイウス7世の部屋を警護している兵にも聞こえるかどうか、小さな声での呟きだった。





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