第87話 峠の口の戦闘 2

 その日の昼過ぎ、櫓を登ってきた人物を見て、櫓上でアリサベル師団の動向を見張っていた兵士と魔法士が一斉に姿勢を正した。第5師団司令官ゲラン・ルドレオーブ下将だった。兵士と魔法士が敬礼をしようとして途中で固まった。さらに櫓上に上がってきた人間が居たからだ。兵士達は途中で止まりかけた右手を慌てて敬礼の位置まで持ってきた。ルサルミエ上級魔法士長、近衛連隊司令官ロテンシジール下将、皇帝直属軍の司令官ダスティオス上将、最後に近衛兵に護衛されたガイウス7世が上がってきたのを見たのだ。

 皇都からの軍が今日テストールに着いたのは知っていたが、その日のうちに王国軍の様子を見に幹部が来るなどとは思っていなかった。

 ましてやガイウス7世直々に来るなんて!


 近衛兵が元から櫓上にいた兵士と魔法士に降りるように命じた。彼らは急いで、救われたような顔をして階段を駆け下りていった。櫓上は結構広く1.5ファル×2ファルの広さがあったが10人の近衛兵を引き連れたガイウス7世が来るといっぱいになった。


「どうだ?」


 ガイウス7世が先に櫓上に上がってアリサベル師団の陣を探査していたルサルミエ上級魔法士長に声を掛けた。


「2個大隊ほどの王国軍てきが居るようです」


 右手に、皇都で新しく支給された魔器を握りながらルサルミエ上級魔法士長が答えた。


「うむ」


 ガイウス7世も王国軍の陣の方へ視線をやった。ガイウス7世は帝国軍の中で突出した魔力を持っている。魔力操作も巧みで魔器を使わなくても、魔器を使ったルサルミエ上級魔法士長に匹敵する探査が可能だった。しかし、帝国軍に支給されている魔器を使ってもそれ以上の伸びはなかった。魔器が誰でも使える汎用品レディ・メイドだったからだ。ガイウス7世の魔力パターンに合わせたオーダー・メイド魔器を使えば伸びたかも知れないがそのためにはイフリキアに会わなければならなかった。ガイウス7世にとってのは面倒だった。


「そうだな、主力は我々から見えないように屈曲の向こうにいるようだが精々2個大隊強というところだな」


 2個大隊の王国兵を探査しながらガイウス7世は妙な違和感を覚えていた。


――妙に平板だ。普通、2個大隊の兵がいれば魔力の大小、パターンの違いでもっと、言わば凸凹に感じるものだが、あいつらは平板な塊に見える……――


 そんな事は口に出さなかった。自分にしか分からない感覚であったし、そこに大隊規模の王国兵がいるのは間違いないと思ったからだ。


「御意」

「とすると、疑問が湧くな」

「はっ?」

アリサベル師団やつらは2個大隊の兵を捨て置くつもりか?後2日も雪が降れば関の辺りは通れなくなる」

「はい」


 山奥は麓よりずっと積雪量が多い。峠道の口でふくらはぎ辺りまで雪が降れば砦付近で腰の高さ、関付近は人の身長を超える積雪になる。少数の雪道になれた者が、それなりの装備をすれば踏破は可能かも知れないが、大隊単位の軍がその中を動けるかといえば疑問だ。つまり峠道の帝国側の口に布陣している王国軍は、さっさと引き上げないと退路がなくなるのだ。今でも既に遅いかも知れない。峠道の口に取り残された王国軍が冬の間に繰り返し攻撃されれば、とても春まで保つとは思えない。兵力の損耗を嫌うアリサベル師団がそんな戦い方をするだろうか、というのがガイウス7世の疑問だった。だがアリサベル師団てきの意図がどうあれ、目の前に美味しそうな餌がぶら下がっている。これまで帝国軍に一度も敗北したことのないアリサベル師団の切れっ端が、援軍の見込みもなく何十倍もの帝国軍みかたの前に放り出されているのだ。


――まあ、アリサベル師団の事情は知らないがこいつは美味しく頂こう――


 これからメディザルナは本格的な冬になる。その中で野営すると言うのは体力を削る行為だ。少し待てば王国軍の体力が適当に削られ、峠道の口も雪で通りにくくなる前に、攻撃のチャンスが来るだろう。頑丈な柵を作ったといっても砦ではない。帝国軍こちらにも多少の犠牲は出るだろうが力攻めで蹂躙できるだろう。




 偶然であったが、同じ時間に王国軍の柵に設けられた見張所にレフがいた。皇都から帝国軍が到着したのを感知して様子を見に来ていた。シエンヌ、アニエス、ジェシカ、それにアリサベル王女と護衛のロクサーヌ、ルビオ、それにアンドレが一緒だった。レフは何気なく峠道の口を塞いでいる帝国軍の柵を見ていたが、


「へっ?」


 ちょっと間の抜けたような声を出した。シエンヌの方へ目をやると、


「なにか、大きな魔力を持った人が出てきましたね」


 シエンヌも気づいたところだった。レフの顔が真剣なものになった。


「こいつは多分ガイウスの魔力だ」

「「「えっ?」」」


 レフの言葉を聞いて全員がレフの方を見た。


「フェリケリウス皇家の魔力パターンの特徴を持っているし、今これほど大きな魔力を持っているのはガイウスしかいない」


イフリキアの魔力にも有ったパターンだ。間違えるはずはない。


「どれがガイウス7世なのかしら」


 アリサベル王女がかかとを浮かせて伸びをしながら帝国軍の柵に設けられた櫓を見つめた。この距離では櫓の上に10数人の人間が載っているのが見えるだけで、個々の識別はできなかった。


「ちょっと遠すぎるわね、もう少し近ければあたしの火弾が届くのに」


 アニエスの火弾の有効射程は一番長い1/1でも1里余りだ。分割するほど威力も射程距離も落ちる。1/8なら1/4里ほどになる。だから1/1の火弾なら届くだろう。尤もそれが人間に当たるとオーバーキルになる。それにアニエスには櫓の上にいる男達の誰がガイウス7世が分からない。


「うん、できるかも知れないな」


 レフが少し考えた後そんなことを呟いた。


「レフ様、何が?」


 訊いてきたのは一番近くに居たジェシカだった。レフがジェシカを振り返ってウィンクして見せた。


「試して見る価値はあるだろう」


 もう少し大きくした声は全員に届いた。面白そうな顔でレフに聞き返したのはアリサベル王女だった。


「何かするのですか?」

「はい、殿下。折角ガイウスの野郎が姿を見せてくれてますので。ちょっと歓迎のセレモニーを」


 そう言ってアニエスの肩を叩いた。レフの方を向いたアニエスに、


「火弾を作って、1/1で」

「でも、あたしにはどれに当てれば良いか分からないけれど……」

「私が照準を付けてみる。あちらを向けて火弾を作って、それから……」


 レフがアニエスの後ろに回って、背中からアニエスの両方のこめかみに人差し指と中指を当てた。何をするか分からなかったがアニエスはレフに言われたとおり、両掌の間に火弾を作って浮かべた。1/1を作るのは久しぶりだった。


「目を瞑って、私の視覚を共有するから」

「えっ?」

「目を瞑って」


 訳が分からなかったが言われたとおり目を瞑った。なにも見えなくなったが直ぐに自分が見ているのではない景色が浮かんできた。アニエスは息を飲んだ。


「私が見ている景色を送り込んだ。ガイウスの野郎は右から五番目にいる大男だ」


 どの男も同じような鎧を着ている。皇帝であっても特に華美な装いをしているわけではない。これはアリサベル師団を相手にするようになってから、帝国軍内で徹底されるようになったことだ。遠目から高級将校と分かる軍装をしていると遠隔攻撃魔法で狙われることが分かったからだ。レフも軍装で区別したわけではない。個人的にガイウス7世の顔を知っているわけでもなく、魔力の探知と視覚を合わせて特定しただけだった。アニエスの手が一瞬細かく震えた。ゴクッと唾を飲むのが分かった。


「 右から五番目の男、撃ちます!!」




 ガイウス7世の背中を悪寒が走った。ぞくっとして本能的にしゃがみ込んだ。他人の前でそんな格好はみっともないなどという考えも浮かばなかった。その直後、ガイウス7世の胸があった所を白い線が貫いて、射線上にいた護衛兵の上半身を吹き飛ばした。その兵士がまき散らす血と肉片を浴びながらガイウス7世はしゃがんだまま手早く櫓の後端に寄り、2.5ファルの高さから飛び降りた。櫓上にいた高級将校達も何が起こっているのか分からないまましゃがみ込み、急いで櫓から飛び降りた。全員が飛び降りるまでにさらに3発の熱弾が飛来し、2人の近衛兵と、近衛連隊司令官ロテンシジール下将を斃した。殆どの兵と高級将校は櫓から飛び降りて難を逃れたが、余り体を鍛えてないルサルミエ上級魔法士長は飛び降りたときに腰の骨を折った。

 櫓上の王国軍と向かい合う側には鉄で補強した頑丈な盾を並べてあったが、アニエスの火弾はそれを易々と貫いてその後ろに隠れた者を斃した。





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