第87話 峠の口の戦闘 1

「報告を聞こうか」


 皇都、フェリコールの皇宮内、ガイウス7世の執務室だった。豪華な執務机を挟んで、これも豪華な椅子に座ったガイウス7世の前に2人の男が立っていた。40代半ば、顎髭を蓄えた長身のがっしりした体つきの男は帝都師団司令官のラントーヴ・フィリレザーブ下将で、60近くに見える痩せた小柄な男は帝都師団の上級魔法士長レクセト・デュエルカートだった。その周りにガイウス7世とともに皇都に帰還した高級将校達が立っていた。


 デュエルカート上級魔法士長は、皇都帰還を決めたガイウス7世から、シュワービス峠を制圧したアリサベル師団の様子を見てくるように、あらかじめ命じられていたのだ。シュワービス峠を囲んでいる領軍の魔法士より遙かに優れた魔法士だったから、王国軍の様子が今までの報告より詳しく分かるはずだ。

 部下の魔法士達を引き連れ、テストールからアリサベル師団が陣を敷いた 峠の口までを偵察して、ガイウス7世の皇都帰還に間に合うように大急ぎで帰ってきたところだ。偵察して知り得たことを報告書にまとめ、フィリレザーブ下将とともに執務室に出頭していた。ガイウス7世が皇都に帰還した翌日だった。


――何とか報告書が間に合って良かった――


 デュエルカート上級魔法士長も昨夜遅く皇都に帰ったばかりだったが、そのまま殆ど徹夜に近い作業で報告書をまとめたのだ。ガイウス7世に呼ばれたときに報告書ができあがっていなかったら、そう考えて、デュエルカート上級魔法士長はぞっとした。


――軽くても地方師団へ左遷されるだろうな――


 隈を作った目を瞬かせながら、デュエルカート魔法士長は何とか自分の報告が終わるまで立っていようと努力していた。ガイウス7世はその報告書に手早く目を通して、机に置きながら口頭での報告も要求した。

 周囲にいる高級将校達に聞かせる意味もあった。


「はい、味方は領軍を中心に4万余となり、王国軍を峠に封じ込めることに成功しております」

「封じ込めた?」


 アリサベル師団を前に竦んでいるの間違いではないのか、ガイウス7世はそう思ったがそのまま報告を続けさせた。シュワービスの峠道全てを抑えたアリサベル師団が峠道に籠もるだろうことは予想していた。平野まで降りてくれば、数に勝る帝国軍の袋叩きに遭う可能性があるからだ。


「はい、王国軍は峠道を半里入ったところに柵を設け、陣を築いております。柵は4、5重になっており、櫓が2つ建っております。頑丈には見えますが、王国軍はそこに籠もって出てきません」


 柵に使われている木材はディアステネス軍がレクドラムの外周に設置した柵から持ってきたものだ。ディアステネス軍の柵は一重だったが、アリサベル師団が設けた柵は防御正面が狭いこともあり、接収した木材の一部を使っただけで何重にもなっていた。


「それで、そこにどれほどの王国軍が詰めているのだ?」

「そ、それは分かりませんでした」

「分からなかった?何故だ?」

「峠道に入ったところで魔器が壊れました」


 なるほど、予想範囲だ。


「眩しい光を発して壊れたのだな」

「は、はい、その通りであります」

「見せてみろ」

「はい?」

「壊れた魔器を見せてみろ」


 デュエルカート上級魔法士長は、懐から魔器を取り出して近づいてきた従兵に手渡した。従兵から魔器を渡されたガイウス7世は右手の掌上で魔器を転がした。王国内で遠征軍の魔器が壊されたときと同じだった。精緻に描かれた法陣紋様のあちこちに断裂があった。


「見てみろ、ルサルミエ」


 呼ばれて近づいたルサルミエ上級魔法士長に魔器を渡した。ルサルミエ上級魔法士長はそれを右手の中指と親指で摘まみ、目の前に持ち上げてしげしげと見つめた。


「同じ壊れ方をしておりますな。シュワービス峠に進出した王国軍はアリサベル師団と言うことで間違いないでしょう」

「デュエルカート、お前達が持っていた魔器は全部壊れたのか?」

「はい」


 ――イフリキアの子の仕業だ。本当に邪魔をして呉れる!


「不思議なことに旧式の魔道具は壊れませんでした。それで領軍から魔道具を調達して探査を行ったのですが、かなり分厚く、少なくとも大隊規模で王国軍が布陣しているという以上のことは分かりませんでした」

「領軍は何をしている?」

「はっ?」

「峠道の口を押さえているだけか?王国軍と一当てしてやろうという領主は居なかったのか?」


 領軍は兵の質がどうしても落ちる。領主達も兵を損なうことを恐れる。結果、こういう場合消極的になりがちだ。


「2度、攻めてみたそうです」

「で?」

「何しろ峠道でありますので攻勢正面は狭くなります。王国軍は砦から弩弓や投石機を持ち出してきて構えておりとても近づけなかったと申しております」


 2度攻勢を掛けてみただけでも上出来だろう。アリサベル師団の構えている防御手段が一部でも明らかになった。


「脇道はどうなのだ?メディザルナの山中を歩き慣れた猟師や樵がいるだろう?そいつらに案内させて山中の脇道を抜けるなどということはやらなかったのか?」

「地元の領主が一度試みたそうです。ただ、狭い山道に大軍を送り込むわけにも行かず、一人も帰ってこなかったそうです。再度やろうとしても山道に詳しい猟師や樵は逃げてしまったと聞きました」


 チッ、ガイウス7世は舌打ちをした。デュエルカート上級魔法士長がビクッと体を震わせた。


「ダスティオス!」

「はい」


 呼ばれてダスティオス上将が姿勢を正した。


「兵に2日の休息を与える。3日後にはテストールに向かって出発する。そのつもりで準備しろ」

「畏まりました」

「それと、報告書には全員目を通しておけ」


 強行軍で皇都へ帰ってきたのだ。急いでも15日掛かる行程を13日で踏破した。テストールまではさらに4日見なければならない。兵が疲弊したままではテストールへ着いても直ぐには動けない。王国軍が峠に籠もっているということなら少し休息を与える事が出来るだろう。兵を休息させるなら設備の整わない前線より皇都の方がよい。


 一般兵は休息が取れても輜重部隊はたった2日で補給物資の調達と輸送準備をしなければならない。そちらの方が頭が痛い。歩兵や騎兵以上の無理を強いていたのだから。2日を頂けたのは有り難い。頭の中で出発手順を考えながらダスティオス上将は僅かにほっとしていた。





 シュワービス峠の口を半円形に取り囲むように、帝国軍は柵を設け陣を築いていた。柵の総延長は200ファルほどで、峠道に続く街道部分は二重になって櫓が建てられていた。櫓に登れば峠道がかなり奥まで見える。峠道は馬車がすれ違える様に幅5ファルに広げられており、両側は削られて急峻な崖になっていた。口から半里ほどはほぼまっすぐで、櫓に登れば奥まで見通せる。その見通せる一番奥にアリサベル師団が何重にも柵を設け、陣を構えていた。峠道はその先で大きく左に折れて、見通しはきかなかった。


 季節は既に冬に入ろうとしていた。メディザルナ山脈の高いところは既に真っ白に化粧されており、麓の峠道も踝が隠れるくらいの深さに雪が積もっていた。王国軍の陣の手前で小さく雪を被って盛り上がっているのは、これまで2度の攻勢で死んだ帝国軍兵士の死体だった。それより小さな盛り上がりもたくさんあり、それは投石機で射出された石弾だった。アリサベル師団の陣にもっと近いところではハリネズミになった死体も見えた。帝国軍はこれまでに300人以上の損害を出していて、その死体はこれから雪に埋もれ、雪解けに帝国軍が峠道を奪い返すまでそのまま放置されることになる。

 アリサベル師団は帝国砦に備蓄されていた武器を使っており、彼らは味方の武器で殺されたのだった。





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