第86話 父と娘 2
涙が止まらなかった。ハンカチを顔に当てて嗚咽する私を、お父様は掌に魔器を転がしながらじっと見ておられた。どれくらいの時間が経ったのだろう、やっと顔を上げた私に魔器を返しながら、
「ガイウス7世陛下はご幼少のときから非常に優秀な方だった。魔力量も大きく、ガイウス神聖帝に匹敵するのではないかとさえ言われていた」
お父様の話題が急に変わった。多分こちらの方が本当に言いたかったことだろうと私は思った。
「13歳で成人を機に立太子されたときに、ご自分でガイウスと改名されたのだ。多分そのころから大フェリケリア神聖帝国を再統一することを考えておられたのだと思う」
これも知らなかった。私の生まれる前だ。
「知らなかったであろう?この話が出ると陛下は非常に不機嫌になられるからな。口にするのはタブーなのだ。うっかり改名前の名を呼んで左遷された者も居る」
私は頷いた。
「先帝陛下にはお子がなかった。だから後嗣を自ら指名されなければならないのだが、なかなかそれを成されなかった。周囲はやきもきしたよ。とくに皇位継承権を持つ者とその家族はな。だがガイウス7世が誕生され、成長なさるに従って、そんなことは雨散霧消した。ご幼少の頃から魔力は突出しておられたからな。10歳になられる頃には次期皇帝の本命とされ、それまで皇帝候補とされていた皇族はほぼ自分から降りたと言って良い。付け加えておくと私もその一人だった。私の魔力は継承権者の中でも上位にランクされていたのだが、陛下のまえでは所詮はドングリの背比べだった」
お父様は優れた魔法使いだ。それでもガイウス7世とは比べるべくもない。
「陛下には、ご自分が易々とできることが、他人にはできない、という事がご理解頂けない 。できないのではなくやらないのだと思われる。当然他人の失敗について厳しい。ご自分が失敗するなどと言うことはいささかも思っておられない。だが今回のことは、イフリキアとその子の処遇やこの戦も含めて、根本の原因は陛下に帰せらせる。そのことをお認めにはならないだろうが……。尤も皇宮内の雰囲気も良くなかった。戦は短期で帝国の圧勝に終わるだろうという見通しに疑問を呈することなど、出来はしなかったのだから」
お父様は苦い物を想い出す顔をされた。そういえば開戦後、緒戦の勝利の報告が続く中でお父様は決して心から浮かれている様には見えなかった。私への手紙はいつも私の身を気遣うものだった。
「イフリキアは陛下に匹敵する魔力を持っていた。イフリキアが男で、陛下が立太子される前にそれが分かっていたら登極を陛下と争っていたかも知れないほどだ」
お父様は何時になく饒舌だ。私に伝えておかなければならないことが多いのだろう。
「イフリキアはどうも子を産んでから魔力が伸びたらしい。イフリキアがクロッケン高地の別荘に滞在していた時に仕えていた侍女の中に、多少の魔法の素質がある女をルファイエ家から潜り込ませていた。ルファイエ家としてどの皇家に対してもやっていることだ。だからイフリキアが子を産んだ前後の事情も私は知っている」
「イフリキア様がクロッケン高地の別荘に滞在されているときにお子を産まれたのですか?」
あんな帝都から離れたところで!出産の環境だって整っていないのに。
「そうだ、そしてその侍女が、子を産んだ後イフリキアの魔力が恐ろしく伸びたと報告してきた」
「そんなことがあるのですか?」
「私も聞いたことがなかった。だが実際にイフリキアに会うと、以前に知っていたイフリキアとは別人のような大魔力だった。魔力パターンはかわっていなかったがな。魔法院に誘ったのはその所為だ」
お父様がそこで一旦言葉を切られた。その先を言おうかどうか迷っているように私には見えた。
「それよりも問題なのはイフリキアの相手だ」
しばらくの沈黙の後、お父様が再び口を開かれた。そうだろう、イフリキア様は皇家に属しておられた。その立場で結婚もせずに子を成された。相手が誰であろうと大きな問題だと、そう思ったが、お父様が仰ったのは私の予想もしないことだった。
「イフリキアの相手は、レフ・バステアの父親は“渡り人”だった」
私は思わず息を飲んだ。"渡り人”という言葉はそれ程強烈だった。ガイウス神聖帝と同じ立場の人と言うことになる。言葉も出ない私に、
「レフ・バステアの父は渡り人だった。尤もレフが誕生した頃にはもう元の世界に戻っていた。ガイウス神聖帝と違って、この世界に定住する積もりはなかったのだな。しかし、問題は子供――レフ――の処遇だ。渡り人とイフリキアの子であるレフはひょっとしたらガイウス7世陛下を上回る魔法使いかも知れない。だからなおのこと、陛下はレフを表に出さないようにされた。イフリキアが死んだときにはレフ・バステアも殺すように命じられたほどだ。それを聞いたときは唖然とした。……間違ったと私は思う。そしてその間違いが帝国に災いし始めている。短期で終わるはずの戦がもう2年を超えた。王国領を占領していると言っても戦局は必ずしも有利ではない」
「お父様」
お父様の言葉は今ははっきりと、ガイウス7世陛下への批判になっている。
「イフリキアが死んだとき既にルファイエ家は陛下の不興を買っている。帝国の魔女をむざむざ死なせたのだから。これ以上何かあればルファイエは廃家になるかも知れない」
これが、お父様が私に言いたかったことだろう。陛下が帝国に引き上げられると、ディアステネス上将が王国内に駐留する帝国軍の司令官になる。その上に、これまで通り、名目だけとはいえ、皇族の私が来るのだ。もしディアステネス軍がへまをすればその失態はそのままルファイエ家の失態になる。この戦が帝国にとって不味い方向へ行けば、皇家の中に失敗の原因をすりつけられる身代わりが必要になる。このままではそれがルファイエ家になる可能性が高い。
「誤解しないで欲しい。私はルファイエ家を何が何でも残したいわけではない。それよりもお前の方がずっと大事だ。多分王国はレフ・バステアを対帝国戦の前面に出してくる。はっきり言えばディアステネス軍がレフ・バステアとぶつかる。その時にはルファイエ家の存続より、お前の無事を優先して欲しい」
「お父様」
私はお父様にしがみついた。魔法院の能力から早急にどのくらいの魔器を用意できるのかお父様はご存じだ。それがおそらく陛下のご要望とはかけ離れているのだろう。魔法院の総裁と言う要職にいるのも、責任を問うにはもってこいだ。魔法院の作った魔器が、その魔器の脆弱性がこの事態を招いた一因でもあるのだから。
「英傑が必要な世の中とは、
お父様にしがみついていなければ聞こえなかったような小さなつぶやきだった。
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