第85話 ガイウス7世 Part Ⅲ

「何だと、もう一度申してみよ!」


 ガイウス7世の怒声が響いたのは、ディセンティア宗家がエスカーディアの外、10里の距離にあるディセンティア領第2の街、アンカレーヴに持っている館の1室だった。帝国軍に、臨時の司令部兼ガイウス7世の在所として提供された館だった。その館の会議室に、ディアステネス上将、ガイウス7世遠征軍司令官ダスティオス上将を始めとする高級将官や帝国軍司令部の要員、ファルコス上級魔法士長、ルサルミエ上級魔法士長、それにドミティア皇女が集まっていた。ガイウス7世に報告しているのはルサルミエ上級魔法士長だった。ガイウス7世直属の魔法士であることがこんな時には恨めしい。


「はい、お、オキファス宰相からの報告に依りますと王国軍がシュワービス峠を制圧したとのことです」

「マリストートは何をしていたのだ!?1個師団を付けたのだぞ。砦を守るだけなら充分な戦力だろう。それとも欲を出してテルジエス平原に押し出しでもしたのか?」

「遣り口から見てシュワービス峠を奪ったのはアリサベル師団のようです」


横から口を挟んだのはファルコス上級魔法士長だった。


「アリサベル師団が?」

「はい、レクドラムも王国砦も王国軍てきの攻撃に先立ってまず通心が切れております。これはアリサベル師団が得意とする戦法です」


 ガイウス7世がギリッと歯ぎしりをした。


「また、奴か。アンジェラルド王家の女を娶るという裏切り者の仕業か」


 レフ・フェリケリウス・とアリサベル・ジェミア・アンジェラルドの婚約が布告されたことは帝国軍でも知られていた。ガイウス7世の握りしめた拳も声も震えていた。ことさらにフェリケリウスの一門名まで付けて発表したわざとらしさがガイウス7世の怒りを増幅させていた。ドシンと殴りつけた机の端に置いてあった書類がドサドサと落ちた。従兵が慌てて近づいて拾い上げた。


「バステア家の連中は?」

「ご命令通りに拘束しております」


 ダスティオス上将が答えた。レフ・バステアとアリサベル王女の婚約が布告されてから、イフリキアとレフの出身であるバステアの一族は捕らえられていた。ガイウス7世の眼がぎらりと光った。


「処刑せよ」


 簡潔な命令に司令部にいた高級将校達が息を飲む気配があった。バステア家は皇家の一員としてこれまで瑕疵なく務めてきた。いや、皇家を支える支柱の一つだったと言っても良い。バステア家の中でも傍流にすぎなかったイフリキアの子が帝国に背いたといっても、他のバステア家の成員が謀反を起こしたわけではない。それにイフリキアは魔法院に入るときに新しい家名――ジン――を先帝陛下から認められている。バステア家と縁が切れたとも強弁できるのだ。だから精々戦後に所領を削られる程度の処分で済むだろうというのが彼らの考えだった。


――それが、いきなり処刑!――


 ガイウス7世の苛烈さは彼らも知っていた。その苛烈さが場合によっては彼らに向けられることもあるのだ。ガイウス7世は無能を嫌う。役立たずと判定されれば追放される。現に幾つもその例がある。まして、今は戦中だ。無能と判定された人間をガイウス7世が追放するだけで済ませるかどうか、試したくもない。無表情にガイウス7世の命令を聞いている彼らのうちの何人かの背を冷たい汗が落ちていった。


「畏まりました。オキファス宰相にそのように伝えます」


 ダスティオス上将の声も感情を窺えない平板な物だった。


 ガイウス7世が将官達に向き直った。


「シュワービス峠ががら空きになったわけだ。王国軍は好き勝手に帝国領に入ってくる事が出来る。何か手立てがあるか?ディアステネス」


 シュワービス峠方面を任されていたのはディアステネス上将指揮下の軍ではなかったが、シュワービス王国砦を陥とし、レクドラムを占領したのはディアステネス上将だった。帝国軍の中であの辺りのことに一番詳しいとも言えた。


「取りあえずミディラスト平野の領主に領軍を招集して備えるようオキファス宰相が命令しました。ただアリサベル師団はテストール周辺を散々荒らし回った後、帝国砦まで退いた様です。領軍では砦を取り返すのは無理ですので、シュワービス峠の口を塞ぐよう布陣させております」


「どれほどの領軍が集まったのだ?」

「今現在で3万ほどと聞いております。最終的には4万程度かと。幸いにも取り入れが終わっておりましたので目一杯に動員できます」

「それだけいれば帝国砦を取り返せないのか?」

「領軍の練度では砦に籠もった軍を駆逐するには物足りないかと」


 領軍は常備軍ではない。必要に応じて領主が集める軍だ。あまり多く、長期に集めると領の維持が難しくなる。農閑期に訓練しても物足りなさは残るし、領軍には殆ど魔器を融通していない。性能の劣る魔道具を使っても、魔器による通心によって司令部の手足のように動く常備軍とは比べるべくもない。


「そうか、不逞にも帝国領に侵入したアリサベル師団やつらをすぐに駆逐するのは無理か」


「アリサベル師団に対抗できる一線級の部隊で一番近くにいるのは帝都師団です」


 帝都師団なら4日もあればテストールへたどり着く。しかし、そうしたら帝都の防衛がひどく手薄になる。他の一線級の部隊で帝国に残っている部隊はない。それだけ総力を挙げての王国侵攻だったのだ。


「駄目だ、帝都師団を動かすわけにはいかない」


 帝都師団を動かしてはどうかというディアステネス上将の言葉は受け入れられない。あのアリサベル師団のことだ、帝都が空になっていることを知ったら、帝都師団を上手く躱して 防備のなくなった帝都に入るかもしれない。フェリケリア神聖帝国史上初めて敵に帝都を蹂躙された帝として名を残すなどまっぴらだ。帝国領内に敵の侵入を許した帝として名が残るのもまっぴらだ。


「私は帝国くにに戻る。第一、第五、それに第十一師団と近衛連隊を連れていく。ダスティオス上将が帝国へ戻る軍をまとめろ。もうすぐ冬だ、アリサベル師団が帝国砦を抑えたと言っても、すぐにシュワービス峠は雪深い山道になる。増援も補給も思うようにはなるまい。なんとかメディザルナから降りてくる街道の出口でアリサベル師団やつらを抑え込む。ここに残る軍はディアステネス上将に任せる。王国内の占領地を確保しておけ。来春以降の攻勢の起点は大事にしなければならないからな。それにディセンティアには私が帝国くにへ帰るのは予定の行動だったと思わせるのだ」


 冬期に戦が不活発になるのは普通のことだった。雪が降れば軍を動かすのは難しくなるし、補給も大変になる。兵にとっても冬の野営は辛い。その間皇帝が快適な皇宮に帰って、遠征中に溜まった政務を片付けながら滞在するというのは無難なシナリオだった。


「ディセンティアは持ち上げておけ、あの程度の海軍でも王国海軍への牽制にはなるだろうし、実際にエスカーディアから東へは王国海軍が出てこなくなったからな」


 帝国軍司令部の要員達はガイウス7世の言葉を一言も聞き逃がすまいとしていた。ガイウス7世が示した大まかな方針に肉付けしていくのは彼らなのだ。


「作戦行動は魔器の使用を前提にしろ。ディアステネス上将が言ったように、魔器の破壊ができるのはアリサベル師団だけと考える。王国魔法院のあの水準であのような魔器を量産できるとは思えない。そしてアリサベル師団は多分この冬はシュワービス峠に貼り付けになるだろうからな。いま魔法院に魔器の増産を命令している、来春の攻勢には間に合うだろう」





――多分冬が来る前にこの戦は終わるだろう――


 お父様が仰っていた言葉だ。この戦が始まった頃、そんな事を言っていたこともあると思いながらドミティア皇女はガイウス7世と高級将校のやりとりを聞いていた。


――ひょっとしたらこのまま泥沼に入っていくのかしら――


 悪い予感は体を震わせる。しかしどうしても止めることは出来なかった。





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