第83話 シュワービス峠の攻防 4
翌朝、陽が昇ってからアリサベル師団は投石機と弩弓の射程ぎりぎりまで陣を前進させた。帝国軍が石や矢の回収に出てきたらそのまま砦外での闘いに持ち込むつもりだった。ただ、アリサベル師団の期待に反して帝国軍は1日中砦の中に逼塞したままだった。
帝国軍が砦から出てこないと見極めたアリサベル師団は、街道の上に散らばっている投石用の石と弩弓の矢を回収し始めた。同じ物が王国軍でも使用できるからだ。帝国軍が砦から打って出たときの用意に即応体制の部隊を待機させ、帝国軍に見せつけるように悠々と石と矢を回収した。ルバノスク上級千人長は二線級部隊を率いて砦から出て野戦をする気などなく、帝国軍は殊更に落ち着いて石と矢を回収する王国軍を歯ぎしりしながら見ていた。
次の夜も同じように出撃した。レフ以外は昨夜とは別の魔法士であったが。投石機と弩弓による攻撃は殆どなかった。昨夜より近づいて弓の射程に入ったとき派手に矢が飛んできたが、狙いも付けてない矢が少数の魔法士に当たるはずもなく、たまたま近くに飛んできた矢も盾で防げるものだった。
砦を守る帝国軍にとっては悪夢のような出来事だった。魔法士は大軍の接近を感じているのに、足音も、武器のふれあう音も、何より戦闘を間近にしての兵達の喚声も聞こえなかった。
――暗闇の中、灯りも無しに連隊規模の軍が動けるものか――
士官達は当然そう思うのだが、魔法士が揃って敵の接近を告げている。それを無視できるほど豪胆な者はいなかった。弓士達は必死に矢を放った。しかしいくら矢を放ってもまるで手応えがない。探知の魔法を使えない一般兵にとっては敵の気配などまるでないのだ。
「止まった!
「射ち方止め!」
さすがにルバノスク上級千人長が命令を出した。
「ローサフ、
「はい、30ファルほど離れておりますがはっきりと探知できます」
30ファル!手を伸ばせば届きそうな距離ではないか。なのにざわめきも武器のふれあう音も聞こえない。眼を凝らしても何も見えない。
「規模は?」
「少なくとも連隊規模かと」
「だがなにも見えないぞ。声も足音も聞こえない。本当にいるのか?」
「はい、確かに」
探知の魔法がそう告げているのだ。そう答えざるを得ない。
「くそっ!どうなっているのだ!?」
「あっ!」
ローサフ魔法士長だけでなく、他の魔法士も悲鳴を上げた。
「「「近づいてくる!」」」
「何だと!」
ルバノスク上級千人長が思わず城壁から身を乗り出すように峠道に視線を走らせたとき、
「きっ、消えた!」
前夜と同じようにいきなり王国兵が探知できなくなった。
「糞が!我々をからかっているのか!」
いくらルバノスクが罵っても只のごまめの歯ぎしりに過ぎなかった。そしてこの夜も帝国軍は眠れない夜を過ごすことになった。
夜が明けてから総攻撃と決まった。
「私は門の破壊までしかつきあえないぞ。2日も夜更かししているのだから」
夜の間に、気配を消して帝国砦の下まで行って、砦の門に3個の爆裂の魔器を仕掛けてきた。他の魔法士が放つ大きな気配に隠れて、全く気づかれることはなかった。遠隔で起動してやれば、少なくとも破城槌で破壊できるほどには門が壊れるはずだ。6個も仕掛ければ門を完全に破壊することはできる。だが爆裂の魔器だけで門を破壊することを止めたのは、レフとレフ支隊だけが突出して戦っているという印象を避けるためだった。アリサベル師団の兵達に、レフ支隊に頼り切りになる
イクルシーブ准将も同じ考えを共有していた。
「それで結構です、レフ殿。門が破れればあとはどうにでもなります。それに今回は通心を妨害する必要はないでしょう。シュワービス峠が我が手に陥ちたことを帝国に報せてやりましょう」
シュワービス峠を抜けば王国軍は帝国領へ自由に出入りできる。レクドラムを占領していた帝国軍が王国に容易に出入りできたのと同じだ。違うのはレクドラムを占領していた帝国軍は二線級の貼り付け師団だったが、アリサベル師団は一線級と目される戦力を持っていることだった。帝国領内への侵入口を確保した王国軍に帝国がどう反応するか、イクルシーブ准将だけでなくレフも知りたがった。通心を妨害しないのであればレフもシエンヌも最前線に出る必要はない。
ちなみにイクルシーブ准将がレフに"殿“を付けるようになった。王国軍内での地位が確定したからだ。
シュワービス帝国砦への総攻撃はあっさりと終わった。投石機も弩弓も既に弾切れになっており、弓士の持つ矢でさえ既に不足していた。帝国軍にはアリサベル師団が砦に近づくのを妨害する手段がなかった。レフの爆裂の魔器と破城槌によって城門が破壊されるとアリサベル師団がなだれ込み、1刻もしないうちにルバノスク上級千人長は白旗を掲げた。降伏したとき、帝国軍は砦に籠もっていた兵の半分――2千人――が死傷していた。アリサベル師団の損害はその十分の一に過ぎなかった。
レフ達は司令部用の天幕の後ろに専用天幕を張って門が破られた後は休んでいた。レフ支隊もレフが休んでいる天幕を守るように配置されて、砦の攻撃には加わらなかった。
「たまには良いんじゃないか。これまで働きづめだったからな」
と言うのがアンドレの言葉だった。
そしてその日のうちにシュワービス峠の帝国側の麓の街、テストールも陥ちた。テストールはメディザルナの山麓から1里ほど離れた平地に築かれた街で、防衛には適していなかった。その上、残されていたのは補給物資の警備のための2個中隊だけで碌な抵抗もできなかった。テストールの住民は、帝国砦が攻められていると知って多くの者が取るものも取りあえず逃げ出していた。砦と補給物資の警備隊との通心は住民に筒抜けで、帝国軍が圧倒的に不利なことが知られたからだ。テストールの住民達も、帝国軍がテルジエス平原を占領した当初、王国の住民をどんなふうに扱ったか知っていた。シュワービス王国砦、レクドラム、その後に続くテルジエス平原の戦いで捕虜になった王国兵や王国民はテストールを通って帝国内に連行されたのだ。それは戦争捕虜、戦争奴隷がどんな扱いを受けるか如実に見せつけていた。
イクルシーブ准将とレフが喜んだのは、シュワービス峠防衛師団のための越冬用補給物資がテストールに貯蔵されていたことだった。慌てて運びだそうとしていたが、アリサベル師団の行動が速くその殆どがテストールに残されていた。1個師団用としては量が多かったのは、帝国がシュワービス峠を通っての再侵攻を計画していたからだ。不正規師団のアリサベル師団は王国軍からの潤沢な補給を期待できないからこれは大きかった。
「なんだか結成以来ずっと帝国の物資で戦っているようね、私たち」
アリサベル王女の感想にレフもイクルシーブ准将も苦笑するしかなかった。
テストールを警備していた2個中隊の帝国軍は持ち出せた僅かな補給物資とともに逃げ出していたが、追跡した王国軍に蹂躙されてやっと半分ほどが補給物資を放り出して命からがら逃げ延びた。深追いするなと言う命令が出ていなければ殲滅されていただろう。
それから5日の間、アリサベル師団はテストール周辺の、ミディラスト平野の中にある街や村を襲って略奪を繰り返した。秋の収穫を終え、税を払い、これからの冬に備える食料だった。王国は、特に穀倉と呼ばれたテルジエス平原は戦のため碌な収穫もなかったため、王国側から見ればやむを得ない処置だった。しかしテルジエス平原の王国民が帝国に対して抱いたのと同じ憎悪を帝国民に抱かせる行為でもあった。その略奪行の後、アリサベル師団はミディラスト平野から、シュワービス峠の帝国側の口まで引き上げ、そこに陣を築いた。王国より北に位置する帝国ではもう冬が始まろうとする季節だった。
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