第83話 シュワービス峠の攻防 3

 シュワービス帝国砦の、王国側に向かい合った城壁には、その両端に監視塔が設置してあった。通常は一人の魔法士と5人の一般兵が途切れることなく詰めていて王国側を監視していたが、王国砦が帝国の手に落ちてからは当然のこととして監視塔は使われなくなっていた。そこに今夜、2つの塔のそれぞれに2人の魔法士と5人の一般兵が詰めていた。レクドラムとシュワービス王国砦が王国の手に取り戻されたのは昨夜のことだったのだ。


「寒いな」

「ああ、メディザルナは一足早く冬になるからな。ここより高いところだとこの雨が雪になってるぜ」


 監視塔に詰めている魔法士の会話だった。この季節に良くある篠突くような雨が降っていた。風も体の芯を冷やすように冷たい。探知・索敵の魔法を前方に展開しながら待機しているのは時間を持て余すことでもあった。同じ任務に就いている不運な同僚と駄弁るくらいしかやることがない。


「雨も鬱陶しいが、王国砦まで来た王国軍も鬱陶しいな」

「ああ、まったく、勤勉ウォーモンガーなことで」

「冬が来る前にこの戦は終わると思ってたんだがな」


 緒戦、帝国側の圧倒的な優勢で戦は始まった。あれよあれよという間に王都まで陥落させたのだ。帝国が楽観的になったのも無理はなかった。


「俺もそう思ってたぜ、どこから狂ったんだか」

「あんな勤勉な奴ウォーモンガーが出てきてからだろ」


 舌打ちの音が聞こえた。


「いったいどうやってレクドラムと王国砦を一晩で陥としたんだろうな?」

「お偉方も頭を抱えていたぜ。何でもいきなりレクドラムとの通心が切れて、で、王国砦に事情を調べるように命令したら、一刻もせずに王国砦との通心も切れたってことらしい。訳が分からず騒いでいるうちに夜が明けっちまった」

「で、夜が明けたら関まで王国軍が来ていることが分かったってことか」


 明るくなって吃驚したのだ、国境の関まで、しかも帝国側の関まで王国軍が占領していた。砦に備えてある、峠道に十分に照準を定めた投石機や弩弓の射程外で、悠々と柵を作ってやがった。砦からの突出を警戒しているのだろうが帝国軍にそんな気はなかった。砦に籠もっていれば3倍の敵でも迎え撃てる。シュワービス派遣帝国軍の高級将校の中でただ一人残されたルバノスク上級千人長が積極的な攻勢を取るはずがないことは、一般兵よりは師団内部の事情に詳しい魔法士達にはよく分かっていた。積極的に何かをしようとするより、今、手持ちのものを守ろうとする性格だった。取りあえず残りの兵を全部帝国砦に集めて守りを固め、本国からの援軍を待つ積もりだ。昼間は1日中、魔法士長を側に置いて帝国軍本部に救援を要請していた。


「寒い!」


会話のきっかけを作った方が同じ言葉を繰り返した。それに相づちを打とうとして、2人の魔法士はほぼ同時に叫んだ。


「「敵だ!!」」

「こっ、これは」

「まさか師団単位?」


 探知・索敵の魔法に大兵力の接近が引っかかっていた。ほぼ同時にもう一つの監視塔からも悲鳴に似た声が上がった。


「敵だ!!」

「くそったれが!こんな暗闇の雨の中を来るか?!」


 砦の中はたちまち大騒ぎになった。




 監視塔にルバノスク上級千人長とローサフ魔法士長が駆け上がってきた。


「敵だと!?」

「はい、上級千人長殿」

「この雨の中、暗闇の中をか?」

「はい、急速にこちらに接近しております」


 ルバノスク上級千人長がローサフ魔法士長を見た。


「本当か?」


 駆け上がってきたせいで、肩で息をしていたローサフ魔法士長がやっと息を整えて探知・索敵の魔法を発動した。そして、息を飲んだ。


「これは!!」

「どうした?」

「敵であります。少なくとも連隊規模で近づいてきています!」

「ええい、くそっ。常識もわきまえぬ戦好ウォーモンガーき共めが!全員持ち場へ着け!投石と弩弓の用意をしろ、射程に入り次第射て!」

「このスピードは!ほぼ全力で駆けているかと思われます!信じられない、あの人数で、足下も見えないだろうに」

「そう言えば、松明あかりも持ってないようだな」


 松明を持っていれば肉眼で確認できる距離まで近づいている。篠突く雨の中で街道上は真っ暗だ。


「射程に入ります!」


 魔法士長の声に、


「射て!見えなくても照準は付いている!たっぷり石と矢をご馳走してやれ!」

「「「おおーっ」」」


 上級千人長の号令に帝国兵は鬨の声を上げた。見えて無くても石も矢も街道に照準してある。放てば当たるのだ。大人数で押し寄せてきている王国兵には避けようもない。派手な音を立てて投石機と弩弓が働き始めた。



「信じられない!」


 観測している魔法士は同じ悲鳴を上げ続けることになった。


「これだけ射ち込んでいるのに何故止まらない?」

「悲鳴も聞こえないぞ!」

「ええいっ、射て、射て!」

「もうすぐ弓の射程に入ります」

「弓隊、用意!」


 上級千人長の命令に、城壁に並んでいた弓士達が一斉に矢をつがえた。弓の射程に入ったと言うのに敵が見えない。その声も、足音も、武器がふれあう音も聞こえない、まるで化け物を相手にしているようだ。嫌な汗が背中を伝わった。そこに又魔法士達の悲鳴に似た声がした。


「止まった!」

「気配が消えた!」


 砦の城壁近くまで来ていた王国兵がいきなり消えた。ローサフ魔法士長は懸命に探ったがつい今し方までそこにあった王国兵の気配は完全に消えていた。


「どういうことだ!?」

「わっ、分かりません。王国兵は最早いません!」


 砦近くまで攻め寄せてきていたはずの敵が探知できなくなったからと言って、警戒を解いて良いはずがない。結局明るくなるまで眠い目を擦りながら起きていた帝国兵が見たのは、街道上にごろごろと転がっている石と、地面に突き刺さったり落ちたりしている弩弓の矢だった。少なくとも旅団規模で押し寄せてきていたはずの王国兵の死体一つ見つからなかった。




 レフが関に設けられたアリサベル師団最前線の陣に戻ってきた。一緒に出撃した5人の魔法士の殿しんがりを務めていた。


「「レフ様」」


 レフがいない間、陣の最前部でウロウロと落ち着かなかったシエンヌとアニエスが安堵したような声を出した。少し後ろに控えていたジェシカの顔も目に見えて明るくなった。


「ご無事で、……お怪我はされていませんか」


 シエンヌは同行を希望したのだがレフが許可しなかった。それ程危ないとは思わなかったが100%安全と言うわけではない。自分であれば石も矢も避けることができる。だからシエンヌを手元に置いておけば安心だったが、それでは何のために連れていくのか分からない。シエンヌは頬を膨らませながら納得した。レフにとっては万一にもシエンヌも他の2人も失いたくはなかった。


「大丈夫だ、あんな粗い攻撃なんか当たるものか。ああ、でもフォートリフ魔法士が軽い怪我をしたようだ、手当を頼む」


 一足早く帰還した魔法士は既に衛生兵に怪我の手当をされていた。飛んできた石が砕けてその破片による打撲だった。


 アリサベル王女がシエンヌとアニエスの声を聞いて、陣の入り口まで早足でやって来た。


「レフ!」


 レフの名を呼ぶ声にも喜色が溢れていた。


「殿下、ただいま戻りました」


 アリサベル王女はレフの固い挨拶に少し不満そうな顔をしたが、


「無事で良かったわ、ドシンドシンと石が落ちる音が続くから本当に心配しました」

「全力出撃と勘違いしてくれたようで、派手に投石機や弩弓を使っていましたのでうるさかったと思います。密集している相手にならともかく、たった6人に対してのめくら撃ちではそうそう当たるものじゃありません」


 レフを含めた6人の魔法士が気配増大の魔器を持って帝国砦に近づいたのだ。王宮奪還戦で効果を確かめたこともあり、改良してさらに大きな気配が出せるようになっていた。視覚によって補正できる昼間ならともかく、夜の闇の中ではレフの予想通りに帝国軍魔法士は探知・索敵の魔法を誤魔化されたのだ。結果としてシュワービス帝国砦は、砦防衛のための切り札の大部分を無駄に使ってしまった。






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