第83話 シュワービス峠の攻防 2

「よし、始めるぞ」


 通心のみならず声にも出す。周囲の雰囲気がピンと張り詰めた。


 レフの合図で、レフとシエンヌの間で妨害の魔器が作動し始めた。たちまちレクドラムの中がざわめき始めた。それはレフ達の護衛に付いている、探知の能力を持たない一般兵にも分かるほどの混乱だった。レクドラムの街のあちこちで眩しい光が発生する。


「眼が~っ!」


 と言う悲鳴も聞こえた。


 同時にアリサベル師団とエンセンテ領軍が前進基地から走り出た。暗い中での行動に慣れていないエンセンテ領軍は松明を掲げ、アリサベル師団は暗い中での行動を訓練された魔法士に導かれてレクドラムへ迫った。闇の中の松明は目立つ。特にそれが街の中心を目指しているように見えたためレクドラムの帝国軍は市門を中心に防御陣を張った。

 わざと松明の数を増やしてあるため領軍はおそらく倍近い勢力に見えるはずだ。レフは丁度1刻の間妨害の魔器を作動させた。レクドラム市内のあちらこちらで魔器が壊れるときに出る眩しい光が多数確認された。1刻あれば帝国軍が装備した索敵、通心の魔器の殆どが破壊される。これでレクドラム市内の帝国軍は言わば盲目で聾になった。レフが妨害の魔器の作動を止めたとき、アリサベル師団が南の市壁の外に展開していた。

 市門の前にはエンセンテ領軍が布陣し、帝国軍と激しい弓合戦を展開していた。何度か破城槌を持って市門に迫ろうとしては撃退されていた。市門の上から矢を射られて盾がハリネズミになり、死傷者が出るとあっさり後退していったのはここが主攻口ではなかったからだ。

 遠くに市門の辺りから聞こえる喚声を聞きながら、アリサベル師団は準備を終えた。市内の帝国軍は市門の近辺の闘いに気を取られて気づいていなかった。


「完了しました」

「よし、行け」


 イクルシーブ准将の合図で壁の外に設置してあった柵が壊され、壁に次々にはしごがかけられ、兵達が市壁を乗り越えていった。たまたまそれに気づいた少数の帝国兵もいたが味方にそれを報せる手段もないままアリサベル師団の兵に討ち取られていった。レクドラム市内に入ったアリサベル師団の兵は人数が纏まると、あらかじめ決めてあった作戦に従って行動を開始した。


 市門の内側に集まっていた帝国軍は後ろからアリサベル師団に襲いかかられた。

 

 もともと数に劣る帝国軍には、市中に侵入した王国軍に抵抗するすべもなく、直ぐに市門も制圧され、市門の外まで押し寄せていたエンセンテ領軍も市内になだれ込むと、1刻も掛からず降伏した。まだ朝日の昇る前だった。




 レクドラムからシュワービス王国砦へ続く道を躓いては転び、そのたびに起き上がっては懸命に走る8人の男達が居た。レクドラムを脱出した帝国軍シュワービス派遣軍の幹部達だった。砦とレクドラムの間の道は重要な補給路であるため整備されていたが、既に肉体訓練の軛から逃れ贅肉のついた男達の足では速くは走れなかった。


「はっ、はっ、あ、灯りを付かないとまた転ぶ、ぞ」

「だ、駄目だ。そんな、ことをすれば、砦から丸見え、だ」


 見つかれば若くて体力のある王国兵が追ってくる。砦にたどり着く前に追いつかれれば勝ち目はない。彼らは転んだときに付いた擦り傷の手当もせず、懸命に足を動かした。


 シュワービス派遣軍の司令部はシュワービス帝国砦、王国砦、レクドラムのどこに置いても良かったのだが、一番居心地のよい建物――もとはそこそこ高級な宿――があるレクドラムに置いていた。王国軍の夜襲を受けて慌てて飛び起きたが、通心妨害の所為で、禄に指揮をすることもできず、周囲に王国兵らしい姿や声を聞くようになって逃げ出してきたのだ。唯一の脱出路である市門目指して最短距離を走ったが王国兵に見とがめられることもなく、そしてこれまた奇跡的に市門を警備する王国兵もいなかったため、無事レクドラムから逃げ出すことができた。帝国軍シュワービス派遣軍司令官、マリストート下将、その副官、副司令官の3人にたまたま側にいた兵が5人だった。まだ抵抗している帝国軍部下をおいて逃げることには多少の忸怩たる思いもあったが、王国軍がこれまで知られていなかった魔法――通心を妨害する魔法――を使うことを帝国軍味方に報せなければならないという理屈で自分を納得させていた。


 8人を100ファルの距離を置いて20人の人間が追っていた。レフ達4人と、アンドレを中心としたレフ支隊からの選抜部隊だった。さらにその後ろ200ファルに残りのレフ支隊員と、カルドース百人長に率いられた2個中隊、支援の1個大隊の王国兵がいた。カルドース中隊の魔法士は気配を小さくする魔器を持っていた。この魔器を作動させておけば、この人数なら砦から100ファルほどに近づかなければ探知できない。レクドラムの制圧を他の部隊に任せて彼らは王国砦の制圧に向かっていた。


「う~ん、遅いわね、これじゃ夜が明けちゃうじゃない」


 小声で文句を言ったのはアニエスだった。前を懸命に走る8人の帝国兵の鈍さにイライラしていた。


「まぁ、そう言ってやるな。士官の3人は走るのに適した体型じゃないし、護衛の兵は士官を置いてはいけないだろう?その上、上り坂だし、足下は見えてないだろうし。あれだけ転びながらでも走っているのだから大したものだと思うよ」

「だって、夜が明けてしまえばこちらの作戦がやりにくくなりますよ」

「明るくなって道の途中にへばっていれば王国軍に見つかるしね。その辺は分かっているから彼らも必死だと思うよ。ほら、見えてきた」


 上り坂の向こうに幾つもの望楼を備え、垂直の高い壁を持った砦が見えてきた。道は砦の中を突っ切っている。つまり砦には王国側と帝国側の2カ所門がある。3人は最後の力を振り絞ったというように、ふらふらになりながら門にたどり着いた。直ぐに上から誰何の声が降りてきた。


「準備しろ」

「はい」


 レフに言われて、アニエスは両掌の間に15デファルの空間を作った。その中に熱弾が形成された。作ったのは1/8の熱弾を4つだった。いつの間にか複数の熱弾を同時に形成できるようになっていた。さらにはその光度も落とすことに成功していた。ぼんやり白い熱弾が形成されたとき砦の門が開いた。


「やれ」


 アニエスの掌を離れた熱弾は、一瞬のうちに100ファルを飛んで、門内に入ろうとした3人の帝国士官と門を開けた帝国兵を撃ち倒した。追随していた5人の帝国兵が吃驚したように目を見開き、足を止めた。

 それを合図に先行組と主攻組の2つに分かれていた王国兵が砦の門めがけて走りだした。

 レフ歩率いる先行組が門に着いたときまだ門は開け放しだった。いきなり3人の高級士官が斃れた事に門内にいた帝国兵は面食らって混乱を収拾できていなかった。そこへレフ支隊が飛び込み帝国兵を素早く排除した。


「アニエスは付いてこい、アンドレ、門を確保しろ。シエンヌ、魔器を用意しておけ」


 それだけ指示すると、レフは砦内の道を帝国側の門めがけて全力で走り始めた。砦の王国側の門から帝国側の門まで100ファルもない。途中に柵があって道は大きく曲げられているがレフの足を止めるものではない。レフが駆け抜ける僅かな時間では帝国軍が王国側の門で起こった騒ぎに対処する時間はない。それでも帝国側の門にいた門衛が駆けてくるレフに気づいた。


「止まれ!」

「何者だ!?」


 走ってきたスピードを緩めることもなく、レフが槍を構えた門衛に飛び掛かった。突き出された槍を払って懐に飛び込み顎の下からナイフを突き通した。門衛の1人ともつれ合っているレフに槍を突き出そうとしたもう1人の門衛をアニエスが撃ち倒した。レフが振り返って妨害の魔器を取り出したときアニエスがレフに追いついてきた。


「頼むぞ」

「はい」


 アニエスに護衛を頼んでレフはシエンヌとの間で妨害の魔器を起動した。


「敵だ!」

「王国兵だぞ!」


 異変に気づいて建物から飛び出してくる帝国兵を次々にアニエスが打ち倒した。王国側の門からカルドース百人長に率いられた王国兵がなだれ込んできた。先行したアンドレの部隊と協力して門を確保する。待つほどのこともなく後続の1個大隊が門に着いて、砦内に乱入した。

 帝国軍はシュワービス王国砦に1個大隊しか配置していなかった。 レフは2個大隊くらいだと思っていた。だからレフ支隊にカルドースの2個中隊だけでなく1個大隊を回してもらったのだ。通心を封じられ連携の取れなくなった二線級の1個大隊では相手にならなかった。陽が昇る頃にはシュワービス王国砦は王国の手に戻っていた。


 レクドラムに抑留されていた人質は、アリサベル師団が攻めかける前にいろいろな理由で殺されていた者を除いて、解放された。






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