第83話 シュワービス峠の攻防 1

 レクドラムから3里離れて、レクドラムの方を窺っている集団があった。アリサベル師団の幹部達と、レフ支隊の一部、それに王にレクドラムの封鎖を命じられたエンセンテ領軍の幹部達だった。全部で40人足らずの人間がじっとレクドラムに視線を注いでいた。この距離ではレクドラムから探知できるはずもない小人数だった。アリサベル師団主力はレクドラムから5里離れたところに布陣しているエンセンテ領軍と合流している。

 いままでこの距離で、帝国軍とエンセンテ領軍は睨み合っていたのだ。


 エンセンテ領軍が命じられたのは帝国軍をテルジエス平原に出さないことだった。帝国軍は対王国戦が始まって招集された、予備役を中心にした二線級の部隊だった。テルジエス平原に一旦は構築された帝国の支配機構を一掃した王国軍の強さを恐れてレクドラムに籠もったままだった。帝国本国から命じられたのは王国への侵入口を確保しておくことだったからそれでよかったのだ。結果としてどちらにとっても都合が良い睨み合いが続いていたが、それが変わろうとしていた。


「レクドラムに居るのは5千人前後かな」


 レフの言葉に吃驚したようにエンセンテ領軍の幹部がレフを見た。


「この距離で分かるのですか?」


 そう訊いたのは、エンセンテ領軍の将ラムザス・エンセンテ・ブラミレードだった。言葉が丁寧なのはアリサベル師団の幹部達がレフに敬意を払っているのを見たからだ。エンセンテ一門はレクドラムの戦いから王宮の攻防戦まで国軍とともに戦い、磨り潰された。宗家の当主、ディアドゥ・エンセンテも戦死し、他の一門の大貴族家も宗家と運命をともにしたところが多い。結果として現在エンセンテ領軍の指揮を執っているのは、戦前はエンセンテ一門の中堅に過ぎなかったブラミレード家だった。それでも王家から下賜された領地持ちの貴族は軍では将官扱いされるのだが、エンセンテ領軍の兵力が5千だったことと、アリサベル師団の指揮官が国軍准将であったためその下に付くことになっていた。


「この距離で、しかも壁の中にいるから正確には分かりかねるが、4千から6千の間で間違いないと思う」


 ラムザス・ブラミレードは横に控えているエンセンテ領軍の魔法士長、ロサーフ・リアミデスを振り返った。リアミデスは首を振った。自分には分からないという意味だった。魔法士として能力のある者は国軍に採用される事が多い。魔法士は最初から士官待遇であったからだ。何か事情があれば領軍に残ったり、軍に属さない選択をする魔法使いも居たが、そんな選択をする魔法使いは少数派だった。リアミデスも領軍に残った魔法士の中ではまあ能力がある方ではあった。ラムザス・ブラミレードとしてはレフの言葉をそのまま受け取るしかない。


「我々の1/3の兵力ですか」

「全部が戦闘員ではないからもっと戦力差は開くだろう」


 砦に籠もる敵を打ち破るには3倍の兵力が必要だと言われている。それは満たしているわけだ。


――力押しするのか?――


 ラムザス・ブラミレードの背中を冷たい汗が伝った。


「あ、あそこにはテルジエス平原の貴族から集めた人質がいます。攻めかかると殺されるかも知れません」


 ラムザス自身も長男を人質に出していた。


「そうね、それは考慮するわ。できるだけ人質を殺させない方法を採るわ」

「ア、 アリサベル様。そんな事が……?」

「全員は無理かもしれないけれどね、のんびり人質を殺している暇など無いようにすることはできるわ」

「お。お願い申し上げます」


 ラムザス・ブラミレードが土下座せんばかりに頭を下げた。


 レクドラムはシュワービス砦の後背地――補給基地――として作られた街だ。シュワービス砦が難攻不落と思われていた所為もあって、防備を強く考えた作りにはなってない。峠側の市壁はそれでも厚みがあって巡回通路と望楼が設けられているが、テルジエス平原側の市壁は薄く、高さもない。レクドラムの戦いの前にディアステネス軍が薄い市壁の前に柵を設け、櫓を建て、その外側に空堀をほった。それをそのまま今も利用している。よく見れば隙だらけだ。


 レフとシエンヌの二人が行動を開始したのは真夜中だった。アニエスが付いていくとごねたが、レフとシエンヌだけであればまず見つかることはないという説得に渋々応じた。それにレフとシエンヌだけであれば、灯りも付けずに足下の悪い野道を昼と同じように走ることができる。1刻足らずでレクドラムの市壁近くまで来ていた。市壁の外には兵を出していなかったが、さすがに櫓の上には不寝番の魔法士を配していた。レフとシエンヌは柵から20ファル離れて空堀の手前に身を伏せた。


『あれで見張っているつもりかな』

『二線級の部隊の魔法士なんてあんなものです』


 声に出しても気づかれるとは思わなかったが、念のため通心にした。


『まあ、敵の魔法士が間抜けなのはいいことだな』

『はい』


 レフが懐からレクドラムの地図を取り出した。もともと王国の街だ、軍用には詳細な地図が用意されている。ここまで近づけば市壁越しにでも市内の様子は分かる。帝国軍の配置を探りながら地図に記入していく。


『人質は多分ここだな』


 地図と照らし合わせると、旅人宿の一つだった。王国と帝国が戦を始める前は両国間の交易があった。それに携わる商人、それも余り裕福ではない商人が止まる宿だった。小さな部屋をたくさん設け、安い料金で止める宿だ。その小さな部屋に1人から3~4人までの人間が詰め込まれ、宿の玄関と裏口には見張りの兵がいた。帝国軍がレクドラムを占領したときに王国人は逃げだしている。逃げ損ねた者は捕虜になり、戦争奴隷として帝国へ連れて行かれているから、こんな風に監禁されているのはテルジエス平原から集められた人質以外には考えられなかった。全部で150人くらいいる。テルジエス平原を王国に取り戻されても殺されてはいなかったようだ。


『さすがに市門は厳重だな』


 シュワービス峠から下りてくる道に面した市門には3個小隊の兵が配置されていた。レクドラムに出入りできる門はこの1カ所だけだった。


『全部で5千から5千3百の間だな』 

『はい』

『よし、大体の配置も分かったし、一旦引き上げようか』

『はい』


 レフが転移の魔器をそこに設置した。この次は一瞬で転移してここに来ることができる。そして、アリサベル師団の陣に設置してある転移の魔器を使って2人は陣に戻った。


 次の日、レフとシエンヌの情報に基づいて作戦を立て、決行はまた夜になった。


 暗くなるのを見計らってアリサベル師団とエンセンテ領軍はレクドラムから1里半の距離まで近づいた。1万5千の軍がこの距離まで近づけばさすがに帝国軍にも探知できる。レクドラムに一時緊張が走ったが、王国軍がそこで停まり1刻以上動かなかったことから帝国軍は次の日の攻撃を予測した。暗くなって1個師団を動かすなど常識の範囲外だったからだ。帝国軍はこれまでになくレクドラムに近づいた王国軍を警戒しながらでもその夜はそれ以上の動きはないものと考えた。


 真夜中レフは自分の体に直接触れる8人を連れて、昨夜偵察のついでに設置しておいた魔器のもとへ転移した。そこから左右に分かれてレフとシエンヌでレクドラムを挟む。アニエスはシエンヌに付けた。例によってアニエスが盛大に文句を言った。ジェシカをレフの手元に置いてアリサベル師団司令部との通心を保つ。シエンヌの護衛にアンドレの部隊を充て、カジェッロ家から来たアルティーノ魔法士を連絡用に付けた。アルティーノ魔法士は領軍にいたにしてはなかなか優秀だったし、レフの魔器によってその能力をかなり底上げされていた。


『よし、始めるぞ』




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