第82話 皇女と将軍 Part Ⅳ

 ディアステネス上将は不機嫌だった。魔器が使えなくなって、性能の劣る魔道具をティセンティアから調達して実際に使ってみたのだ。2個師団を動員しての野外演習だった。結果は驚くほど帝国軍の動きが悪かった。これが同じ軍かと疑ったほどだ。演習統括司令部の天幕内は上将の機嫌を反映して重苦しいものだった。10人に近い高級将校がいるのに言葉を発する者も居なかった。


「10年前まではこの水準で満足していたのだがな」


 上将の愚痴が唯一の言葉だった。探査の魔道具を使うと魔器に比べて探査範囲が狭く、精度も悪かった。エスカーディアの近くで5里離れて二つの師団を対峙させてみた。どちらの師団の魔法士も相手を認識できなかった。魔法士長以上の魔法士が2個師団で22人居た。そのうち3人だけが、


「この方向に仮想敵がいます」


 と報告できたが、どれくらい離れているのか、どの程度の勢力か正確に報告できた魔法士はいなかった。その3人は特に優秀な資質を持っていると認定されていたが、そのクラスの魔法士が潤沢に居るわけもない。

 魔器を使えばこの距離で魔法士全員が仮想敵の居る方向、距離、勢力を探知できていたはずだった。2つの師団を少しずつ近づけて魔法士全てが仮想敵を探知できたのはやっと2里になったところだった。大隊規模にして同じ事をやらせてみたところ、1里で半分、半里に近づくと全員が探知できた。何とか大隊規模での奇襲は防げそうだったが、魔器を使用していたときに比べると作戦の幅は大きく損なわれることが予想された。


 通心の魔道具も酷いものだ。魔器に比べると通信速度、容量が比べものにならない。何より致命的なのは魔器であれば多数――少なくとも1個師団の魔法士全員――を相手に同時に通心出来る。魔道具では精々3~4人だ。それも事前に魔道具の同調を済ませておかなければならない。魔器であれば半里以内であればほぼ自動的に繋がる。簡単な同調を済ませていればそれが10里になる。素質のある魔法士ならその数倍の距離でも大丈夫だったが、普通の魔法士でさえ10里離れて通心出来るというのは魔器の性能が突出していることを示していた。通心出来る相手の数が限られると、今までのように有機的に連携して大部隊を動かせない。


――魔器に慣れすぎたな――


 初めて探査・索敵と通心の魔器を知ってから10年になるだろうか。その性能に吃驚して魔法院の尻を叩いて量産させた。帝国軍全体に行き渡るのに3年掛かった。その後は高性能の魔器を前提とした作戦行動になった。それが丸ごと叩きつぶされた。若い魔法士なら魔器しか使ったことがない――使えない――魔法士もいるのだ。

 敵を探査する能力が落ち、命令を下す経路が細く、小さくなった。結果は泣きたいほど軍としての戦闘能力が落ちた。


 重苦しい雰囲気の司令部天幕に入ってきた男がいた。帝国軍とは異なる軍服を着ている。


「いや、さすがはディアステネス閣下旗下の帝国軍、素晴らしい動きでございますな」


 ルージェイ・ディセンティアだった。ディセンティアもこの演習に2個大隊を参加させ、両方に分かれて動いていた。その声に改めてルージェイ・ディセンティアが参加してたことを思いだしてディアステネス上将がルージェイの方へ視線を向けた。ルージェイが本気で賞賛しているらしいことに気づいて唖然とした。しかし、それを表情に出さないくらいにはディアステネス上将は古狸だった。そう言えばこの魔道具による通心でも、帝国軍は師団規模で何とか纏まってディアステネス上将の指揮通り動いていたが、ディセンティアの領軍は付いていくだけで精一杯に見えた。


――ディセンティアは陸軍より海軍に力を入れていたな。海軍は船の甲板で闘うのが任務、野戦のような大隊規模の指揮でさえ慣れてはおるまい――


「魔器が使えぬとは言え兵の練度が落ちているわけではありませんからな。これでやっと王国軍が我々に対して互角と言える所に立っただけ、あとは兵の練度と数が物を言います。負ける要素はありませんな」


 強がりだった。アリサベル師団にいると思われる正体不明の魔法使い、


――陛下はイフリキア殿下の子と仰っておられたが――


 それが王国軍の正面に出てきたら正直その探査や通心に今の帝国軍で対抗できるかは疑わしい。


「本当に、参考になりました。わがディセンティアの領軍も野戦の機会が多くなるでしょう。閣下にはこれからもよしなにお願いしたいものです」

「そうですな。ガイウス7世陛下への真摯な帰順を是非お見せ頂きたいところです。海戦だけではなく野戦にもディセンティア軍が貢献されれば陛下の覚えもめでたくなるでしょうな」

「鋭意努力いたしましょう。ディセンティアの頭を抑えつづけるだけのアンジェラルド王家が排除されれば、帝国とともにディセンティアも大きくなれますから」


 ディアステネス上将はルージェイ・ディセンティアが差し出した手を強く握り返した。言いたいことだけ言うとルージェイ・ディセンティアは機嫌良く天幕を出て行った。




「魔道具では駄目ですな、まして王国製の魔道具ではお話になりません」

「そうみたいね、演習を見ていたけれど、動きに切れがないように見えたわ」


 ドミティア皇女は士官教育を受けている。魔法士としても一流の能力を持っている。これまでのディアステネス軍の動きと今日の演習における帝国軍の動きの差を覚るくらいのことは容易にできる。皇女の視点から見てもこれはかなり抑えた表現だった。


「ところがそれを褒める人間が居る」

「そうね、耳を疑ったわ」

「あれが味方ですからな。少なくともディセンティアの地上軍は扱いに気をつけた方が良さそうですな」

「上将閣下でも手に余る?」

「半年も私の下で訓練すれば使えるかも知れませんが」

「そう……。まあ、ディセンティアの領軍が抜けて、王国軍の数を減らすことはできたと喜ぶべきよね」

「無能な敵は喜ぶべき存在でもありますが、まあ数を減らしたことを良しとしましょう。それより帝国軍のことです」

「確かに動きは悪かったけれど、それでも王国軍とほぼ互角じゃない?」

「もっと鋭い動きをする軍に我々は慣れております。指揮をするときにはどうしても以前の状態を基準にしがちです。その結果無理な動きを要求することになりかねません。そうなれば互角という条件が崩れます」


 皇女は頷いた。魔道具による作戦指導に、兵も士官も慣れるよりないのだ。それにはやはり時間が掛かる。


「やはり魔器が欲しいところですな。予備の補給はどうなっております?」

「魔器の予備ってあまりないのよね。特別秘匿の戦略物資だから必要以上の量を作ってないわ。予備がゼロとは言わないけれど」

「できるだけ速く送って欲しいものですな」

「また壊されるかも知れないわよ」

「あれが広く王国軍で取られている標準戦略とは思えません。何しろ使っているのはアリサベル師団だけですからな」

「主軍の魔器を壊したのもアリサベル師団だと思っているの?」

「あの時ロッソルにいた王国軍からあの作戦に出た部隊はありません。陸路でも海路でも。アリサベル師団から出たと考えるのが自然です」

「そう、まああんなことができる魔道具、あるいは魔器ね、がそんなにたくさんあるとは思えないし、使える魔法士がたくさん居るとも思えないわね。王国のあの魔法院のレベルを考えると」

「ですから予備の魔器をすべて送るようにお願いしたい」

「1個大隊分くらいの予備はあるはずよ。それに父が陛下に命じられて魔法院へ帰ったわ、魔器の増産を目的に。貴方の言い分を聞いていると新しい魔器が直ぐに壊されるということもなさそうね」


 9万の軍に1個大隊分の魔器!薄くばらまいてしまえば普段の連絡に使うのが精々だ。重点的に配備しても2個大隊を動かせるだろうか?


「ルファイエ卿が本国に帰って魔器の増産をされるのですか。良いことを聞きましたな。精々期待させてもらいましょう」


 魔器を破壊できる、それが王国軍の一般的な能力でないという可能性に賭けて、ディアステネス上将は可能な限り魔器の再装備をすることにした。






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