第81話 交渉 2
レフやベニティアーノ卿と散々打ち合わせたことだった。王室の中でアリサベル王女が力を増す事には反対しても、継承権を手放す方向で話を持っていけばドライゼール王太子は反対しない、というのがその結論だった。先にリッセガルドの件で王太子に心理的な負い目を作っておけばさらに効果的だろう、と言ったのもベニティアーノ卿だった。
目論み通り一旦表情が固まったドライゼール王太子は喜色を浮かべた。レアード王子に次いで継承の強敵になりそうだったアリサベルが降りるという!
「継承権を放棄するというのか?」
「第一継承権者に王太子殿下がおられるので問題は無いかと。それよりもレフを取り込むことが重要と考えますれば……」
「ふむ」
ゾルディウス2世は考え込む振りをした。心は決まっていたが、余りに短時間で承諾しては軽く見られることを恐れたからだ。
「陛下、良い考えではありませんか。帝国の高位貴族と言うことであれば家格も釣り合います。何より、ガイウス7世を目の敵としているようです。それならばさらに積極的に王国の為に働く動機を付けてやれば良いではありませんか?」
自分の都合に良い方に行きそうな話にじっと考え込むゾルディウス2世の態度にしびれを切らしたように、ドライゼール王太子がそう言った。それでもゾルディウス2世はしばらく黙っていたが、やがておもむろに口を開いた。
「良いだろう、アリサベル。そちがレフに嫁ぐことを許す。その男を準王族として扱おう」
「御聖断、ありがとうございます。必ずや陛下の期待に違わぬ働きをしてご覧に入れます」
王女がそう言いながら丁寧な礼をした。王女が王にする礼ではなく、高位の貴族が王にする礼だった。それを今にもにまにまと笑い崩れそうになりながら王太子が見ていた。
「うむ、早速なのだがな」
「なんでございましょう?」
「レクドラム、ひいてはテルジエス平原のことだ」
「はい」
「レクドラムの周辺はエンセンテの領軍を中心に5千ほどの兵で守らせている。だが所詮は宗家の主を失ったエンセンテ一門の寄せ集めだ。頼りにならぬ」
アリサベル師団が、当時は旅団規模だったが、テルジエス平原の帝国支配機構を叩きつぶしてから、ゾルディウス王はエンセンテ一門に命じてレクドラムを封鎖し、再度帝国軍が侵入してくることを警戒させていた。
「レクドラムに籠もった帝国軍は今のところはおとなしい。守りは固めているがテルジエス平原に出てくる様子はないと報告を受けている」
王女は頷いた。アリサベル師団もテルジエス平原を取り戻した後、レクドラムを監視する位置に少数の目と耳を残している。その報告と今の王の言葉は一致する。
「だが、情勢が変わった。帝国軍が援軍を呼ぶかもしれぬ。その場合シュワービス峠は良い通り道だ」
レフが帰ってきてからアリサベル師団でも検討したことだった。
“可能性はある“
が結論だった。しかし、ジェシカの報告では一線級の部隊の殆どは対王国戦に動員されており、残るのは帝都師団くらいで、これを派遣すれば帝都の守りが薄くなるため、来るとしても予備役を中心とした二線級の部隊だろうという。それでも警戒しておくに超したことはない。
「テルジエス平原の入り口はがら空きと行っても過言ではない。せめてレクドラム、シュワービス砦は取り戻しておきたい」
「はい」
「アリサベル師団で可能か?」
面白いほどレフとベニティアーノ卿の予想が当たる。アリサベル王女は思わず緩みそうになる頬を引き締めた。
「はい」
「では、アリサベル師団に命じる。レクドラム、シュワービス砦を帝国の手から取り戻すように」
「承りました」
ドライゼール王太子は、新参者で帝国との繋がりがあり、得体の知れない魔法使いであるレフにこれ以上軍功を上げさせることを好まないはずだ。ゾルディウス王もおそらく同じように考えるだろう。主戦線から外れたところ、軍功を立てても目立たないところ、そしてそれでもなお重要なところ、と考えていくとシュワービス砦にたどり着く。
シュワービス砦の奪還に回されるのではないかというレフとベニティアーノ卿の予想にはイクルシーブ准将も同意していた。そう命じられたら速やかに従うことでも意見は一致していた。
簡略化した謁見が行われたのは次の日だった。王国軍がロッソルから出てクインターナ街道を東に行きエスカーディア付近に布陣している帝国軍と対峙し、王家はアンジエームの王宮に帰還するための用意で、ロッソル中が忙しく動き回っている最中だった。謁見はロッソル市庁の臨時に謁見室として使われていた部屋で行われた。武装を解除された――それこそ小さなナイフまで取り上げられた――レフとアリサベルが、一段高くなった台の上に設置された椅子に座ったゾルディウス王とその左右に立っている正妃、王太子の前に片膝をついて跪いていた。レフ達の横にオルダルジェ宰相、ガストラニーブ上将、グリツモア海軍上将、ロドニウス上級魔法士長と10人の親衛隊の精鋭が――この親衛隊小隊は武装していた――が控えていた。
――無手であっても、その気になればこの親衛隊が反応する前にここに居る王族を一掃できる――
もちろんレフがそんな思いを顔に出すことはなかった。魔器や魔道具の類も取り上げられていたが、レフにはそんな物が無くても周囲の様子が手に取るように分かった。レフが無手であることで親衛隊兵士には気の緩みが、普通なら気づかれないほどの小さな気の緩みが見られた。
「顔を上げよ」
宰相の声に、部屋に入ったときからずっと跪いて王が入ってくるのを待たされていたレフとアリサベルが顔を上げた。台の上からじっとレフを見つめる何対かの目があった。
「そちがアリサベルが見初めた男か」
ゾルディウス王の問いに肯定するようにレフは一度ゆっくりと頷いた。
「直答を許すと仰せだ」
オルダルジェ宰相の声だ。
「レフ・ジンと申します。ご尊顔を拝し、恐悦至極にございます」
マニュアル通りと言って良い受け答えだった。
「そちは帝国からの亡命者と聞いたが」
「はい」
「しかしジンという家名は聞いたことがない」
「母は別の家名を名乗っておりました。バステアと申します」
ロドニウス上級魔法士長がビクッとした。
「フェリケリウス・バステア?」
小声だったがゾルディウス王に聞こえたようだ。
「知っておるのか?」
「イフリキア・フェリケリウス・バステア、帝国魔法院の才女、帝国の魔女と呼ばれる魔法使いでございます」
「ほう。そちはそのイフリキア・フェリケリウス・バステアの身内なのか?」
「母でございます」
ロドニウスが吃驚したようにレフを見つめた。帝国の魔女に子が居るなどという情報に接したことはなかった。
「帝国の魔女と呼ばれている魔法使いの子、しかもフェリケリウス一門に属するそちが何故亡命などする?」
「母が死にましてございます」
平板なレフの声には感情がうかがえなかった。
「帝国の魔女が死んだ?聞いてないぞ」
その情報も又、ロドニウスを驚かせた。思わず大声になった。
――帝国魔法院の内部情報は最優先の筈だった。それなのにこんなに抜けが多いとは。緒戦で帝国の魔法に叩きのめされる筈だ――
ロドニウス上級魔法士長の声を無視するように、
「そうか、それで皇家の中で人望を集めそうなそちをガイウス7世が邪魔に思った訳か。なんと言っても
勝手に誤解したゾルディウス王の言葉を、レフは深く頷くことで肯定した。
「おかげでアリサベル殿下の役に立っております」
「うむ、これまでの働きも納得できるというもの、堂々とアリサベルを娶るが良い」
ガイウス7世は執念深いという、一度追い出した者は追い続けるだろう。自分の皇位を脅かす可能性があればなおさらだ。この男を、アリサベルを与える事でアンジェラルド王国に繋ぎ止めておけるなら悪い取引ではない。カルーバジタの報告が半分も本当であれば帝国に対する大きな戦力になる。
「有り難き幸せに存じます」
「ありがとうございます」
レフの隣でアリサベル王女も頭を下げていた。
「聞いたな、オルダルジェ、アリサベルとレフ・フェリケリウス・ジンとの結婚を布告するが良い。戦が終わって落ち着いたら盛大な披露の宴を催し、アリサベルの化粧料として幾ばくかの領地を与えよう」
「畏まりました」
謁見の目的は達した。有力な魔法使いを手に入れた。しかも帝国には決して受け入れられない、つまり裏切る心配が少ない者だ。ゾルディウス王は謁見の結果に満足していた。
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