第80話 アリサベル王女の決意 2
ベニティアーノ卿は王女に付けた侍女が言っていたことを反芻していた。もちろん言うまでもなく、王女の世話だけではなく王女の言動を報告させるために付けた侍女だった。
――アリサベル様は恋する女の目をしておいでです。レフ様のおられる所ではいつもレフ様を視野に入れておられます。さすがに旦那様やイクルシーブ様のおられる所では自重なさってますが。レアード様の一件以来ますます強くそれを感じます――
若い方の侍女がそう言って、後ろで年配の侍女が頷いていた。
――ほう、それは気づかなかった。で、レフは気づいているのかな?――
――レフ様は人の気配には敏感でいらっしゃいますが、人の気持ち、特に女の気持ちには敏感とは言えないと思います――
侍女の言ったことが本当ならば、いや、多分本当だろう。それならばやりようはある。
「殿下、かなり有力な手段はありますが、殿下のお気にいるかどうか……」
「なに?気にいるかどうかは聞いてから決めるわ」
「それでは申し上げましょう、殿下がレフと結婚なさることです」
「えっ?」
ベニティアーノ卿の言葉にアリサベル王女は驚いた表情を浮かべ、続いて顔を赤くした。
「そ、そんな」
王女の後ろで同じように吃驚していたロクサーヌが王女をかばうように前に出た。
「な、なんと言うことを、ベニティアーノ卿。いくらベニティアーノ卿でも言って良いことと言ってはならない事があります!」
「ロクサーヌ、下がってなさい」
アリサベル王女が後ろからロクサーヌの肩に手を置いて命じた。
「し、しかし、殿下?」
「下がってなさい。ベニティアーノ卿は真剣に考えてくれたのですよ」
ふむ、こんなことを言われて王女は怒っていない、やはりそうなのだろう。
あの時は半信半疑だったが、王女のこの様子を見ると的外れではないようだ。ベニティアーノ卿は侍女達の言葉を想い返しながら続けた。
「レフは自分の
確かにシエンヌ、アニエス、それにジェシカの3人に対する接し方とそれ以外の人間に対する態度には差がある。レフは誰に対しても言葉遣いは丁寧だし礼儀正しい、しかし間に確実に壁がある。そこから中へは入れない壁がある。ずっとそれを感じていたけれど、レアード王子の一件以来、そう言えばその壁を余り感じなくなった、……ような気がする。
「だ、だから私も内輪に入れというの?」
「そうなればレフは殿下から離れない、いや殿下を離さないでしょう」
王女の顔がさらに赤くなった。
「でも、……レフは私を内輪に入れるかしら」
「入れると私は考えています。そうでなければ、アリサベル師団を殿下の手に残したレフの行動が理解できません。あれは外の者にあんなことをする人間ではありませんから。それに最近のレフの殿下に対する態度が柔らかいように感じます」
ベニティアーノ卿も同じ事を感じているのだ。心臓が躍り出しそうだ、鎮まれ、鎮まれ、私の心臓。
その夜、レフはシエンヌに起こされた。
「ん?もう朝なのか?」
そうでないことは直ぐ分かった。天幕の外はまだ真っ暗だ。
「申し訳ありません、レフ様。起きられた方が良いと思います。アリサベル様がこちらへ向かっておいでです」
「えっ?」
周りを探ってみると直ぐ分かった。アリサベル王女が一人でレフの天幕の方へ向かって来ている。
見るとシエンヌだけでなく、アニエスとジェシカも起きていた。しかもきちんと服を着ている。戦陣ではさすがに夜着に着替えるなどと言うことはしていなかったが、それでも靴や上着を脱ぎ、楽な格好になって寝る。レフが寝付いたとき3人も同じように楽な格好になっていたはずだった。
「アリサベル様は明日にも陛下や王太子殿下に会われる予定です」
「ああ、そう聞いている」
「その前にアリサベル師団とレフ様の事について相談があるのだと思います」
そう言われれば納得がいった。レフも起き上がって手早く服を着た。
王女は勇気を振り絞ってレフの天幕を一人で訪ねようとしていた。もう真夜中に近い。ベニティアーノ卿もロクサーヌも側にいて欲しくなかった。一人で行かなければ……、途中で引き返しそうになる足を無理矢理動かした。次の日にはゾルディウス王と会う、きちんと決めておかねばならない。
レフが天幕の外で待っていた。王女を認めて軽く会釈した。その顔がアリサベル王女には何時になく柔らかく感じられた。
――そう言えばレアード
レフが天幕の入り口を開けて、
「どうぞ、お入りください。殿下」
天幕の中で3人の女達、シエンヌとアニエス、それにジェシカが出迎えた。もう真夜中に近い、寝ていてもおかしくない時間だったが3人ともきちんと服を着ていることに王女は気づいた。
「お座りください。アリサベル殿下」
向かい合わせにイスが用意されていた。間に机があるのが有り難かった。膝の上に置いた手が震えているのを見られずに済む。シエンヌ、アニエス、ジェシカの3人は横に立っている。そちらの方を意識しながら、
「レフ殿、話が、有って参りました」
声が震えなかったかしら?
「はい」
レフが頷いた。王女は大きく息を吸った。人の目がなければ気合いを入れるため両の頬を掌で叩いているところだ。
「明日、陛下と王太子殿下に会います」
「はい、そう承っております」
「アリサベル師団を今後どう扱うかと言うことを話すことになると思います」
「そう、でしょうね」
「最も重要な問題は、レフ殿、貴方と、そちらの3人の扱いになります。カルーバジタの手の者が師団の兵に接触していますから、陛下もレフ殿の事を当然知っておられるはずです」
「私もそう思います」
「レフ殿のことを知れば、特に
自分の要求が通らないなどと言うことは考えもしない人間だ。当然のごとくそう要求するだろうと王女は思っていた。レフは少し違う考えを持っていた。うまくレフを王太子の部下にすることに成功しても、一度アリサベル王女の
「アリサベル師団としてはレフ殿を失うわけにはいきません。……あっ、もしレフ殿がそれを望まれるなら、別ですが……」
言葉を繋いでいるうちに王女が俯いた。そんな可能性があるわけは無いと思っても完全に否定することができなかったからだ。王太子の下にいた方が出世する機会が多いのだから。
「いいえ、私もドライゼール王太子の部下になるのは嫌ですね。アリサベル師団とともにいたいと思っています」
ぱっと王女が顔を上げた。笑顔だった。
「本当に?本当にそう思ってくださるのですか?」
「はい、殿下に嘘はつきません」
胸の奥にあった塊が一つ溶けていくようだった。もう一つ溶かさなければならない。鎮まれ、私の心臓!
「レフ殿をアリサベル師団に
アリサベル王女が継承権を放棄すれば次期王位を争う最大のライバルが居なくなるのだ。多分ドライゼール王太子はそのことにばかり意識が行って他の事は考えられなくなる。
「貴女はそれでいいのですか?殿下」
体が震えた。膝に力が入らない。それでも答えなければならない。顔が真っ赤になった。なかなか声が出てこない。やっとの思いで、
「……はい」
「後悔しませんか?」
「こっ、後悔なんて、決して、決してしません!」
やっとここまで言うことが出来た。王女の言葉にレフは女達を見た。
「いつかきっとこうなると思っておりました。どうぞよしなに、殿下」
「あたしはレフ様の側にいられれば良いから。邪魔だから出て行けなんて言われなければあたしは構わないわ」
「私の立場では何も言えないかと……。どうかよろしくお願い申し上げます、殿下」
3人の言葉にアリサベル王女は崩れそうになる姿勢を辛うじて支えていた。レフが立ち上がって近づいてきた。
「アリサベル殿下、歓迎します」
レフの言葉に全身の力が抜けるようだった。自分も立ち上がろうとして膝に力が入らなかった。辛うじて立ち上がってふらつく王女の体をレフが支えた。レフが支えなければくずおれていただろう。そのままレフの腕の中で気を失ってしまった。
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