第80話 アリサベル王女の決意 1

「陣を解いて動き始めたな」

「はい。見事な行軍です」


 レフ支隊はディアステネス軍から遠ざかっていたが、あれほどの大きさで、しかも一度把握した軍であればかなり遠くなっても様子はうかがえる。ディアステネス軍が手早く陣をたたみ、逃げる王国騎兵を深追いせず東――帝国軍主力のいる方――へ隊列を整えて動き始めたのを察知していた。尤も探知に飛び抜けた能力を持つレフとシエンヌだからできることではあった。


「これで王国領へ侵入した帝国軍は一つに纏まるって訳だ」


 レフとシエンヌの話を側で聞いていたアンドレがため息交じりに言った。


「ああ。9万の大軍だぞ」

「厄介だな。魔器が壊されて通心、索敵が不自由になっても図体がでかい相手というのはそれだけでやりにくい」


 めくら滅法振り回した腕でも、中隊規模の部隊では当たれば潰されてしまう。

魔器を壊した日に3組のパトロール隊を殲滅して以降、レフ支隊は帝国軍と衝突していない。帝国軍が中隊から大隊単位で野営地の周囲を警戒し始めたからだ。


「中隊数個だけなら何とかなるが……」

「後ろに9万の大軍が控えているとな。いくらあんたや嬢ちゃん達がいて、あんたの魔器が使えるとしてもうかつなことはできないな」


 時間稼ぎの守勢に足を取られて抜けないうちに援軍が来る、などと言う事態になったらいくらレフの魔器があっても危ない。


 だからアリサベル師団への帰還を決めるまでの間、レフ支隊は偵察に徹していた。そして分かったことは、


――ガイウスの奴め、用心深いことだ――


 司令部の天幕が見える位置まで近づくのが大変だった。常に数個の大隊が警戒に出ている。何とかその天幕を視野に入れる距離に近づいても、


――どいつが高級将校なのか分からない――


 天幕に出入りする帝国兵は皆、一般兵の軍装をしている。兜を深く被って顔を見せない。ガイウス7世も出入りしているはずだが、目立つ軍装をしていない。ガイウス7世と遜色のない体格の兵を多数天幕周囲に配して、誰がガイウス7世なのか見分けが付かないようにしている。

 ガイウス7世が特定できればアニエスの熱弾で斃すつもりだった。もちろんそんなことをすれば帝国軍に追われるだろう。帝国軍司令部周辺には腕利きの魔法士が何人もいたのだ。熱弾が飛んできた方向くらいは覚られる。その方向に大軍を投入すれば捕捉される可能性が高い。それでもガイウス7世を斃せるならやる価値はあるが、現状ではそんな危険を冒すことはできなかった。


「あいつは有能だが、相変わらず臆病だ」


 レフが舌打ちしながら苦い顔で言ったことだった。


――いつも冷静なレフ様が、ガイウス7世陛下の事に関しては随分と感情的になる。よほどの因縁があるのだわ――


 その言葉を聞いたジェシカの感想だった。ジェシカはまだレフとガイウス7世の間にあった葛藤を正確には知らなかった。



ガイウス7世あいつが有能だって事には異論は無いな。もっと短気で周りが見えない奴かと思っていた」


 アンドレの言葉に、


「そろそろ潮時か、アリサベル師団の方へ引き返そう」

「そうだな、これ以上帝国軍にくっついていても、この兵力じゃやれることはなさそうだ。それに兵糧も心許なくなってきた」


 こんな会話を交わした後、レフ支隊は帝国軍主軍から離れてアリサベル師団への帰還を決めたのだ。


 レフは気づかなかったが、レフ支隊の活動はこれ以降も帝国軍に過剰な警備を強いることになった。偵察は大隊規模、少なくとも複数中隊規模になり、頻度も増加した。得体の知れない脅威というのは心を穏やかにはしてくれないものだ。そしてそれは又、帝国軍の行動を縛ることにもなった。





 予定ではその日のうちにアリサベル師団は王国軍主力と合流し、少なくとも師団幹部はロッソル内に居所を割り当てられて市内に入るはずだった。それが思いもかけない騎兵の壊滅によってそれどころではなくなった。王国軍幹部は逃げ帰ってきたドライゼール王太子を始めとする騎兵の収容と、帰ってこなかった騎兵の把握に追われて、アリサベル師団に構う余裕など無くなってしまった。ロッソル市外の、帝国軍が陣を張っていた所に留まるようにと言う連絡をするのが精一杯であった。アリサベル師団は幹部達の天幕を中心にして兵達の天幕を張り、野営の準備に入った。尤もロッソルは広くない。幹部達は市内に入れるかも知れないが師団全部を収容するには土地が足りない。おそらく大半の師団兵はその後も市外に留まる事が予想されてはいた。


 王女の警備親衛隊員であるルビオがベニティアーノ卿の天幕に来たのは日が落ちてからだった。


「殿下がお呼びです」


 そう告げられてベニティアーノ卿はアリサベル王女の天幕を訪れた。天幕の中では王女がやや緊張した面持ちで待っていた。いつもと同じようにロクサーヌ親衛隊兵長が護衛の位置に立っている。


「暗くなってからで申し訳ないけれど、ベニティアーノ卿。相談したいことがあるの」

「いえ、殿下のご要望とあればいつでも馳せ参じます」


 王宮内部の権力構造、人間関係に詳しいベニティアーノ卿はいつの間にかアリサベル王女の個人的な相談相手になっていた。主として軍事関係以外の事についてだったがその助言は王女にとって有用なことが多かった。


「明日には陛下に呼ばれると思うの。アリサベル師団のことを陛下がどうお考えになるか、それに単に師団のことだけではない問題もあるわ。きちんとこちらの意思を決めておかなければならないことが」

「レフ殿の処遇ですな」


 ベニティアーノ卿も他人のいるところと面と向かっての時はレフ殿と呼ぶ。

 王女としては是が非でも、主軍と合流した後もレフとアリサベル師団とを切り離されたくはない、そう考えてコスタ・ベニティアーノに相談したのだ。


「そうよ、レフの能力ちからを知ったら、陛下はアリサベル師団からレフを取り上げられるかも知れない。陛下だけではなく、ドライゼール王太子兄様も目を付けるかも知れないわ。そんなことをされたらアリサベル師団なんて分解してしまうわ」

「そうですね、レフ殿の能力は大きすぎますな。当然陛下も王太子殿下も警戒されるでしょう。王女殿下から取り上げることも十分に有り得ます」


――そして、使い切れなくて最悪離反させるかも知れない、いやその可能性が高い。追放するのか、殺すのか、まあレフとあの女達が簡単に殺されるとは思わないが、いずれにせよレフを敵に回すことになる。そうなれば最悪と言って良い――


「なんとしてもレフをアリサベル師団に所属させておきたい、なんとしても……。ベニティアーノ卿、だから、知恵を貸して欲しい」


 コスタ・ベニティアーノは考え込んだ。彼は言わば成り行きでアリサベル師団に領軍ごと属することになったが、その後の展開には満足していた。この戦に王国が勝利すれば彼の王国における重みは大きく増すだろう。アルマニウス一門で宗家に次ぐ所まで登るかも知れない。今はたかだか1個大隊に満たない領軍を動員するのが精一杯の領だが、帝国軍に散々荒らされたテルジエス平原に加領されれば大きくなれる。無主になった領の多いテルジエス平原を彼はそんな目で見ていた。だがそのためにはアリサベル師団のさらなる働きが必要だし、アリサベル師団が働くためにはレフが必要だった。その点でベニティアーノ卿とアリサベル王女の利害は一致していた。





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