第78話 ディアステネス軍転進 3
騎兵が陣から駆け出していく大きな音にアリサベル王女、イクルシーブ准将、ベニティアーノ卿が気づいた。あっけにとられたように騎兵の後ろ姿を見送った。リッセガルド千人長に率いられた騎兵は振り返りもせずに主力軍の騎兵を追い始めた。
「一体何事?イクルシーブ准将、命令したのですか?」
「いえ、そんな命令は出しておりません。リッセガルドの独断専行かと」
「ロッソルから出た騎兵はドライゼール王太子が率いておられるようです。王太子旗が掲げられておりましたから。リッセガルド千人長はもともと王宮内で殿下に近いポジションにいたから釣られたのでしょうな」
王宮内の人の交流、派閥に詳しいベニティアーノ卿が言った。それを聞いてイクルシーブ准将が激昂した。
「そんな命令は出してないぞ。あいつめ、一度甘い顔を見せたら図に乗って」
命令無しの行動だった。王太子が追撃しているからと言って、それに勝手に追随するのは命令系統を無視した重大な違反行為だった。
「処分は帰ってきてから、帰ってこられればの話だけれど、決めれば良いわ」
アリサベル王女の言葉はこれまで王女から聞いたことがないほど冷たいものだった。
「それよりイクルシーブ准将、他にリッセガルドに付いていく兵がいないように注意してください。私達はロッソルの主力と合流しましょう」
アリサベル師団旗下には王宮に籠もって帝国軍の捕虜になり、解放されて加わった兵が多くいる。彼らがリッセガルドに付いて帝国軍の追撃戦に出て行ったら収拾が付かなくなる。ただしイクルシーブ准将もベニティアーノ卿もそんな心配はしていなかった。彼らは出身がばらばらで騎兵ほどのまとまりはなく、その上、自分たちを捕虜の身から解放してくれたアリサベル師団の力をよく知っている、と思っていたからだ。
「騎兵が釣れたらしいですな」
ディアステネスが隣を騎乗して進んでいるドミティア皇女に言った。
退却に当たってディアステネス上将は陣を敷いていたロッソルの前に魔法士を1人残しておいた。クインターナ街道から100ファル離れたところに穴を掘って巧みに擬装し、身を隠している。帝国軍の退却に王国軍がどう反応するか報告させるためだった。なけなしの通心用魔道具を持たせてあった。
「騎兵だけ?歩兵は無し?」
「王国軍は我々を殲滅するつもりはないのでしょう。背中を撃ってできるだけ戦力を削れば良しとしていると思われますな。ですが王太子旗を見たと言っています。本当にドライゼール王太子が釣れているなら面白いことになりますな」
撤退する軍をできるだけ急がせてロッソルから7里離れたところで迎撃のための陣を張った。クインターナ街道が小さな林を抜けて草原の中を走っている所だ。7里も離れれば、王国軍が使っている旧式の魔道具ではこの大軍であっても並みの魔法士には探知できない。移動しながらの探知はもっと難しくなるから、王国軍が追跡してきてもかなり近くに来るまで帝国軍が待ち構えていることを知られることはない。
その上小さいとは言え、林が視線を遮っていた。探知は"見える”事によって強化される。林の存在はそれも邪魔していた。
この場所もあらかじめ想定していた場所だ。見通しの悪い林の中からいきなり草原に出てくる。林から出てくるクインターナ街道を囲むように柵が設置できる場所だった。展開している陣を林で隠して東進してくる王国騎兵から見えないようにする。そのため広く布陣することはできなかった。しかし、5000人ほどの弓兵と長槍歩兵を縦深を持って配置し、追跡してくる王国騎兵を待ち構える態勢だった。その上歩兵の後ろに騎兵を隠していた。
「さて、歓迎準備ですな」
「そうね」
薄く笑ったディアステネスにドミティア皇女が同じような笑いで返した。
「たっぷりとお持てなししてあげなきゃ。人数が少ないのが残念だけど、王太子がいるなら歓迎のし甲斐があるわ」
ディアステネス上将が側にいる魔法士に、
「闇の烏の、スタージェス兵長と言ったか?そいつに連絡しろ。計画通りだとな」
「はい、計画通りにやる、と連絡いたします」
魔法士が姿勢を正して復唱した。
ディアステネス上将はもう一つ仕掛けをしていた。林の入り口の500ファルほどロッソル寄りに闇の烏のベテラン、スタージェス兵長を待機させていた。ロッソル包囲陣の中でドミティア皇女が大急ぎで作らせた転移の魔器――迎門の魔器――を持って。オリジナルの迎門の魔器はアンジエームの王宮の正門を壊すときに一緒に壊れてしまった。それを戦陣の中で魔法士の尻を叩いて法陣図を元に何とか作り上げたのだ。もちろん元の魔器より性能はずっと落ちた。それでも2里ほどは何とか転移させることができる魔器を作り上げた。スタージェス兵長は柵に使われていた材木が大量に捨ててある(ように見せかけた)、その材木の陰に隠れていた。追跡を急ぐ王国軍は捨ててある材木なんかに気を払わないだろうという目論みだった。
どっどっどっと地響きを立てて王国騎兵が近づいてきて、通り過ぎた。捨ててある材木にちらっと目をやったが人の気配もないためそのまま通り過ぎた。最後の1騎が通り過ぎてスタージェス兵長は魔器をセットした。以前に使っていた迎門の魔器よりも門の枠のぶれが大きいように感じたが、直ぐに迎門を通って闇の烏の隊員が転移して来た。最初は1個大隊、1000人いた闇の烏も度重なる戦闘の中で6割強に減っていた。もともと奇襲することに特化し、戦闘力で傑出したとは言えない部隊なのだ。
彼らは直ぐに、捨ててあるように見せかけていた材木を使って柵を組み立て始めた。東に向けた、つまり王国騎兵が退却してきたときにそれを防ぐための柵だった。
小さな林だった。中を通るクインターナ街道は距離100ファルもない。騎馬ならあっという間に通り過ぎる。その手前に帝国軍が阻止線を張っていた。弓兵、長槍歩兵を主とした1個大隊だった。王国騎兵は直ぐに気づいた。
「阻止線です、1個大隊規模です!」
先頭からの報告に、
「蹴散らせ!」
ドライゼール王太子が大声で命じた。全騎が突撃速度に上げた。射かけられる矢を盾で防ぎながら王国騎兵は帝国軍に突っ込んでいった。何人か射貫かれて落馬したがスピードを落とすこともなかった。そのままのスピードで歩兵の槍衾に突っ込んだ。馬が傷つくのは覚悟の上だ。短い戦闘は後続の騎馬が次々に参戦してあっさりと終わった。百人余りの死傷者を残して帝国軍は逃げ出した。その背中を王国騎兵が追った。一目散に街道を東に逃げる帝国兵と別にこっそりと横に外れ、闇の烏が構えた防柵の方へ走った50人前後の帝国兵がいたことに王国騎兵は気づかなかった。彼らは槍の穂先――強化兵――だった。
林の手前に展開している帝国軍は目くらましだった。本当の阻止線は林を出たところにあった。何もしなければ、林に入る頃には王国軍騎兵の魔法士が、いくら旧式の魔道具を使い、騎馬で疾駆中とは言え林の向こうに帝国兵が待ち構えているのに気づくだろう。林の手前に少数でも兵を置いておけばそれを誤魔化せる可能性がある。そして、王国騎兵はその目論み通り、林を出たところに張られた阻止線に気づかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます