第78話 ディアステネス軍転進 2

「殿下、ご自重ください!危険です」

 

 それでも何とか王太子を思いとどまらせようとするガストラニーブ上将に、


「ガストラニーブ、ドライゼールの言ったように騎兵を出せ。ドライゼールに指揮を執らせて追撃させよ」

「へ、陛下?!」

「ドライゼール、携帯口糧は2食分だ。わかっているな」


 要するに、深追いするなと言っている。


「畏まりました。必ずや帝国の奴らに思い知らせてやります」


 ゾルディウス2世の言葉に喜色を浮かべてドライゼール王太子は塔を駆け下りていった。


「騎兵だ、騎兵を出せ!帝国軍の背中を撃つぞ」


 と叫びながら。


「陛下……」


 王太子の背中を見送って、戸惑ったようなガストラニーブ上将の表情に、


「ドライゼールにも軍功を上げさせなければな、ガストラニーブ。このままでは王女の手柄で王太子の座を保ったと言われかねない。それにディセンティアの件では味噌を付けているからな」

「しかし、危険すぎます。相手はあのディアステネスですぞ」

「アガテア平野は見通しがきく。ディアステネスが迎撃陣を張れば遠くから分かるだろう。十分な態勢を整えた陣に闇雲に突撃するほどドライゼールは莫迦ではない。戦果云々より、退いていく帝国軍を追撃したという事実の方が重要なのだ」


――ドライゼールが継承権一位の座を保つためには、アリサベルの後塵を拝してばかりでは不味いだろう。戦力として何の期待もされなかった王女に及ばないとみられたら、それを覆すのはなかなかに難しいだろうからな――


――王太子殿下が帝国軍の様子を冷静に判断されれば良いのだが……、時に視野が狭くなることがおありだから。しかし陛下が決断されたのなら……――


「それが陛下の御心なら。私としても最早申し上げることは……」



 ロッソルから東へ向かうクインターナ街道は、1日行程ほどは平坦な平野を通る。アガテア平野はテルジエス平原と並ぶ穀倉だった。アルマニウス系と独立系の中小貴族の領地になっている。平地だから追跡してくる騎兵を隠れて待ち伏せする事は難しい。大軍が待ち構えていることが分かれば王太子も引き返すだろう。追撃に出たという実績だけでも王太子の軍功を大げさに褒めることはできるし、殿軍の一部でも殺ぐことができればさらに上出来だろう。ガストラニーブ上将としてはそう思う――思い込む――よりなかった。


「ドライゼールが王太子としてふさわしいことを知らしめなければならぬ。さもなくばこの戦争に勝っても後に火種が残る。女王という選択肢もあるのだからな」


――この方はアリサベル殿下が女王になることを容認したくない、……のかもしれない。実際に女王がおられたのはもう100年も前だから――


 ガストラニーブ上将は敬礼しながらそう考えていた。




 帝国軍の撤退は当然、帝国軍を挟むように布陣しているアリサベル師団からも見えていた。


「見事なものね」


 柵を大人の身長ほどに高く組んでその上に載せた板の上に立って、アリサベル王女、イクルシーブ准将、ベニティアーノ卿が退いていく帝国軍を見ていた。

 大軍を迅速に移動させるにはどうしても整備された街道を進む必要があるので、帝国軍は細長い列になってクインターナ街道を東に向かっていた。敵前で、夜の内に混乱もなく陣をたたみ、輜重隊を先に立たせて帝国軍は粛々とかなりの速度で遠ざかっていた。最後尾に対騎兵用に弓隊と長槍を装備した重装歩兵を置いている。行軍のお手本のような動きだった。


「追撃する?」


 アリサベル王女の質問に。


「いいえ」


 イクルシーブ准将が簡潔に答えた。


「なんと言ってもディアステネス上将の軍ですから、我々が追ってくるのを待ち構えているでしょう。それに1個師団で4万の軍を相手するのは気が進みません。ロッソルの主軍にも今のところ動きはありませんし、追撃しろという命令もありません」

「レフもいないことだし、無理して追う必要は無いわね」

「レフがいたら何かできたかもしれませんが。しかし、ディアステネス軍が退いていくと言うことは、レフ支隊が計画通り上手くやったのでしょうな」

「そうね、きっと帝国軍主力も魔器を潰されて目を白黒させているわね」

「しかし、ガイウス7世というのは噂ほど短慮ではなさそうですね。魔器を壊されたら全軍で力任せに押し寄せてくるかと思っていましたが」


 アリサベル王女とイクルシーブ准将の会話を聞いていたベニティアーノ卿が口を挟んだ。


「そうだな。通心、探査・索敵の魔法を弱体化されても、意地でも占領地を手放さないタイプかと思っていたが……」


 イクルシーブ准将も同じ事を言った。


「血で購った土地だ、代償も無しに手放せるものか、と言う訳ですね。そうだったら楽だったんだが」


 いかにも残念そうに言うベニティアーノ卿に


「思ったより手強いと考えた方が良さそうだ」


 イクルシーブ准将がそう返した。


「どういうこと?」


 アリサベル王女の質問に、


「ガイウス7世は魔器に依る優位を失ったことを冷静に評価して、行動できる指揮官だということです」

「当然じゃないの?前提が変われば結論も変わるわ」

「それができない者が多いのですよ(例えばレアード王子のような)」


 後半の言葉はイクルシーブ准将の心の中だけのつぶやきだった。レアード王子の話題を出すには、その最期がまだ生々しすぎた。


「こうなると、ディセンティアが離反したのは痛かった。帝国軍に王国内の後背地ができたことになる」


 舌打ちしながらそう言ったベニティアーノ卿に、


「そう、おそらくディセンティアの領地で魔道具を集めて軍を再編するでしょうな」


 2人の会話を聞いていたアリサベル王女が大きな軍の動きを感知した。ロッソルの方角だ。


「えっ、あれは?」


 そちらを向いて思わず出たアリサベル王女の声に、イクルシーブ准将とベニティアーノ卿がロッソルに視線を移した。ロッソルの市門が開いて、騎兵が飛び出してきていた。


「追う、……つもりなの?」

「その、ようですね。あれはドライゼール王太子の旗ですな」


 ロッソルにいたありったけの騎兵、4個大隊1000騎が次々に市門から出てきた。疾駆する蹄の音がアリサベル師団の陣まで響いてきた。


 市門から出てきた王国軍騎兵を見て歓喜している者がいた。アリサベル師団騎兵隊長、リッセガルド千人長だった。


「見ろ、あれを!さすがはドライゼール王太子殿下だ。機を逃さず追跡に移られたぞ」


 リッセガルド千人長は躍り上がるように遠ざかっていく王国軍騎兵を指さした。


「我々も出るぞ!」


 既に騎兵に準備を命じていた。帝国軍が退いているという情報を得て直ぐに追撃の可能性を考えていた。師団司令部から命令が来なくてイライラしていたところだった。


「隊長!師団司令部からの命令が来ておりませんが」


 副官が諫めたが、


「良い、王太子殿下が出られているのだぞ、師団司令部の命令など待つ必要はない!行くぞ」


 軍の頂点に立つ王族が作戦行動に出ているのだ。それに従って何の不都合がある!


「他の部隊の用意ができていません」


 何を言ってるんだ、こいつは?この前、戦意不足を散々責められたことの雪辱じゃないか。鈍重な歩兵など必要ない!


「騎兵だけで良い。ドライゼール殿下も騎兵だけの出撃だ。グダグダ言うな、行くぞ」

「応!!」


 リッセガルド騎兵千人長の言葉に周りにいた士官達が応えた。

 騎兵を集合させ、追撃の態勢を取るのに多少時間が掛かったが、リッセガルド千人長を先頭にアリサベル師団の陣から騎兵が駆け出したのはそれからまもなくだった。





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