第78話 ディアステネス軍転進 1
控えめなノックにドライゼール王太子は目を覚ました。部屋の中は薄暗い。顔を上げてちらっと見たカーテン越しの窓の外も、まだ夜明けには間があることを示していた。もう一度ノックがあった。王太子は裸で自分に半身をもたれさせて寝ている第二側妃のエライアの腕をそっと外して起き上がった。正妃のベルエアは少し離れて寝ている。こちらも裸だ。
――兵の手前もありますれば――
というガストラニーブ上将の言葉もあったが、ドライゼール王太子は寝酒と妃達をベッドに引きずり込む事を止められなかった。
旅団、そして師団に昇格した後のアリサベル王女の勝利を聞く度に寝酒の量は増えていった。そしてディセンティアの離反だ。ディセンティアに譲歩させてデルーシャに軍を派遣させたことを自分の功績として強調していた分だけ、ルルギア失陥後にデルーシャが軍を引き上げてしまったこと、さらにはディセンティアが離反したことについて王太子の責を問う雰囲気が(王太子の主観では)生まれていた。昨夜の酒はいつにもまして多かった。そして二人の妃を相手にして男として役に立たないまま眠り込んだ。
素裸の上にガウンだけを羽織ってドアの側に寄った。昨夜の酒が残っているのか頭ががんがんする。
「なんだ?」
ドアの外には2人の不寝番がいる。ドアをノックしたのはその不寝番の筈で、寝ている王太子を起こすほどのことが起こってなければそんなことをする筈がなかった。
ドア越しに不寝番の応えがあった。
「殿下、陛下から至急に塔に来るようにとのご命令でございます」
陛下から?こんな朝早くに?
疑問はあったが命令とあれば行かなければならない。しかし、塔に?市庁舎の屋根には高い塔が付いている。登ればロッソルの街全体を見下ろすことができ、街の外もかなり遠くまで見渡すことができる。ロッソルの市壁の前に布陣している
何か
「何かあったのですか?」
エライア妃がいつの間にか目を覚ましていて、上半身を起こしていた。毛布を手に持って体に当て、裸体を隠そうとしていたが、形の良い乳房の上半分が毛布の陰から覗いていた。ベルエアはまだ寝ている。エライアよりいつも寝起きが悪かった。
「陛下に呼ばれた。行かなければならない」
「まあ」
それを聞くとエライアはベッドから降りて王太子の支度を手伝い始めた。毛布がいつの間にか手から落ちていた。
ベルエア妃も目を覚ました。ぼーっとした顔でしばらく身支度をする王太子とそれを手伝うエライア妃を見ていたが、ふっと気づいたように起き上がり、裸のまま王太子の身支度を手伝い始めた。
ベルエア妃とエライア妃に手伝ってもらってドライゼール王太子は手早く服を着、鎧を身につけた。少し離れてベルエア妃が王太子の格好を点検した。エライア妃は後ろに控えている。身支度の最後の確認をするのは正妃の役割だった。隙が無いことを確認して裸のまま、
「行ってらっしゃいませ」
優雅に礼をする妃の側にドライゼール王子が素早く身を寄せて乳房を揉んだ。昨夜は男として役に立たないまま、二人の妃をしつこく責めた。いつ意識が落ちたのかも分からなかった。妃には中途半端な余韻がまだ残っていた。
「うっ」
思わず声を出しそうになるベルエア妃の口を自分の口で塞いで、
「行ってくる」
短くそう言ってドライゼール王太子は部屋を出た。
ドライゼール王太子を見て、塔の下で見張りをしていた2人の兵がさっと道を空けた。ドライゼール王太子は塔に飛び込むと螺旋階段を急いで登った。100段はある階段を駆け上るとさすがに息が切れた。塔の上には既にガストラニーブ上将、グリツモア海軍上将、親衛隊司令官のフォルティス下将、ロドニウス上級魔法士長がいた。
「何事だ?」
ドライゼール王太子の問いに、ロドニウス上級魔法士長が街の外を指さしながら、
「帝国軍が退き始めています」
「何だと」
ロドニウス上級魔法士長の指さす方を見ると、確かに市壁の外に設置されていた帝国軍の柵がなくなっていた。まだ薄暗い中で柵は地面の色に溶け込んで上からは見えづらいものだが、一定の間隔を置いて設置されていた櫓も見えなかった。
「どういうことだ?」
「2つ考えられます」
答えたのはガストラニーブ上将だった。ガストラニーブ上将がさらに言葉を続けようとした丁度その時、ゾルディウス2世がオルダルジェ宰相と暗部の長カルーバジダを伴って塔に登ってきた。狭い塔の最上部それでいっぱいになった。
「ロドニウスから報告を受けたが、帝国軍が退いていると申すか?」
ゾルディウス2世がそれまで塔上で交わされていた会話を全く無視して言葉を挟んだ。もちろん王の言葉が最優先だ。
「はい、陛下。主力は既に1里半離れているかと思われます」
「1里半?確かなのか、ロドニウス」
「はい」
「何故だ、何故帝国軍が退いていく?」
「2つ考えられます、陛下」
話題が同じ所に落ち着いて元に戻った。自分の質問を無視されたドライゼール王太子が苦い顔をしていたが、ゾルディウス2世は王太子のそんな表情に全く気づかなかった。
「申してみよ」
ガストラニーブ上将が右手の親指を折った。
「我々をロッソルから引きずり出すため、と言うのが一つ」
ゾルディウス王が頷いた。
「野戦に引き込みたいわけだな。王国軍がロッソルから出てきたら反転して討とうということか」
「はい、もう一つは本当に東へ引いて帝国軍の主力と合流するため、かと思います」
「何故そう思うのだ?ガストラニーブ」
「アリサベル師団から、帝国軍の魔道具――帝国軍は”魔器“と称しているようですが――を破壊したと報告を受けております」
「信用できるか!そんな聞いたこともない法螺話」
ドライゼール王太子が吐き捨てるように言った。アリサベル師団からもたらされたこの報告を作戦会議の中で最も強く否定したのがドライゼール王太子だった。
ガストラニーブ上将は王太子の言葉が聞こえなかったかのように、
「通心、探査・索敵の魔法が弱体化すれば、帝国軍はうどの大木になります。それを危惧して引いた可能性も無視できません」
ガストラニーブ上将の言葉に塔上の王国軍幹部達がざわめいた。
「あり得ない……」
「だがもし、それが本当なら……」
小声で囁かれる言葉は誰のものかはっきりしなかった。
「本当なら、アリサベル師団が勲功第一ですな」
これはグリツモア海軍上将の声だった。アリサベル師団の指揮を海軍出身のイクルシーブ准将が執っている事を何かにつけて強調するところがあった。
その言葉がドライゼール王太子の疳に障った。
「ガストラニーブ、騎兵を出せ。帝国軍は背中を見せている。
「殿下、相手はディアステネスですぞ。帝国軍は敗走しているわけではありません。充分な戦力を持って追撃を迎え撃つことができます」
「だから鈍重な歩兵はいらん。騎兵だけであれば罠だと分かったら直ぐに引き返せる!」
「騎兵はそんな身軽なものではありませんぞ、殿下!」
「背中を見せている敵を見逃せというのか!ガストラニーブ。私が率いる、騎兵を出せ!」
慎重なガストラニーブ上将に対して、ドライゼール王太子の口調はだんだんといらだってきた。
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