第76話 離反
「何だと!!」
ゾルディウス2世の声が響いたのは、ロッソルの旧市庁の、今は王が執務室として使っている部屋だった。
「もう一度申してみよ!」
王の前に直立不動で立っているのは王国の暗部の長、カルーバジタだった。王の発した大声に部屋の中にいた王の側近達は仕事の手を止めて聞き耳を立てていた。
「ディセンティアが離反いたしました」
繰り返したカルーバジタの声は低かったが部屋にいる全員が聞き取るのに十分だった。執務室の中に驚愕が広がった。
「確かなのか?」
王の質問に、
「エスカーディアの
「なんといっているのだ!?」
「エスカーディアにいた、ディセンティア一門以外の兵を拘束し、門を帝国軍に開いたと」
「なんてことだ……」
ゾルディウス2世がドシンと椅子に腰を落とした。
「ダグリス・ディセンティアが裏切ったのか」
「はい、いいえ、陛下。確認は取れておりませんが、
確認が取れていないというのは複数の情報提供者からの情報ではないという意味だ。しかしディセンティアの内部奥深くの情報がとれる人間が何人もいるわけはない。内部情報提供者という言葉を出しただけで、カルーバジタの情報の確度に対する自信がうかがえた。
「では一体誰が……、そちの言うことが正しければクーデターであろう。誰がやったのだ?」
「これも確認は取れておりませんが、ダグリス卿の長子、ルージェイ・ディセンティアのようです」
「ルージェイが!?」
部屋の中にいたドライゼール王太子が思わず大声を出した。
「まさか、あいつが」
ディセンティアの公子で次期当主、ルージェイ・ディセンティアとドライゼール王太子は年が近いこともあり、比較的親しかった。ルージェイがアンジエームに出てきたときは一緒に郊外に狩りに出たり、中型の船を出してアンジエーム港外をクルージングしたりすることもある仲だった。海運に力を入れているディセンティアの公子と、陸軍より海軍に親しみを覚えているドライゼール王太子はその方面でも親しくなる要素があった。
「何故だ?一体何故あいつが」
殆どつかみかからんばかりの王太子に、
「『ヌビアート諸島を取り戻せ!』と、そのように言っているそうです」
「ヌビアートを?」
デルーシャ王国の援軍を得るために、ディセンティアとの間で領有権を廻って揉めていたヌビアート諸島を譲ったのだ。
「でも、あいつは不満など一言も言わなかったぞ」
ディセンティアをして恫喝同然にヌビアート諸島を放棄させたのは、ドライゼール王太子だった。そして当時、ルージェイ・ディセンティアはヌビアート諸島のディセンティア領の総督だった。当主になる前にヌビアート諸島で統治の訓練をするのはディセンティア宗家の伝統だったからだ。
“不満を言わなかった“
というのは王太子の思い込みに過ぎなかった。ディセンティア宗家の男達、とくにルージェイ・ディセンティアは口に出さなくても全身で不満を表していた。それを無視し、無かったことにしたのは王太子だった。
部屋の中にいる男達の目つきが変わったような気が、――ドライゼール王太子にはした。キョロキョロと部屋の中を見回す王太子の視線が第三軍司令官のガストラニーブ上将に止まった。彼はルージェイ・ディセンティアに、ヌビアート諸島を放棄するようにドライゼール王太子が迫っている、いや強制している現場にいたのだ。ガストラニーブ上将は無表情だったが、それが自分を責めているように王太子には感じられた。ヌビアート諸島を譲ったにもかかわらず、デルーシャ王国はルルギア陥落後ほとんどの兵を引き上げてしまった。デルーシャが戦線を放棄した後、もう一度ヌビアート諸島を取り戻したいというディセンティアからの要請を却下したのもドライゼール王太子だった。
――敵に回すわけにはいかない――
という、王太子からすれば当然の理由だった。
「わ、私が悪いというのか?」
少しうわずった王太子の声に部屋の男達は顔を逸らした。デルーシャ王国を味方に惹き付けておくには必要なことだった。しかし、ディセンティアを宥める何かを用意すべきだと思っていたのはガストラニーブ上将だけではなかった。それほどドライゼール王太子の、ディセンティアに対する態度は高圧的で、反面ルージェイ・ディセンティアと親しいのだからこれくらいの融通は利かせてくれと言う甘えも見えたのだ。
追いかけるように、
「帝国は現在のディセンティアの領土の安堵と、ヌビアート諸島全ての領有をディセンティアに認めた由でございます」
カルーバジタがそう告げた。
「しかし、だからと言って、ディセンティアが王国を裏切るなど……」
「殿下、ルージェイ・ディセンティアが離反したことは今更言っても始まりません。この事態に対する方策を考えるべきです。厄介なのは、これで帝国軍が海軍を持つことになることです。余り好ましい事態ではありませんな」
ガストラニーブ上将の言葉に皆ぎくっとした。これまで王国軍が帝国軍に対して持っていた僅かな優位が海軍の存在だったのだ。ディセンティアが帝国に付けば王国海軍に比べて小規模であるとはいえ、帝国も海軍を持つことになる。それは劣勢にある王国軍としては無視できない変化だった。
「ディセンティアが裏切ったですと?」
少し遅れて、同じ事が言われたのはアリサベル師団の司令部だった。声を発したのはイクルシーブ准将で、情報を告げたのはアリサベル王女だった。
「やっぱり……」
だが、その次ぎにイクルシーブ准将の口を突いた言葉は王女にとって意外なものだった。
「やっぱり?」
早速王女が聞き咎めた。
「貴方はディセンティアの離反を予測していたというの?」
「ヌビアート諸島を放棄させられたと聞いたときから、最悪そうなるかもしれないと思っておりました」
「そう、――そう言えばイクルシーブ准将はディセンティアの一門に繋がるのよね」
ディセンティア一門に属する者なら、宗家がヌビアート諸島にどれほど強く拘泥しているか知っている。ヌビアート諸島が乱暴に取り上げられたとき、宗家がおとなしくしたがったのを意外に思ったほどだ。何しろディセンティアがヌビアート諸島を占領したのはガイウス大帝の命令だったのだ。その命令書を家宝として大事に保管しているほどだ。現在のフェリケリア神聖帝国に対する感情はともかく、ガイウス大帝はフェリケリア以外でも尊崇の対象だった。
大フェリケリア神聖帝国が分裂したときに混乱に乗じてデルーシャ王国が侵攻してきたのだ。取り返そうとするディセンティアを、対帝国の観点から抑えてきたのはアンジェラルド王室だった。結果、ヌビアート諸島の6割を支配するだけで我慢させられていた。純粋な戦力だけを考えれば、ディセンティアがヌビアート諸島全てを支配するのは難しいことではないと思われていた。
「はい、もう五代も前から王国海軍に奉職しておりますので、ときどき一門名を忘れるほどの傍流ではありますが、一応ディセンティア一門に属しております」
「念のために聞くけれど、ディセンティアの裏切りに付いていく気はある?」
「それこそ、まさか!ですな。海軍にはディセンティア一門出身者が多くいますが宗家の暴挙に付いていく者などほんの少数でしょう。長く海軍にいると一門間の付き合いより強い繋がりがたくさんできますから。彼らを裏切るなど私にはできません」
「分かったわ。もし王国軍司令部の方から貴方について何か言ってきたらそう言っておくわ。これからもアリサベル師団の指揮をよろしくお願いするわ」
「畏まりました」
姿勢を正したイクルシーブ准将はアリサベル王女に対して最敬礼をした。
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