第75話 レフと3人の仲間
大軍の移動に3日掛かる距離も、少数の騎馬隊が駆け抜けるだけなら半日もかからない。次の日の昼にはレフ支隊はその夜帝国軍が野営するであろうと推測される地点まで来ていた。
カイシという人口100人にも満たない寒村だった。東から来れば、山地が海に迫っている崖下の道が2里も続いた後急に開けた平地に出るという場所にあった。石ころだらけの痩せた土地でそれ以上の人口を支えることができなかった。しかし村はずれを結構大きな川が流れていて水が手に入ることと、一応は平地で大軍が野営するだけの広さがあるため、ケナンからの距離を考えても帝国軍がそこで野営するだろうと考えられる所だった。
住民は帝国軍の西進を知ってとっくに避難していた。からになった家々と無人の広場、広場に中心に釣瓶の取り外された井戸があった。帝国軍が野営すれば建物を壊して夜の灯りにするだろう。
「ここを過ぎれば次ぎに豊富な水が手に入るのは10里も先になる。まあ、まともな指揮官ならここで夜営すると思うぜ」
アンドレの言だった。
「そうだな、確かに」
広場の井戸の側から周囲を見回しながら、
「少し小細工をしておくか」
レフが返事した。
「小細工?」
「ああ、ディアステネス軍に手を出したから、ガイウスの奴も多少は警戒するだろう」
「そうだな」
「厳重に探査網を張られれば、余り近寄れないかもしれない」
「可能性はあるな、あんたが近づくのを防ぐのにガイウス7世はどんなことをしてくると思うんだ?」
如何にも興味ありそうな顔でアンドレが訊いた。
「そうだな、私が
犠牲になる魔法士は可哀想だがそれが一番確実な遣り方だろう。父が残してくれた知識の中にあった”鉱山のカナリア“という言葉がレフの頭に浮かんだ。
「なるほど、始末される魔法士は可哀想だが確実に敵の侵入が分かる訳か」
レフは唇に微笑を浮かべた。アンドレは犠牲になる魔法士を気遣っている、中級の指揮官として望ましい資質だろう。大軍を任せるには甘いかもしれないが。
「だからあらかじめ中継器を置いておく」
「中継器?」
「そうだ、魔法を遠くに届かせるための魔器だ」
「へえ~、そんなのがあるのか」
「ああ、中継すると魔法の効果範囲が狭くなるし、魔法の威力も少し落ちる。しかし1里以上離れたところから操作できる」
中継器を経た魔法の有効範囲は1里半と言ったところだろう。2個の中継器を置くと、その2個の中継器の距離を直径とする円内が有効範囲になる。帝国軍は敵地で野営するのだ、そんなに広く散らばるわけがないから、これくらいの有効範囲があれば充分だとレフは思っていた。
帝国軍の先行偵察隊が到着するにもまだ時間があった。レフは3人を連れて海の方へ歩いた。アンドレが護衛について行こうとする部下に、
「近くにいると嫌がられると思うぜ。それにあいつら、どの一人をとっても護衛が必要だなんて可愛いのはいないぜ」
言われた兵は納得して4人の背を見送った。
鋭く切れ落ちている崖の縁まで行って、レフは手頃な岩に腰を下ろした。崖下から波の音が聞こえる。海からの塩気を帯びた風が少女達の髪をなぶっている。晴れていて遠く水平線が見える。3人の少女達も思い思いにレフの近くに坐った。
「相変わらずレフ様は海がお好きですね」
「ああ、穏やかな海ならな」
「アンジエームに出てきて初めて海を見たときは余りの広さに驚きました」
アドル領は海から遙かに遠い。用事も無いのに海を見に行くほどの余裕はなかった。初めて海を見に行ったのはゲイザックと一緒だったことを想い出した。親衛隊の候補生になって何回目かの休日だった。もうゲイザックのことなど殆ど想い出さなくなった。想い出してもときめきなどはない、ただ淡い懐かしさがあるだけだった。
レフの側に同じように腰を下ろしてシエンヌ、アニエス、ジェシカもしばらく海を眺めていた。
「アリサベル師団が王国軍に合流する」
唐突にレフが話し始めた。3人は吃驚もせず聞いている。
「そうですね」
相づちを打ったのはシエンヌだった。そこでレフは又黙り込んだ。3人とも催促もせずにじっと次の言葉を待っていた。レフは軽くため息をついて、
「……王国軍の中で私の立場は難しいものになるかもしれない」
3人の視線がレフに集まった。レフがまだ逡巡しているのを見て、
「レフ様がどうお決めになっても、私は従います」
少しの間を置いてシエンヌがそう言った。
「シエンヌ、ずるい!そこは私達でしょう。あっ、私達になったらジェシカも入ることになるわね」
後から上手くレフの側に居場所を確保したジェシカを軽く睨みながらアニエスが言った。ジェシカがクスリと笑って、
「私も入れてください。レフ様から離れると殺すとアニエスに言われましたから。まだ死ぬのは嫌です」
アニエスがジェシカの反撃に手をワタワタさせて、
「あっ、あれは話の成り行きで、も、もちろん本気じゃ……、半分も本気じゃなかったの」
「半分は本気だったんですね?」
3人の少女達のやりとりにレフが破顔した。
「分かった、どうなるか分からないが私と一緒にいてくれるのだな」
「「「はい」」」
3人の声が揃った。隣に腰を下ろしていたシエンヌはレフにもたれ掛かった。
「シエンヌ、ずるい。交代!」
「はい、はい。どうぞ」
「なに、その余裕」
「わたしが一番早いですから、レフ様を知ったのは」
「何よ、レフ様の、お、女になったのはあたしの方が早いんだからね」
シエンヌがどいた所に腰掛けてレフにもたれ掛かるアニエスを、多少羨ましそうな顔で見ながら、ジェシカが口を尖らせた。
「でも、レフ様がいなければ今頃王国軍は潰れてしまってますよ。それを評価しないんですか?」
「そうよね、アリサベル師団が王国軍を支えて、そのアリサベル師団をレフ様が支えていたのにね」
レフに凭れながらアニエスも口を尖らせた。
「レフ様は勝ちすぎたのです」
アニエスとジェシカの話にシエンヌが入っていった。アニエスは首をかしげ、ジェシカは何かを覚ったように頷いた。
「勝ちすぎたらいけないの?戦なのに」
軍務に付いたことのないアニエスの疑問だった。
「アリサベル様はもともと護衛以外には1兵卒も持たない王女殿下です。そのアリサベル様が、並み居る王子殿下や軍系貴族、高級将校が負け続けている戦で唯一人、勝っておられるのです。 当然それが面白くない方々もいます」
「分かるわ、帝国で考えても、今のアリサベル様の位置は酷く危うい所にあると思うわ」
皇帝が負けているのに他方面で部下が戦功を上げ続けたらどうなるだろう?ディアステネス上将のような皇帝の信頼の厚い将軍でも皇帝の不興を買わないように気をつけるだろう。まして、レフは王国軍では新参の外様だった。
「で、アリサベル様を勝たせていたのがレフ様、っていうわけです。どんな言いがかりを付けられるか、想像もしたくありませんね」
戦のプロを自認していたのに帝国軍に手もなく捻られた。王国軍は壊滅していても不思議ではなかった。それを軍務に付いたこともない王女が支えた。面白く思わない連中の方が多いだろう。なんのかのと理由を付けてレフを排除しようとする可能性がある。場合によっては物理的に。
「まあ、どうなるか分からないうちにいろいろ想像していても仕方がない。ただ、最悪王国軍から逃げ出すことになるかもしれない。そのつもりだけはしておけ」
シエンヌもアニエスもジェシカもそのレフの言葉に頷いたのだった。
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